「…真澄。ありがとう…」
そう囁く老婆の横で、真澄と呼ばれた少女は手に持っていたペンを置いて、首を横に振る。
「きっと人から見れば不幸な人生だと言われるかもしれない。可哀想だと言われる人生かもしれない…」
老婆はもう力の入らなくなった腕を持ち上げ、祈るように胸の前で指を組む。
「それでも私は、私にとっては幸せな人生だった…」
高い天井のすぐ横にある僅かな隙間から微かに零れる日の光が、老婆の体を優しく包み込む。
「…その想いを残したくて、私は貴方に紙に書き残してくれる事をお願いした…」
「もう伝え足りない事はないか?」
真澄の問いに、老婆は首を横に振る。
「ええ。…もう十分。ありがとう。真澄…」
そう言うと、老婆は長く息を吐き、そうして天寿を全うした。
――一つの物語が出版される。
ある少女の物語。
目を抉られ、耳を奪われ、手足の自由を奪われた、少女の一生。
傍から見れば不幸でしかない一生。
しかし、その物語の少女の心は常に幸せに満ちていた。
誰が書いたかは分からない。
真実なのかどうかは分からない。
けれど、その物語は人の心を揺さぶり、そして今も語り継がれ続けている――。
2021.06.29