想う、時3

■想う、時・11■

「私は彼女を想う沖田くんの隣にいたい」
「…」
徐々に瞳に色が増し、真剣な眼差しで総司を見つめる少女を、彼も真っ直ぐ見つめた。
しかし、少女はすぐにふにゃりと表情を崩し、力の抜けた表情で笑う。
「なんてね。そんな事言っても、傍にいていつか『私が一番!』って言われたらそれが一番嬉しいんだけど。っていうかあわよくばなってやるぜ!みたいな勢いなんだけど」
「ぶっ…あははは」
総司はその少女の素直さに、今度こそ噴出して声を出して笑った。
「貴方面白い人ですねぇ」
「そう?偶にもう少し考えてから行動しなさいって怒られるんだけど。っていうか、いつもか!」
「あははははは」
笑う総司に、少女はほっとした表情で、もう一度総司を真っ直ぐ見上げた。
「いつかその時が来たら、私を振ってくれても構わないから。付き合ってください」
真剣に向けられる眼差しに、総司は静かに瞳を閉じた。

こんな人も世の中にはいるんだ。
そう、総司に教えてくれた。
そして。
好きな人と、隣にいる人が違う人の方が幸せになれる。
そうなのかもしれない。
その時、初めてそう思った。
過去世はセイが傍にいてくれて幸せだった。
けれど、現世で同じように彼女と出会って、彼女が傍にいてくれる事が自分にとって、――そして、二人にとって幸せなのか分からない。
過去があって今を生きている。
あの時の同じままのセイではきっと無いのだ。総司も自分自身があの頃と同じとは思わない。
今を生きているから。
今を生きているからこそ、もしかしたら出会う事が不幸に繋がるかも知れない。もしかしたら結局破局するかも知れない。
それでも。

――瞼を閉じれば浮かぶのはセイの笑顔。
涙が零れるほど狂おしく、愛しい――。

自分の隣に誰かがいれば、きっと自分はその人に情が沸く。
それに一欠けらの恋情が含まれなくとも。
もし出会ったその時に、全てを投げ捨てて迷わずセイを選ぶ自信は――無い。

それでもセイが全て。
それが総司の全てだから。
もし出会えても。
もし出会えなくとも。
迷い無くセイを選ぶ為に。

その場で即答の出来なかった総司は、後日、もう一度少女と出会い、再度断った。
少女はその時も「こんな理解のあるいい女振って、勿体無いんだから」と笑っていた。
本当にそう思う。
どうか彼女には幸せになってほしい。
その相手は自分では無かったけれど。
心から願った。

――サエと名乗る少女は、あの頃よりもずっと総司の心に柔らかな感情を残した。

いつかは。と希望は捨ててはいない。
それでも。
今生で本当に会えると言う確証は何処にもない。
だから時に不安になるけれど。
出会う前から諦めたくは無い。
出会う努力も無しに諦めたくない。
総司にとってセイは、例え過去世で出会った存在でも、今生で会えなくても、大切な存在である事は一生変わらないから。
誰よりも愛しい人を何の迷いも無く抱きしめたい。
母に今を生きると約束したけれど。
結局、セイが全てで総司の今の世界は成り立っている。

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■想う、時・12■

「さいっとうさーん」
「近付くな!黒ヒラメ!」
「ヒドーイ!折角今生でも記憶持ったまま会えたのにー。もっと構ってくださいよぉ」
「断る!折角前世で縁が切れたと思って清々してたんだがな!」
「そんな事言って~恥かしがりやさんなんだ・か・ら♪」
「斬るっ!」
「刀は無いですよ~」
「殴るっ!」
大学構内の一角、学部こそ違えど、同じ大学内ですれ違った斎藤に気付いた総司はすぐさま、「友だちになってください!」と近づいた。
その返しが「断る!二度と黒ヒラメの相手はせん!」だった事で、斎藤が過去の記憶を持っている事に気付いた総司はすぐその場でその事を確認した。
彼曰く、まだ思い出して間もないとの事。
その他の過去の事を彼は触れない。
「ねぇ~。神谷さんの事何か知ってるなら教えてくださいよ~」
「知らん」
「えー。でもぉ、斎藤さんが一番長生きしてたじゃないですかぁ。絶対可愛い弟分の事を心配してなかったと思えないんですけどぉ」
「知らん」
「神谷さん、函館に行ったんですよね~。その後の消息を知りませんか?」
「知らん」
斎藤の返答はいつも同じだ。
出会ってから総司は何度もセイの事を尋ねた。今まで出会った過去の記憶を持つ人物で、最も長く生きた人間だからだ。
「一度聞きたかったんだが、アンタは自分の死後の神谷の話を聞いてどうするつもりだ」
いつも総司を無視するように彼が幾ら声をかけようが、振り向きもしなかった斎藤が初めて振り返ると総司を真っ直ぐ見据え問いを口にした。
「どうするつもりって…」
「アンタはあの時代のあの時に死んだ。その後、神谷がどんな風に生きたかを聞いたところで今更アンタはそれに関わる事は出来ない。聞いてどうする」
「…少しでも神谷さんの事が知りたいんです」
「それでは、神谷は女子の姿に戻り、所帯を持ち、優しい旦那と子ども5人授かり幸せに暮らした。――そう答えれば満足か?」
「…っ」
「満足か?沖田総司」
「……神谷さんが幸せに暮らしたというのなら…」
「とてもそうは見えない顔だがな」
握り拳を作り必死に憤りからくる振るえを耐え、今にも泣き出しそうな表情を堪える総司の姿を冷ややかな眼差しで斎藤は見つめる。
「人の一生とはその人物だけのものだ。死した瞬間に他の人間の人生に干渉する事も介入する事も出来ないし、ただ出来事を擬えた所でその時代のその場にいなければ真の共感も無いだろう。神谷がもし本当に嫁いだとしてあれと同じ状況下に置かれなければあれがそうする事を選んだ理由だって微塵も理解出来ないで、ただ嫉妬に狂うだろう。今のアンタは正にそうだろう」
そう言い放たれ、総司は彼の知らないセイの未来が少なくとも今現時点の話では斎藤の作り話である事に気付き、ほっと安堵すると同時に、酷く惨めな感情に陥る。
「…ひ…どいなぁ…斎藤さんは…」
「そうか。アンタは事実が見えていないようだからな」
「…鋭すぎて…イタイです…」
斎藤は無表情のまま痛みに胸を押さえる総司を暫く見つめ続けたが、やがて溜息を吐く。
「…悪いがな。沖田さん。アンタが神谷を必要としている事も、アンタの死後、アンタの知らない神谷の人生を少しでも知って、知らないピースを埋めていこうとする気持ちも分かる。だがな、俺も俺の人生を生きた。アンタが死んだ後もそれなりに長い人生を生きた。俺より前に一つの人生を全うし終えた者にその後の俺の人生をそう易々と人に切って分けてやれる程軽い人生は送ってないんだ」
「……」
「土方副長から函館に神谷が来たと聞いたのだろうが、それ以上の事を教えてくれたか?」
その問いに総司は力無く首を横に振った。
「そういう事だ」

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■想う、時・13■

セイはどのような一生を送ったのだろうか。

総司の目に焼きつく最後の表情は――笑顔。
笑顔で今生の別れをした後、彼女はどのように行動し、どのように生き抜いたのだろうか。
自我を持ち始め、前世の記憶と現世の記憶の区別がつき始めると、まず一番に歴史書を片っ端から読み漁った。
セイは新選組では目立つ存在で、自分から厄介事を持ってくるのも多々あり、また剣術も腕もさる事ながら事務や会計など庶務に関しても有能で、幹部も覚えもよく、また人気もあった。しかし、それを歴史として捕らえるのなら、あくまで彼女は、ほんの一隊士でしかない。
だから文献にも名前が出て来る事はまず無く、それでも懸命に、『神谷』や『清三郎』という文字を求め探した。
新選組に関連のある場所だと言われれば国内何処でも巡り、懸命に彼女の足跡を探した。
現世の彼女の姿を求めながらも、過去の彼女の生涯を知りたくて、駆けずり回った。もしかしたら関連した場所に彼女がいるかも知れない。もし自分と同じように前世の記憶を取り戻していたのなら彼女も史跡に来るかも知れない。そんな期待も込めて。
しかし、彼女の足跡は何処にも無かった。
全く。微塵も。
疲れ、諦めかけていた時に、土方が記憶を取り戻した。
光明が差したと思った。
しかし、彼は「神谷は函館に来て、俺の傍にいた」という事は話してくれたが、それ以上語る事は無かった。
彼自身、記憶を取り戻すまでの総司のセイを必死で捜し求める姿をずっと見てきていたから少しでも語ろうとしてくれているのは分かった。けれど、毎回口を開いては、閉ざし、「すまない」とだけ言ってそれで終わる。
その表情はいつも何か葛藤と苦悶を滲ませていた。

人一人の人生。
既に先立った者に共有する権利は無い。

そう言われればその通りだった。
歴史書を見れば、土方がどんな人生を生きてきたのか、どんな最後を迎えたのは、字面を負う事は出来る。
しかし、その時どんな状況で、何を感じ、何を想い、何を求め、何を決断し、何を選択したのか、その全てを思い馳せる事は出来ても、真の意味で共有は出来ない。それはきっと近藤にも。
そして知らない者に、伝えても共有出来ない事を思えば、理解されない空しさも理解を求める切なさを抱えた上で、口に出すのも憚れるし、己の命の重さを他者に押し付ける事も分け与える事も容易ではない。
それが悔しくて、涙が出る。
想いの共有も出来ないまま同じ時代の記憶を持つ者同士が出会うくらいなら、自分だけが記憶を持っているという孤独の方がマシだったのでは無いかと思えてくる。

それでもセイの人生を追いたかった。
総司の死後、何を思って函館に向かったのか。
函館で土方と共に戦争で命を落としたのか、それとも彼の死後も生きたのか。
どう生きたのか。
幸せに生きたのか。
――女子として誰かに嫁し、子を成したのか。

―――神谷さんは私の事、どう想っていましたか?

「沖田先生」
柔らかな声が耳を擽る。
すぐ傍で。
静かに目を開けると、走り続ける列車に朝日が差し込み始めていた。
「神谷さん……」
今を生きる為に、と。
どれ程心から打ち消そうとしても、湧き上がる。
泣きそうなくらい、胸が締め付けられる、愛しさ――。

貴女は今何処にいますか―――?

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■想う、時・14■

一人の青年が笑う――。
風のような人だった。
いつも掴み所が無くて。けれど誰よりも芯が強くて。
真っ直ぐに彼の師だけを追い求め、傍で命を懸けて守る事を誇りにしていた。
誰よりも武士だった――。
私はこの人の為に生きたい――。
そう願った。

最後に笑う彼は、何処かすっきり表情を見せていた。
命費える最後の時までも彼は潔く、死さえも真正面から受け入れた。
「どうか笑ってください」
彼がそう望むから。
彼の瞳に焼き付く最後の表情は笑顔がいいと思ったから。
――私は、笑う。
「神谷さん」
私の名を呼ぶ、声。
私の手を握る掌。
熱い――。
それは私の体温だろうか。彼の体温だろうか。

誰よりも厳しくて、誰よりも優しい人。
縋り付く私を優しく抱き締めてくれる。
どうか。
どうか。
逝かないでください。
そう無茶な願いを紡ぐ私、沖田先生は笑ってくれました。

――誰よりも愛しい人。

沖田先生は覚えていないかも知れません。
それでも、私は、先生の一言で決めました。
『生きる』と決めた――。
どれほどの慟哭が待っていようと、どれほどの痛みが待っていようと。
私は、私という『生』を精一杯生きるのだ。
生き抜いて、そして、いつか先生に出会った時に、言ってもらうのだ。

「おかえりなさい」

私の元へお帰りなさい。
と。

最後に映るのは、桜――。
満開の桜が、私の視界を染めました――。

「ただいま。沖田先生――」

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■想う、時・15■

ぽろぽろと零れる涙が、頬を濡らしている事に気が付いて、少女は目が覚めた。
上半身を上げると、顔全体が濡れていて、彼女はそんな自分にくすりと笑って、パジャマで拭った。
ほう。と一つ息を零すと、窓を見上げる。
カーテンから零れる光を眩しそうに目を細めて見つめた。
「そうか。そうか」
そう呟き、そしてまた呟く。
「なるほど。なるほど」
カーテンを開き、そして窓を開ける。
春を迎えたばかりのまだ冷たい風が吹き抜けた。
少女の頬を撫で、髪を揺らす。
そうして室内を巡り、そしてまた青空に向かって天高く舞い上がっていく。
あの時代を生きた、あの時を何も変わらない風。
――いつも、いつだって、風は一緒にいてくれた。
静かに瞼を閉じ、そして瞼の裏に浮かぶ光景に微笑む。
「沖田先生…」
呟くだけで、とくりと鼓動が鳴り、胸に熱いものが込み上げてくる。
「変わらないなぁ。私は」
そうぼやくと、少女は開けていた窓を閉め、徐に着替えを始める。
それはいつもと変わらない日常の行動。
今を生きている自分が毎日繰り返している朝の準備。
パジャマから手近にあったシャツとパンツという格好に着替え、洗面台の前で簡単に身支度を整え、冷蔵庫の中にあった適当な食材を口に放り込むと昨日家に帰って来た時に置いた形のまま置かれている鞄を手に取って、家を出る。
一人暮らしを続けていると最初は生活の色々な面に気を遣っていたはずの事が段々簡略化されていく。
特に食事については食べる事自体に拘りが無いから余計に素早く噛り付けるものばかり選ぶ。
「…変わらないなぁ…」
少女はまた、思い出して笑う。
いつかの時もそうだった。
現代から考えれば短いだろう一生涯の後半は殆ど食事は食べれる時に食べる。
時代が時代だったという事もあるが、毎日食事が出来るだけでも最高。腹を満たせられればそれで良かったので栄養も味も拘る事は無くなっていた。
あの人がいなくなってからは特に。
考える必要が無くなったから。
自分が生きられればそれで良かったから。
「まぁ、生き方も相当変わってたしなぁ。今は食べるのが面倒くさいだけだけど」
マンションを出ると一年中外に置きっぱなしになっている自転車に跨る。
「セイちゃん」
「はい」
いざ。出発という所で声がかかり、少女は振り返った。
玄関前で手を振るのは、最近引っ越してきた隣の家に住む若夫婦の奥さんだった。
彼女は晴れた青空の下で良く似合う爽やかな笑顔で手を振ってくれた。
「いってらっしゃい」
とくん。
いつも交わす言葉なのに、大きく鼓動が一つ鳴る。
一瞬涙が零れそうになって――笑った。

「行ってきます!」