時空の守者-第四章- 機械人形の恋3

「オレには心ってものがどういうものかは分からないよ。そんなの学者だって分かんねーんじゃないの?多分自分で自分の事を百パーセント知るのが不可能なように、人間が人間である限り百パーセント知るのは不可能だろ。だって痛みというものが痛みと言うものが機械人形がどれだけ判断に迷うものなのかさえ人間には分かんねーんだから」
カラシャは顔を挙げ、真澄を見る。
「だからそう言う意味では機械人形も人間も一緒だよ。人間は機械人形より更に早い情報処理能力と学習能力を持っているだけだと思えばいい。人間だって子供の時に親や兄弟と遊んだり喧嘩したりして、どの位で人は痛いと感じるのか、傷を負わせるのか、致命傷を与えるのかを知っていくんだぞ」
それはカラシャが始めて知る情報だった。
通電し、動かされた時から、今の姿だったカラシャには無い貴重な時間だ。
人間は赤子の姿で生まれ、子どもから大人になるものだという情報は勿論持っているが、その過程にどのような経験を積むのかまでは知らなかった。
「それはカラシャの言う0と1の情報を積み重ねと違うものなのか?オレにはお前の体が機械で出来ているという事以外、こうして話している内容の思考は人間と変わらないと思うが。人間の心というものが必要か?お前の中にはどうなるだろうという想像する力だって、お前がどうした言っていう意思だってあるじゃないか」
「それは多角的情報に基づいて計算された結果の確率と、人間の常識から導き出された最善策を出力しているに過ぎません」
「それでもいいんじゃねぇ?心はねーんだから無いもの強請りしても仕方ねぇ。機械人形である事は変えられないんだから、0と1で成り立つその回路を磨いて行けばいい。機械人形にしか出来無い治療方法を磨いていけばいい。逆にさっき言った通り人間同士じゃ気付けない、出来ない事だってできるさ」
真澄は肩を竦め、そしてにっかりとカラシャに微笑む。
その言葉にカラシャは目を見張り、一筋の道を見つけた気がした。
真澄はそんな彼女に気付いた様子なく、ベッドを降りると窓から外を見る。
背の高い建物が密接する路地が細く伸びている。しかし街灯に火を入られる事は無く、黒い闇に覆われてる。
時折闇の中に影が蠢くが、恐らく寝床の確保が出来なかった浮浪者たちだろう。
建物に目をやっても、窓から零れる光の数は少ない。
今、この街では建物の中で眠れる事だけでも途轍もない贅沢なのだろう。
真澄は目を細める。
そして、ふと、カラシャを振り返り、尋ねた。
「そう言えば、この街の人はカラシャが機械人形だって知ってるんだな」
カラシャは精巧に出来た機械人形だ。マルクも言っていたように、一見見ただけで彼女が機械人形だと気付く人間は少ないだろう。
けれど人は皆、彼女は機械人形出だと知って、同等の者の扱いではなく、物として見て彼女と接していた。
「それは先生がこの街で開業されたときに、患者さんにお話しされていましたから」
「へぇ」
「皆さんが機械人形だと知っても優しくしてくださったんですよ。人間と変わらないって。先生も嬉しそうに自慢されていて」
カラシャはその時の事を思い出しているのか嬉しそうに微笑みながら話す。
「でも今日は随分冷たくなかったか?口も利かず」
「--それは」
豹変する街の人たちの態度。
優しく接してくれたという彼らが真澄が今日であった人たちと同一人物だとは繋がらないだろう。
しかしカラシャは答えるのに一瞬躊躇してしまう。
真澄は本当に率直に思った事を口に出しただけなのだろう。問い詰める様子無く、ただ無邪気にこちらを見る。
「戦争の中心、兵士に機械人形が使われています」
「ああ。そういうことか」
言い出し辛そうに答えたカラシャの言葉に、真澄はあっさり納得した。
あまりにもあっさりとした真澄の態度にギャうにカラシャの方が拍子抜けしてしまった。
そんな彼女を見て、真澄は笑う。
「カラシャくらい精度の高い機械人形を作れる技術があるなら、戦場の兵士くらい機械人形で賄えるだろう。それがこの街で使われて、そこらへんでドンパチ派手な喧嘩して被害を食らってるなら、そりゃ機械人形なんて嫌われる対象になるだろう。いくらそれまで仲良くしてたって信じられなくなるもんだろ」
「――」
「あれ、嫌だよなぁ。自分のせいじゃないのに同じ種類ってだけで同類に見られるの。そういう時って何言ってもムダだし」
笑って言う真澄の前で、カラシャはふるふると首を横に振る。
「…何でそんなに分かるんですか…。まるで私と先生の事をずっと見てたみたいに…」
「あれ?当たっちまった?」
真澄は笑顔を固め、そのまま拙かったかとばかりに顔を歪めた。
「私は元々街のインフォメーションセンターで働いていました。けれどその施設は、街が戦場になり兵士にに機械人形が使われている事が広く知れ渡るようになると、私たち一般業務や補助や医療で使用さていた機械人形に対して不信が高まるようになりました」
「全く目的が違って作ってるから機能だって違うのにな。人間ってそういうとこあるよな」
真澄はカラカラと笑う。
「そして私たちは一台一台と廃棄されていきました。――捨てる場所も廃棄するお金も勿体無いと思った人間は裏路地に無造作に捨てていきました」
電池が切れればもう起動する事は無い。
カラシャたち機械人形にとっては人間で言う死と同じだ。
風と雨に曝され、仲間は道端で錆びていくだけだ。まだ再起動できる者もそうやって動かなくなっていく。部品を売ればお金になると知った人たちが人形たちを分解していき、今では分解された後の残骸が落ちている光景を見ることの方が多くなっていった。
「私は捨てられていたところをコールセル先生に拾って頂いたんです」
カラシャは嬉しそうに頬を染める。
「最初はこの近所の人たちも、私の境遇を知って同情してくれました。人間のように友人として扱ってくれました。けれど――目の前で実際人が機械人形によって殺されるのを見たら態度は豹変しました」
起動した当初人間のように友人と扱ってくれた人たちはこの街が戦場になり始め、戦闘用の機械人形が街中で戦いを始める事で現実として実感が湧いたのだ。
そして態度が一新した。
カラシャは戦う為に作られたのではないのに。
そして何よりもどちらの人形を生み出したのも人間なのに。
どうにかマルクと二人で街の人の意識を変えてもらおうとした。
カラシャが作られた目的――話は少しも伝わらなかった。
あろう事かカラシャを拾ったマルクが街の人間から糾弾された。
理解して受け入れてくれていたと思っていた街の人たちは実は彼らを何も理解してくれていなかったのだ。
それでも――人間を拒否できない。
人間の感情で言う、嫌いに慣れない。
「先生は何度も私の為に泣いてくれました。私たち機械人形は戦うばかりが目的で作られた訳じゃないのに。兵士として作られた機械人形だって、殺したくて人を殺してる訳じゃないのに。君たちを作ったのは人間なのに、ごめん。って」
それを見る度、カラシャは己が機械人形であることが申し訳なくて堪らなかった。
幾度もマルクの元からいなくなろうとした。
その度に彼は彼女を探し出すのだ。
「きっといつか皆分かってくれるから。どうかいなくならないでほしい」と。
私は確かに人間を必要とされている。人間が必要として作られたのだ。
そうマルクは教えてくれた。
「――どんな事があったとしても、それでも私は人間が生きる事を助ける為に行動したい」
真顔に変わりこちらをいる真澄をカラシャは見据える。
「私が今この街の人の為に出来る事がしたい。機械人形にしか出来ない事を」
「そうだな――」
真澄は彼女の視線を真っ直ぐ受け止め、そしてまるで楽しい祭りでも始めるかのように好奇心一杯の顔でにっと笑った。
「やってみっか」


例え貧困で喘ぎ、いつ戦火に巻き込まれるかもしれない恐怖が常に取り巻く街にも等しく朝は来る。
大地の形が変わっても、人間が建てた建造物が崩れても空の色は変わらない。
カーテンの無い窓から差し込む光が診療所に直接差し込む。
診療ベッドまで差し込む事は無いが光の無かった部屋の壁を青から黄、そして白へと色を帯び、椅子や机が床に黒い影を作り出す。
明るくなった室内に瞼を擽られ、マルクは目を覚ます。
どうして自分は部屋ベッドではなく、診察ベッドに寝ているのかと自問するが、すぐに昨日泊まった客人に自分のベッドを貸したのだという事を思い出した。
何気無く私室へと繋がる戸口を見て、――マルクは息を止めた。
――空いている。
慌ててベッドを降り、戸口を開け、中に入る。
「カラシャ!?マスミさん!?」
名を呼ぶが、部屋の中に姿は無く、ベッドは使った様子無く、綺麗に毛布が敷かれていた。
ベッドに駆け寄り、温もりが残っているか確認するが、冷たい。
「一体何処へ!?」
自分が外と繋ぐ玄関のドアのある部屋で寝ていれば何かあった時にはすぐ気が付くし、万が一気が付かなくても、カラシャがいればそれなりに対処は出来るだろうと思っていた。
この街は元は優しい人たちが多かったとはいえ、それはある一定の生活水準を保っていられたらの話だ。
どんな人間だって余裕が無くなれば生きる為に必死になるし、どんな事でもする。中には自暴自棄になる者だっている。
今この街で女子どもが生きるには危険が大きくなり始めている。一人で出歩いたらどんな目に合わせられるか分からない。
カラシャは人にとって嫌悪の対象であるから、今はまだ襲われていない。彼女だって見た目が女性なのだ。何時襲われるか分からない。彼女自身のパーツに目をつける者だって現れる可能性がある。だから昼間大通りを歩く事しか許していない。
マスミが己の腕にどれだけの自信があるかは分からないが、男相手にどこまで通用する術を持っているかは分からない。
だから自分が守れるように警戒して眠っていたのに。
マルクは慌てて玄関のドアを開ける。
「わっ!!」
「!?」
ドアを開けると目の前にカラシャが立っていた。
「カラシャ!何処言ってたんだ!?マスミさんは!?」
捲くし立てて問い詰めるマルクにカラシャは目を見開く。
「どうされたんですか?」
「どうされたんですかじゃないよ!何処に行ってたんだよ!?マスミさんは大丈夫なの!?」
焦るマルクの一方でのんびりした様子で答えるカラシャに苛立ちながら問い詰める。
カラシャは戸惑いながら診療室の窓まで行くと、窓を開け、上を見上げる。
マルクも彼女に続いて窓を覗き、上を見上げる。
見上げると同時に、突然空から紐が降ってきた。
「うわっ!」
突然目の前に紐が現れ、マルクは思わず後退る。
カラシャは分かっていた様子でその紐を掴むと、机の前にあったコンピュータに繋いだ。
電源を入れると起動し始め、情報ネットワークの中に入り始める。
「え!?回線が直ったの!?」
淡々と作業を進めるカラシャの隣で、マルクは驚いてコンピュータの画面を覗き込む。
それから間も無く廊下からパタパタと人の走る音がしたかと思うと、玄関の戸口からひょっこりとマスミが顔を出した。
「どうだ?繋がったか?…っと、先生、おはよう」
カラシャに確認する言葉を掛けると、真澄はマルクの姿に気が付き、にっかり笑う。
「おはよう…」
思わずマルクもにっかり笑って挨拶を返す。が、はっと我に返ると、ズカズカと真澄の前に歩み寄る。逆に真澄は彼の行動に驚いて後退った。
「おおおおおっ!?」
「何処へ行ってたんですか!?心配してたんですよ!?」
「え?あ…ああ」
「この街は今君みたいな女性にとって危険な街なんですよ!?」
「ああ…まぁ」
「分かってるんですか!?ただでさえ薄着でこんな所にいるのに、更に夜出歩くなんて!」
「はい。すみません」
あまりの剣幕に気圧され、真澄は素直に謝るしかなかった。
「分かればいいんです。――それで、これは何ですか?」
ふん。と大きく息を吐き、満足するとマルクはカラシャが操作し続けているコンピュータを指差す。
「コンピュータ」
あっけらかんと答える真澄に、マルクは溜息を吐く。
「それは分かっています。どうして回線が繋がるようになってるんですか?」
「あ、上手く繋がったんだな。よしっ!」
マルクの問いに答える事無く、彼の質問から回線が繋がっている事を確認した真澄は彼をすり抜け、うきうきとカラシャに歩み寄っていった。
「ちょっと待ってください!」
マルクは慌てて真澄を追うが、彼女は彼に目を向ける事は無く、コンピュータの画面を見つめる。
「どうだ?」
「…マスミさんの言ってた通り、この街の事は完全にシャットアウトです」
「そうか。んじゃ最後の確認、本当にやるんだな?」
真澄はコンピュータから視線を外し、カラシャを見つめる。
カラシャの表情は揺れる事無く、コクリと頷いた。そしておもむろに伸ばしてきたマルクが紐と思っていたケーブルをコンピュータから抜くと、己の手首に差し込んだ。
表面的には人間と同じ肌色の皮膚のようで挿入口らしきところなんて何処にも無かったが、ケーブルはまるで吸い付くように肌色の皮膚に入っていく。
「ネットワーク接続コードはランダムで入力します。中継ポイントは六箇所。転送可能エリア確認」
傍から見ればカラシャは机の前に立ち、何処か遠い目をしながら、言葉を発していく。
ただ一つだけ、右手首に人とは異なる違和感を与えながら。
マルクは二人の行動についていけず、何かを話しかけても淡々と作業内容を報告していくカラシャに問うのを諦め、やる事がなくなったのか、ボンヤリとしながら診療用の椅子に座り、カラシャの報告が終えるのを待っている真澄に向き直った。
「カラシャに何をしたんですか?」
「オレは何もしてねーよ」
「じゃあ何故カラシャは突然こんな事始めたんですか!?」
「カラシャが自分で望んだから」
その言葉にマルクはぽかんと口を開く。
「望んだ?」
しかし真澄は彼の反応に何かをいう事は無く、コクリと頷いた。
「そう。カラシャがあんたの為、街の為に出来る事が無いか。そう言うから、出来る事教えたら、やりたいって言うから手伝った」
「やりたいって何を」
「――ライブ映像の配信」
あっさりと答える真澄にの言葉の意味が分からず、マルク一瞬動きを止めた。
「ライブ映像?」
「そう。この街の現状を世界中に配信すんだよ。カラシャが今まで記録してきた映像とこれから記録する映像をネットワーク経由して全世界に配信する」
「そんな事して何に…」
「まあ、それはやってみなきゃ分からんけど。良い結果も悪い結果も転がり込んでくる可能性はあるな」
真澄はさも何もなさ気にカラカラと笑う。
「そんな!良い結果って何ですか!?それに悪い結果って…」
「だから出来る事なら、カラシャから離れる事をお勧めするぞ。リスク高い事やってるからな。下手したら命に関わるかも」
戸惑い、問い続ける事しか出来ないマルクを真澄は真っ直ぐ見据えた。
マルクは悪寒で全身に一瞬震えが走るのを感じたが、己の手首をぎゅっと握り締め、堪える。
「カラシャは機械人形です。意思は無いはずなんです。失礼を承知で言いますけど、真澄さんが指示を出したんではないんですか?」
彼女は並の人間ではない。豊富な知識を持ち、高い状況分析能力と危険地域に脅える事の無い強靭な精神力を持っている。
そんな人間ならカラシャをいのままに操る事など簡単ではないのか。
昨日、この家に彼女を招きいれたのは間違いだったか。
マルクはぎゅっと唇を噛む。
「マスミさんは私の願いに協力してくださっただけです。全ては私が望んでしているんです」
ある程度の処理を終えたのか、カラシャの手首にはまだコードが繋がれたままだったが、瞳の焦点が戻り、マルクを見据えた。
「カラシャ…」
「私は機械人形です。人間の為に作られました。私には何も出来ない。先生のお役に立てる事も少ない。私がこの街の人の為に出来る事が無いかお尋ねし、リスクもお伺いした上で私が望んで実行してるんです」
そう言うと、カラシャはマルクから視線を外し、真澄を見る。
「情報配信の方法の確立と、こちら側のプロテクト完了しました。そしてある程度の映像は今までのメモリからピックアップしてネット上に載せておきました。そしてエリア設定も再設定し直しましたので一回一回コードを繋がなくても、街の中の幾つかのポイントから転送出来る様にしました」
「取り敢えずはそれでOK。後は勝手にあちらさんが動き始めるさ」
真澄はおどけた表情で答えた。
何もかも置いてけ堀で話に付いていけず、どう入っていいのかも分からずにいたマルクにカラシャは向き直る。
「勝手して申し訳ありません。先生。――これから私といると危険を伴うと思われます。だから…」
「僕が君を拾ったんだ。君は僕の大切な家族なんだ。何が何だか分からないけど、そんな事で君を見捨てたりしない。僕は君から離れない。但しちゃんと説明してくれ。僕にも分かるように」
マルクは諦めたように苦笑して、カラシャを見た。
「それでまずは爆発で断絶したケーブルをどうやってここまで繋いだんだ?」
「引っ張って」
カラシャはそう答えるしかなかった。
「引っ張ってって…そんな長いケーブル何処にも無いだろう」
明瞭としていてそれで相手を理解させられない回答にマルクがどう聞いたらいいものかとポリポリと頭を掻いて問うと、真澄が答える。
「オレがこの街にある電波を飛ばす中継地点まで行って生きてる機械も直して、そこからここの屋上にある無線受信アンテナを直してみた」
「つまり、中継地点に行って、壊れた機械を直して、家の屋上にあるアンテナに直接無線で送受信できるように設定し直してきたと」
「そういうこと」
真澄が頷き、机のまでカラシャがこくこくと頷く。そしてカラシャが続けた。
「外を歩いていましたけど、ご心配は無用です。マスミさんとても強いんです。声をかけてきたり、不穏な行動をされる方をばったばったと倒されていったんです」
余程気持ちよいくらいの捌きだったのだろう。目を輝かせて語るカラシャにマルクは溜息を吐く。
「マスミさんは何でも出来るんですね」
いざとなったら二人を守るのは自分だと気構えていたが、これでは自分の立場が無いとマルクは気落ちする。
「何でもじゃねーよ。それにオレだって誰かと行動しねーと何もしねーし」
そう言って笑う真澄に、マルクは目を丸くした。

カラシャがネットワーク上にライブ映像を流し始めてから、変化が起こり始めたのはそれから十日後の事だった。
太陽が空高く上り、日差しも強くなり始める頃、路上でそれまで一日の時間をただやり過ごしていた人たちは一人二人と近くの公園へ集まり始める。
それは公園で一日に一回だが炊き出しが行われるようになったからだ。
街にある数箇所の森林公園としてあるようなそれなりに規模のある公園に数百人が列を作り、食事を取る。
街の人間は不思議に思い、炊き出しを行ってくれる人間に問う。
「何故突然こんな事を?」と。
彼らは一様に同じ事を答える。
『ネットワーク上でのこの街の現状が後悔されていて、自分にも何か出来る事は無いかとこのボランティアにさんかしたのだ』と。
街の人間には分からなかった。
この街のネットワーク回線は随分前に破壊され、まともにある物はないはずだ。
ここ数ヶ月この街に何が起こっているかなんて当人たちでさえ、ただ一人も知る術が無かったのだから。
ただ突然、街のあちこちで爆発と暴動が起き、大量の死者と大企業が街から逃れた事による失業者が一気に増えた事しか分からなかったのだから。
「マスミさん!凄いです!国内にあったボランティアの人たちが毎日炊き出しを行ってくれるのと、幾つかの慈善団体が生活に必要な物資を何回か運んでくれるようになりました!他にも資産家の人たちが幾人か寄付をしてくれるそうです!」
ネットワークに接続している姿を極力第三者に見られることを避けるようにしていたカラシャは診察室で日に数回定期的にネットワークから情報を収集するようにしていた。
喜びはしゃぐカラシャの横で、マスミは炊き出しで配られたパンにぱくりと齧り付く。
「ふーん」
「感動が薄いですよ!マスミさん!」
興奮するカラシャとは対照的に真澄は冷静だ。
「確かにここまで効果があるなんて、正直思っても見ませんでしたけど…大丈夫なんですか?」
空だった診療所の棚は今は薬品で埋まっている。その棚をマルクは見つめ、そして不安そうに真澄を見た。
「んー。まーな。世の中には善人でありたい奴はごまんといるからな。まぁ、戦場と化してるなら慈善団体も入ってこれねぇし、他国も介入できねーだろ。でもまだ戦争は始まってねぇ。だから出来る手段だ。これで多分戦争をおっぱじめようとして情報封鎖していた両国に国内外から圧力がかかるだろ。後はどう出るかだ」
この人はそこまで考えていたのかとマルクは感嘆の息を零す。しかし次いで出た言葉にがっくりと肩を落とした。
「あ、あと、その資産家ってーのチェックしておいてな。寄付内容もな。こういう慈善活動に乗じてお偉いさんの間で金横流しする奴と、上で止めておいて実際に必要な金を下まで流さない奴がいるからな。そういう奴のデータは後で取引に有利になるいい罪状になるからチェックしておくに越した事は無い。言っとくけど金の操作には手を出すなよ。バレるから」
「…マスミさん。腹黒いですねぇ。そこまで考えてるんですか」
「何を言う。世の中自分が得する為にはここぞとばかりに頭が働く奴なんかそれこそごまんといるんだぞ。そいつらを更に出し抜かなきゃ権力も金も無い一般人は渡り合えねーんだよ」
ふんぞり返り言い切る真澄に、マルクは何も言えなかった、
確かにそういう一面もあるからだ。
「どんな映像流してるか知りませんけど、カラシャのだと分かるようなものを流してはいないんでしょうね。マスミさんには感謝していますけど、これでもしカラシャに何かあったら許しませんからね」
威嚇する視線を真澄はさらっと受け流し、気にも留めない様子であっさりと目を逸らした。
「ちょっ…」
「コールセル先生!止めてください!」
まともに耳を貸さない真澄に苛立ったマルクは声を上げるが、カラシャが制止する。
「私がやりたいって言ったんです!極力私だと特定出来ない様にだってしてあります。いつだってマスミさんは私の行動に助言をくれるだけなんです。私に人間の想いは全ては分かりません。嘘を吐かれれば見抜けないし、駆け引きだって出来ません。だからマスミさんがいつだってリスクや成功率を含めて全て話してくれるんです。決めてるのは私です」
必死に訴えるカラシャにマルクは首を振る。
「ねぇ。カラシャ。何故君がそこまでしなくちゃいけないんだ。他の人だって出来るじゃないか。君がそれをやる必要があるのか?」
「先生…。先生はいつも泣いていたじゃないですか。薬がもっと十分にあれば。爆発が起きなければって。救えずにただ死んでいく人たちに泣いていたじゃないですか。医療からだけじゃ駄目なんです。目の前に救える命を救う努力だけじゃ変わらないんです。もっとこれから酷くなる。私は機械人形です。医療用が目的で作られたのではないからあまりお役に立てません。けど、ネットワークに関してなら、私はお役に立てる。私はお役に立ちたいんです。私に出来る事で先生を泣かせずに済む事ができる」
「僕は君がいてくれればそれでいい!役に立とうと思わないでくれ!何もしなくていい!何も出来なくていいから!」
叫ぶようにマルクは言葉を吐き出す。
「役に立つ事だけが全てじゃない」
「私は――でも」
カラシャは初めて戸惑いを見せる。
「人は傍にいてくれる、それだけでいいという想いだってあるんだ」
沈黙がその場に降りる。
カラシャは俯き、同じく俯いたままのマルクを少し見上げて、そしてまた俯く。
「それでも、私は…先生に、街の人たちに、前みたいに笑って欲しいです」
「―――」
マルクは何も言わない。
カラシャは顔を上げない。
カランカラン。
ドアベルが鳴り、腕を抱えた少年と連れ添った母親が入ってきた。