■はんぶん・66■
「ここに富永セイさんいませんかっ!?」
「えっ!?沖田先輩?」
教室に突然駆け込んできた総司の姿に、里乃は驚いた。その驚いた声に気が付いた総司は彼女の姿を見つけると一目散に駆け寄った。
「お里さん!セイさん、今日ここに来てませんか!?」
「え?どうして私の名前…」
セイの横で里乃は何度か総司の姿を見ているし、総司も同様だが、互いに改めて名乗った事は無いはずだった。
「そんな事は今はいいんです!セイさん来てません!?」
「…いえ、セイちゃんは昨日家に泊まりはったから、朝一緒に学校まで来て…大学校舎に走って行きましたえ」
「大学校舎!?」
「…沖田先輩を探しに…」
「ありがとうございます!」
目を丸くしたまま里乃は走り去っていく総司の後姿を見つめた。
会ったら文句の一つでも二つでも言ってやろうと思ったのに、必死な形相でまさかの高等部のしかも教室に入ってくるとは思わなかった総司の予測不可能な行動に、里乃は彼の問われる事に答える事しか出来なかった。
「何で、そんな灯台元暗しなんですかっ!」
総司は悪態を吐きながら、大学校舎に向かって走る。
途中藤堂にセイに声を掛けられた話を聞いた、そして答えた教室に向かうとそこにいた同じ授業を取っていた男子学生に冷やかされながらも女子学生が自分が欠席している事を伝えてたと教えてもらった。
何処までも噛み合わない。
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■はんぶん・67■
「神谷…富永にはお前が必要なんだよ」
そう、先刻土方に告げられた言葉が総司の中で段々と大きくなっていく。
「お前はそんな事も分からないのか。あんなに神谷の傍にいたのに」
総司には分からない。
あの時セイは望んで彼の最後を見取る事を決めたのだ。それだけは分かった。
セイはセイの生きる時を精一杯生き、己で選択して武士として生き抜いたのだ。
それでも、一時でも彼女を束縛し、執着した総司が彼女にとって今も必要な存在なのか分からない。
「じゃあ、お前は昨日も言ったが、富永にもう傍にいて欲しいとは思わないのか」
そんな事は無い。
傍にいてもいいというのなら、傍にいたい。
「…本人が言わないのに…というかこの間まで記憶が無かったのに俺が言うのも気が引けるんだが…アイツはお前がいたから新選組にいて、お前が死んだ後も、武士として生き抜いたんだぞ」
それは、自分が彼女の幸せを奪った事にならないか。
「お前、まだそんな事言ってんのか!?そんな事ねぇのはアイツがどれだけ武士として働いてきたか見てれば分かるだろ!アイツは望んで新選組いたんだ!そしてお前の傍にいる事を望んだんだ!」
そう。セイは望んで新選組に入り、武士として勤め上げた。
本来ならなる事も出来ないはずの武士になり、望みを叶えた。総司がセイには閉ざされていたはずの願いを叶えた。
そして、今も。
セイは軽口や喧嘩はするが、どんな時でも常に深入りはせず、相手の気持ちを常に何処かで配慮する。本当の想いを口にした事が無い。土方や祐馬にさえ。我侭だとさえ思って。
それを、総司だけにだけは吐露できるのだ。
「それでも富永にお前は必要無いって言えるのか?」
本心を言える相手もいない。思いさえ気付かないよう自分で蓋をする事ほど辛い事は無い。
彼女にとって総司は必要なのだ。
これからを生きる為に。
そうは思わないのか。
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■はんぶん・68■
総司は校舎を駆け抜ける。
『なぁ、もし運命なんてもんがあるなら、運命がお前たちを引き寄せて、今度は引き離そうとする』
だとしたら、これも運命と、もう諦めるべきなのか。そう問うと、土方は首を振った。
『運命なんてクソくらえっだ!俺たちは幾度も振り回されたんだ、今世まで振り回されてたまるか!振り回されるより前に捕まえろ!運命なんかより早く駆けろ!』
新選組の崩壊、近藤の断罪、総司の発病、そして函館での己の死。
あの時代、彼らの中で最も長く生きた男は、誰よりも運命に翻弄される仲間を見続け、己にも次々に襲い掛かる運命に、もがき、足掻いた。
それは徒労に終わったのか、それとも運命を逃れ、彼の望む生を生き抜いたのか。
総司が踏む込むには、まだ、足りない。
『なぁ…神谷捕まえたら』
土方はぽつりと呟く。
『……箱館の話聞かせろと言っておけ』
――彼にとっても、セイはかけがえの無い存在なのだ。
『好きなものは好きだって仰っていいんですよ。好きなものは好きでいいんですよ』
無性にセイを抱き締めたくなった――。
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■はんぶん・69■
あれだけ毎日出会っていたのに。
なんて勿体無い事をしていたのだろう。
一日一日、会わないだけで、どんどんと記憶が風化していく。
鮮明にあったはずの今という時が、思い出に変わっていく。
少しでも早く出会って。
少しでも長く傍にいたい。
いつだって心は欠けたままで。
失っていたと思っていたものが実は傍にあった事を教えられて。
必要ないと思っていたものが、何よりも大切だった事を教えられて。
それを教えてくれるのはいつも貴方で。
また、傍にいたいと望んだのに。
本当は、出会う前から、ずっと求めていたのに。
あの時、あんな事言わなければ良かった――。
『大嫌い』
だなんて。
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■はんぶん・70■
セイは桜の木を見上げていた。
桜は既に散り、青葉も徐々に衣の色を変える準備を始めている。
出会った時の満開の薄紅色の花弁は面影も無い。
それでも、セイは見上げ、そして、涙を一粒零した。
走り回った。
大学部も、総司の家も、高等部も、総司と今まで偶然出会った場所全てを走り回った。
それでも総司は何処にもいなかった。
彼の通った名残だけがその場に残されていて。
肝心の彼は何処にもいなかった。
あの日、あの時、あんな事言わなければ良かった。
『大嫌い』だなんて。
そうしたら、今頃は毎日出会う総司をやっぱり好きになって、傍にいて、こんな風に会えなくなる様にならなかったかもしれない。
総司が幸せでいてくれたら傍にいられなくてもいいなんて、嘘だ。
総司が誰かと幸せになっている姿を見ても、傍にいられたらそれでいいなんて、嘘だ。
今も、昔も。
「…沖田先生…」
「神谷さんっ!」