凍る月16

総司とセイが『付き』こと月を送り届けたのは、一つの屋敷だった。
江戸城から歩いてすぐの場所。後で町人に聞いた話によれば元々老中で今は退いてはいるものの、今尚城内での発言力は強い人物が住んでいるらしく、数ヶ月前から大病を患い、残り幾許の命と言われているらしい。
その人物の回復を望む者とそうでない者の思惑が交錯し、月はその人物の回復を望む側の人間に依頼され、今回遣わされたのだろう。
要人警護として京から長い旅を続けてきて屋敷に辿り着いたものの、すぐさま月は何処へか連れて行かれ、総司とセイ二人招かれた部屋でこの屋敷の主の代理らしき人物と対面し、今回の到着まで日数がかかった事、姫を送り届けられなかった事への叱責は受けたが、その言葉に感情も重みも無く、体裁を取り繕うだけのように軽く、処罰も無かった。
総司とセイには茶一つ出される事無く、駄賃とばかりに幾許かの金子を渡されると、早々に屋敷を追い出された。
今回の要人警護について、何一つ説明無く。
月が言ったように、旅の目的も、何故に襲われ続けたのかも、一切説明無く。
屋敷から出ると、それまで荒れ続けていた海が凪いだかの如く、殺意の込められた視線も気配も感じられなくなった。
護衛中何人もの人が殺され、その度に姫や護衛が変われば、姫や護衛たちは逆に全て仕事として何の疑問も無く遂げられるのかもしれない。
しかし京から江戸まで共に旅を続けてきて、あれだけの刺客に襲われ続け、更にその刺客から護衛する対象であった姫が死んだというのに何の処罰も無ければ、流石に仕事として割り切れといわれても、何の疑問も持たず引き下がる事はできないだろう。
そうは思うが、きっと誰に聞いても、何も教えてくれないだろう。逆に、詮索する事で粛清されてしまうかもしれない。
月が言っていた事は正しかった。
屋敷を出て、二人は思った。

「―――」
街中を歩きながら、総司はふと、空を仰ぐ。
隣を歩いていたセイも彼に習って顔を上げ、首を傾げた。
「どうかしましたか?沖田先生」
不思議そうに彼を見上げるセイに、総司は首を振り、「いいえ。何でもありません」と答えた。
「この後どうなさいますか?折角だからご家族に会われていかれますか?」
「そうですねぇ」
「私はその間別の所で時間を潰していますのでゆっくりなさってください」
笑って言うセイに総司は苦笑する。
「貴方は一緒に来ないんですか?」
「えっ。あっ。だって、ご家族様にお会いになられるのを邪魔する訳には…」
「私の可愛い弟分ですって紹介させてくれないんですか?」
「かっ可愛いって…!?」
動揺して顔を赤くするセイに総司は笑う。
セイは気付いていない。ならそれでいい。
本来なら屋敷を出たその瞬間に総司もセイも屋敷の人間に粛清されるのではないかと思っていた。
月とはすぐに離され、屋敷の人間には何も語られず、何も尋ねられなかった。
きっと今までもそうして何も語らずとも、敏い人間なら短期間の護衛であっても、何か悟られるかもと、月と引き離された時点で切り捨てられてこなかったはずが無い。
月の話を聞いて、その考えは更に深まった。
しかも京から一度も護衛が変わる事が無く同行し、囮だとはいえ当初の目的である姫は殺され、途中で総司たちが傷を負った事も知られているだろう。
それだけの事が起こったにも関わらず、傷一つ無しに、月だけを送り届けてきたのだから、事情は知らなくとも月の力が使われたと憶測されるのは普通だろう。
目的地に辿り着く際、「帰りはもう怖れる事はありませんから。ゆっくり休んでから帰ってください」と月に言われた言葉を信じていない訳ではないが、彼は常に囲われる身、そんな権限も無いと思っていたから、余計に不気味だった。
他に考えられるとしたら今回の旅の過酷さを知っているが故、命を全した後の事までを呼んで松本が根回しをしたか、もしくは浮様にセイの話を聞いたというからそちらからの圧力か。
それともやはり、逆に何も知らないで総司たちが命を全うした場合、逆に何も知らない人間を襲う事で総司たちや彼らの周囲の人間に疑問を持たせないように襲わないのか。
今まで旅の途中護衛が交代した事が無い事が無いと月は言っていた。それを総司たちはやってのけたのだ、総司やセイが一筋縄で大人しく斬られるとは思っていないだろう。確実に討ち取れるのならまだしも、できなかった場合の不利益を考えると襲えないのかもしれない。
「沖田先生。聞いてます?」
思考していた総司にセイは頬を膨らませる。
――神谷さんが無事ならそれでいい。
「どうしました?」
笑みを浮かべ応えると、セイは「大丈夫ですよ」と笑った。
「たれ目のおじちゃんが言ってました。行きはどうにもならないけど、帰りの身の安全は保障するって。私だって何も考えてない訳じゃないんですよ」
そう言い放つセイに、総司は目を丸くして笑った。
先程まで屋敷を出た後も、総司が纏い続けていた何処かピリピリとした空気が一気に和らぎ、セイはほっとする。
セイだって考えてなかった訳ではないのだ。
月が信用できない訳ではないが、改めて彼の身の上を知ることで、ある意味捕らわれの身となっている彼に自分たちの命を左右する権限があるとは思えない。
それでも帰りの安全は出立前に松本に確約させていた。何処まで有効かは分からなかったが、総司の身を守る為に必要だと思ったからだ。まさか浮之助が背後にいるとまでは気づかなかったが。しかし、もし今回の事で彼が何かしらの指示を出しているのなら誰も手出しできないだろう。彼の配慮の上での松本の確約なのであれば信が置ける。
元より新選組自体、今日でも忌み嫌われ、いつ襲われても対処できるように鍛錬も積み、その覚悟もあるが、それでも危険は少ないに越した事は無い。
「本当に神谷さんは頼りになるなぁ」
「私なんてまだまだです。…だって姫様は…」
そこまで言ってセイは口を噤み、そして総司もセイの命を身を挺して守ってくれた姫を思い出した。
「――沖田先生」
意を決して顔を上げるセイに、総司はこくりと頷く。
「行きましょうか」