3.朝ですよ1

「わっ!!」
「うわぁっ!」
日が昇り始め、空が白々と明るくなってくる頃、壬生にある新選組屯所の一室で、毎日繰り返されるやり取りがその日も始まる。
「だから、普通に起こして下さいって何度言ったら分かるんですか」
「だって沖田先生、普通に起こしても、まず起きないじゃないですか」
「だからってこの起こし方は止めて下さい。いつか心臓がそのまま止まってしまいそうですよ」
「大丈夫ですよ。鍛えていらっしゃるんですから」
「そういうことじゃないと思うんですけど……」
山南の小姓だったセイがとあるきっかけからまた一番隊に戻る事になり、隊士部屋には寝る場所が無いからと、沖田・斎藤部屋の押入れを寝床にしてから、はや数日。
二人を起こすのは自然、セイの日課となっていた。のは良いのだが、斎藤は普通に起こしてもすぐ起きるから良い(眠れていない可能性有り)。現に今はもう布団を畳んで、顔を洗いに井戸へ向かっている。しかし、総司はどんなに揺り起こしても、夢の中から戻ってくる事は無い。だからと言って、仮にも上司を殴り起こす訳にもいかない。セイが考えた末に出た結論は、大声で起こす事だった。
これは彼にとって相当効くものなのか、どんなに深く眠っていても一発で目を覚ました。
他に方法が無いのなら、続けるしかない。多少の小言は仕方が無いとセイも腹を据えた。
そんな彼女を分かっているから、総司も強く言う事は出来ない。というより、既に彼女は馬耳東風。
「まったくもう……」
ぶつぶつと言いながら、総司は渋々と井戸へ向かう用意をする。
これが最近の一日の始まりだった。

「みゃあ」
幼い可愛らしい泣き声が、新撰組屯所の目と鼻の先にある壬生寺から聞こえてくる。
総司は丁度空いた時間に子どもたちと遊ぼうと境内の中に入ると、そこには既に近隣の子どもたちが集まっており、その中にセイも交ざって何かを囲んでいた。
ひょいと覗き込むと白と黒のブチの柄を持ったまだ体の小さい子猫がふるふると震えていた。
「どうしたんですか?この子猫」
子猫の可愛らしさに声を上げて、総司は子猫を抱き上げる。
「そこの柱の下に住み着いたみたいですよ」
隣にいたセイは、そう言うと、寺の本殿の下の暗がりを指差す。
「だから皆で餌やって育ててるんや」
為三郎がそう言うと、地面に置いてある小さな皿を手に取って総司に見せた。
「そうなんですか。可愛いですねぇ」
そう言って、総司はその猫に頬ずりしようと頬を寄せると、小さな猫は更に小刻みにふるふると震え始める。
「先生。怖がってるじゃないですか。貸してください」
セイは震える猫を総司の手の中から、そっと取り上げ、己の腕の中に抱き上げる。
そうすると、子猫は打って変わって安心しきったように震えが止まり、セイの顔を見上げみゃあみゃあと甘えた声で鳴き始めた。
「随分懐いてますねぇ」
「この猫、神谷はんが大好きなんや」
猫に嫌われてしまった事に少なからず傷付いた総司に、勇之助が笑って答える。
「あー!この猫、神谷はんにちゅーしとる!」
女の子の笑う声に、総司がばっと振り返ると、子猫はセイの手の中で精一杯体を伸ばしながら、ふんふんと彼女の唇に己の口元を近づけると、甘えるようにペロペロと甞め始める。
「あははははっ。擽ったいよ!」
セイは笑って、子猫を宥めようとするが、子猫は必死にしがみ付き、甞め続ける。
「……神谷さん。嫌がらないんですか」
「え?だってただ甘えているだけなんでもん。嫌がるはず無いじゃないですか」
驚いて総司が問うと、セイはさも当たり前のように答えた。それを受けて総司は暫し考え込むと、何を思ったのか、にっこりとセイに微笑み、未だ彼女の顔を甞め続ける子猫を彼女の腕から取り上げ、再び彼の手の中で震え始める子猫に頬を寄せる。
「私も大好きですよ」
「は?」
突然の総司の思わせぶりな言葉に、思わず聞き返すセイ。けれど総司はくすくす笑うだけだった。

まだ朝方前、あと半時もすれば日が昇るだろう。
朝の空気が匂い立ち、冷たい清浄な温度が頬を冷やす。
(そろそろ起きなきゃ)
起きて総司を起こさなくては。と、うとうととまどろみの中から意識を起こしていると、ふと、暖かい温もりが、とん、と一つセイの唇に触れた。
少し湿っていて、それでいて温かく、そしてとても柔らかい何かが。
一瞬触れて、すぐに離れた後、微かに風が吹いた。
「!?」
セイは驚いて、勢いよく起き上がると、今のが何だったのか、そのものを確かめようときょろきょろと見渡す。見ると、襖が開いており、真横から朝の光がうっすらと差し込んだ。
未だ完全に光が入ってこない部屋で、薄らとした暗闇の中、淡い光を背にして襖の前に立つのは沖田総司。
「沖田先生!?おはようございます。随分早起きですね。ってそういう事じゃなく、今何かしました!?」
少し湿っていて、それでいて温かく、そしてとても柔らかい。
それは、セイの中で思い当たるものは一つしかない。
しかし、今、目の前にいるのは総司。
万が一にも、彼がそんな事をするはずが無い事は、悲しいながらも確信している。
では。
「うにゃあ」
そこまで思考を巡らせて顔を真っ赤にするセイの目の前に突然突き出されたのは、この間拾った子猫。
総司は子猫を抱えたままセイの前に突き出すと、子猫の口元を、とん、とセイの唇に触れさせる。
「!!」
「どうしました?もしかしてコレの事ですか?いつも神谷さんに驚かされて起こされているから、たまにはやり返してやろうと。驚きました?」
いたずらっ子の目をしながら、総司はにっこりと微笑む。
「~~~~~~」
やり返されたセイは悔しくて、勘違いしていた自分が恥ずかしくて、唸るだけだった。
総司の頬が暗闇の中で、ほんのりと赤く染まっていたように見えたのは気のせいだったか。
セイは小首を傾げるが、すぐに忘れ、総司のやったことにせよ、まさか子猫に怒る事も出来ず、悔しさを噛み締めながら朝の支度を始めた。

総司はこの起こし方が気に入ったらしく、それから暫くの間毎朝のように続いた。