10.拭われる涙

ある隊士が死にました。
その人は隊内では大人しく目立たない雰囲気の持ち主で、稽古が終わった後はいつも他の皆さんから離れて、一人木陰で休んでいる事の多い人でした。
だからと言って、人嫌いな訳では無く、話し掛けると気さくに答えてくれて、彼のそうした柔らかな空気に引かれ、私と神谷さんはよく休憩時間に一緒にいる事が多くなりました。
神谷さんは本当に懐いていて、彼のそうした穏やかな空気が安心させてくれるのでしょう、彼に駆け寄っては言葉を二、三言交わすとそのまま微睡んでしまうことさえありました。
私も彼の語られる言葉の内容は、どれも他愛も無い事ばかりなのだし、何か特別印象に残るような事を言う訳では無いのですが、彼の声というのでしょうか、落ち着いた、中低音の声、それが音感を擽るのでしょうか、彼と話す時間はとても穏やかに時が流れ、心が静かになってゆくその瞬間がとても愛しくて、話しかける事が自然と多くなりました。

彼は既にこの世にはいません。
私が彼を殺しました。
彼はいつも変わりませんでした。
変わらない表情で、変わらない声で、私たちに話し掛けてくれました。
彼はいつもの稽古が終わり、いつものように木陰で疲れた体を癒して。
そして、いなくなりました。
何が彼にそうさせたのか分かりません。
けれど、彼はいつもと変わらないで。
いつものように笑って。
いつものように、その低く落ち着いた声で。

「さようなら」

私が斬りました。

「やっぱりここにいましたか」
壬生の屯所から少し離れた所にある、一本の大きな木。そこはよく泣き虫という虫が付いていて、悲しい事があると、すぐこの木に登って、一人で泣く事があります。
その日も、恐らく神谷さんはここにいるのだろうと予想をして、迎えに来ました。
案の定、彼女は一人で泣いていて、私が声を掛けると、相当泣いたのでしょう、すっかり腫れてしまった瞼から覗く大きな瞳をこちらに向けました。
「先生。あの人は、あの人の信じるものの為に生きたんですよね」
泣き疲れて、声はすっかりがらがらになりながらも、その瞳にはしっかりと透き通った光を湛えながら、私に問い掛けました。
「私たちには私たちの誠がある。彼は私たちの誠とは異なってしまった。それだけですよ」
同じ信念を生まれてから死ぬまで貫くのは容易では無い。
彼の誠は、私たち新選組の誠とは異なってしまった。
だから消えた。彼を斬った。
それが果たして、正しいことなのか、間違っていることなのか、分からない。
道が分かれてしまった。生きる道筋が分かれてしまった。
それだけだ。
「私・・・彼が大好きでした。今も大好きです。例え誠が異なったとしても、彼が好きだと言う心は変わらないんです。それは間違っている事でしょうか」
「いいえ。----好きなままでいてください」
「彼が死んだ事を悲しんでも良いのでしょうか?」
「----彼の為に泣いてあげてください」
私の分まで。
誠が異なる事。それはこの隊では生きてゆけない事を示す。
思想は彼と異なってしまった。
それでも彼は最後まで、彼だった。
だから、彼を偲んでしまう。
胸がズキズキと痛むのです。
それでも私は武士だから。
たった一つだけのものに、心を賭けるから。
彼を悼む事は出来ないのです。
私の隣では、彼がこの世からいなくなってしまった痛みに耐えて泣いている少女がいる。
彼とはもう、あの、穏やかな時間を過ごす事が出来ない。
そう思うと、込み上げてくるものがあるが、私は無意識の内に、それに蓋をする。
彼はもういないのだ。
それだけが事実。
「本当に神谷さんは泣き虫ですねぇ」
苦笑交じりに、彼女の頬を指で撫でると、またじわじわと涙が溢れてくる。
「沖田先生がそうやっていっつもいっつも人にばっかり押し付けて、泣かせるからいけないんです!」
泣きじゃくりながら、涙声で訴える。
私はそんな理屈にならない理由を本気で信じて言っている彼女が微笑ましくて、笑ってしまうと、そのまま彼女の涙を掬ってやる。
「まぁ。涙を拭うのは、代わりにして上げますから、一杯泣いて下さい」
すると、彼女はみるみる赤くなって、
「沖田先生のばか~」
と、また泣き出してしまった。

一杯泣いて下さい。
涙を拭われているのは、私の方なんですから。