幾重

「んぅっ…っ」
塞がれる唇。
深く重ねる事によって呼吸が出来ないセイは、己が彼の人の背に回していた手首を外し、身を離そうとした。
「ふっ…」
体を引こうとすると、それに反応して、逆に己の背に回っていた腕に引き寄せられる。彼の人の胸元に。
そして、離れようとしていた唇は、更に深く重ねられた。
どうか呼吸をさせて欲しい。そう願う為に、重ねられた口腔の中で声を出そうと舌を震わすと、更に深い口付けを請うていると勘違いされたらしく逆に絡め取られてしまった。
溢れ流れ込んでくる彼の人の雫にセイがこくりと喉を鳴らすと、やっと満足したらしく、少し唇が離れた。
「…神谷さん…だから呼吸は鼻でするんですってば……」
「っはぁっ…っはぁ…沖田せんっせ…っ死んじゃいますっって……だいたっいそんなの…緊張して出来ませっ…っ!!」
苦情を言える程に呼吸が整ったと思ったら、再び総司はセイの唇を塞いだ。
甘い水音が響く。

きっかけは、一度口付けを交わしてから数日後の事だった。
恋仲になってから数ヶ月経っての初めての口付け。
随分と遅いと言われればそこまでだが、それでも互いに野暮天の二人にしてみれば劇的な変化だった。
触れるだけの口付け。
それでも触れる唇から互いに相手を慕う気持ちが伝わっていて、総司は嬉しそうに微笑みながら頬を染め、セイは思わず涙を零してしまった。
そんな初心な二人だったのだが、幸せだった。
しかし、ある日、総司が血相を変えてセイの元へ駆けて来たのだ。
「神谷さんっ!知ってましたっ!?接吻って色んな手練手管あるんですって!」
それが、始まり。

「神谷さんももっと頑張ってくださいよぉ」
息も上がり肩を上下させながら大きく深呼吸を繰り返すセイを抱えたまま、総司は小さく舌を出すと指差した。
「むっ…無理ですっ!今だって恥ずかしいのにっ…」
「そんな事言ってたら上級者になれませんよ!」
「なってどうするんですかっ!」
屯所の一角。人の通らない縁側に腰掛けていた総司はセイを膝に乗せて抱えたまま不服そうに彼女を見上げた。
実際に恋仲になったのは最近ではあるが、一応周囲では二人は念友と思われているものの大っぴらにその辺で接吻を交わす訳にはいかない。
というか、総司はいつでも何処でもしたいが、セイが許さない。
ので、いつもこうして二人でゆっくりできる時間に触れ合う事で互いに恋人として満たされる時間を過ごしていた。
「だってー原田さんが極めると気持ちいいっていってたんですもん。女子も溶ける様な表情するって」
「なっ」
「私はまだ神谷さんにそんな表情させられないから悔しいんですもんっ!いつだって眉間に皺寄せちゃうし。神谷さんにだって気持ちよくなって欲しいですっ!それに今よりもっと気持ちよくなれるって言うんですよ!是非なってみたいじゃないですかっ!」
「な、な、何言ってるんですかっ!」
ぼんっと顔を真っ赤にして反論するセイに総司は困った表情を見せる。
「だって、本当は私がもっと色々手練手管持ってて貴女を気持ちよく出来ればいいんですけど、残念ながら経験不足ですし…今更他の女子とする訳にはいかないでしょ」
「ダメですっ!」
透かさず叫ぶセイに、総司は嬉しそうににへらと笑ってしまう。
「もうっ!神谷さんったら焼餅焼きさんなんですからっ!言われなくてもしませんよ。だからやっぱり二人で極めて行くしかないじゃないですか」
「う…うぅ…うぅ?」
総司に抱き締められる腕の中、それは正論なのか正論じゃないのかセイは混乱し始める。
「触れられるだけで幸せなんですけどねぇ。でも二人で気持ちよくなれるならやっぱりなりたいじゃないですか。一緒に」
「うぅ…」
「だから頑張りましょ。ねぇ、そうだ。恥ずかしいと言うのなら、恥ずかしくならないくらい慣れればいいんですよ!」
「うぅ…?」
「私もやっぱり恥じらいが残りますからね、でも二人で慣れればいいんですよ!」
これ以上無い名案とでも言うように目を輝かせて言う総司に、セイは明確な返答をする事はなかった。
そして、それを後悔する事になる。
――何かの隙を見ては接吻をするようになったのだ。

朝おはようのちゅー。
顔を洗ってすっきりしましたのちゅー。
朝御飯食べた後の甘味代わりのちゅー。
稽古で汗かいたので拭いましょうのちゅー。
巡察前に気を落ち着かせましょうのちゅー。
無事帰ってきておかえりなさいのちゅー。
……。
勿論締めはおやすみなさいのちゅー。
――しかも器用な事に誰にも見られないように、毎回物陰に引き込まれたり、一瞬で周囲の人間が気付かないようにだったりと、セイの希望を配慮しつつ…。
そして二人きりの時間が出来れば、じっくりねっとりぐったりするくらいまで総司の接吻の稽古(?)に付き合わされる。
「…沖田先生って…一つの事に嵌るととことんですよね…」
総司の提案が実行されてから数日後、いつものように総司の膝に乗せられ唇を請われるセイはぐったりとした表情でそう呟いた。
「そうですか?そうかも知れませんね。大好きなものは極めたいし、一途ですから」
剣術といい、近藤至上主義といい。
一つ嵌り集中したらとことん極める総司の性格は把握しているつもりだった。
二人が慣れる為にと総司が努力しているのはよく分かる。
しかし何かが違う。
何か根本的に違う。
とセイは思うのだが、総司は至極真剣だ。
そこまで真剣だと何かを言う気も消え失せてしまう。
そして真剣な総司に対して、逆に毎日膨らんでいく不安がセイの中に形となって浮上してくる。
「…先生呆れちゃうかも…」
セイは少し落ち込んだ表情で呟いた。
「どうしてですか?」
総司が首を捻ると、セイはただ首を横に振る。
「…だって私幾らしても慣れないんですもん…皆に見られるかも知れないってどきどきしっぱなしだし、先生の顔が近付いてくる度に毎回どきどきするんですよ。いつまで経っても慣れる気がしません…」
そうセイが呟くと、総司も苦笑して、そして彼女の額に己の額をこつんと当てた。
「…実はね、私もそうなんですよ…人前でってだけで私も結構恥ずかしさ抑えて頑張ったんですけど、いつだって唇触れるだけでどきどきしちゃうし…」
「だったら、やっぱりいつでもじゃなくて、こうやって二人きりの時に徐々にでよくありませんか…私たちにはゆっくりが合うと思うんですけど…?」
「いえ!それは無いです!」
それが言いたくて、セイは意を決して自分の気持ちを吐露してみたが、それに対して、総司はきっぱりと反論した。
恥じらいの表情から一気に意志の強い瞳を取り戻す変化の速さにセイは目を丸くする。
「だって、いつまでも接吻ばっかりじゃ先に進めないですよ!私もっと神谷さんと色々したいんですからっ!皆に今まで一杯色々聞いてたから神谷さんとそれができると思うと嬉しくて!」
「なっ…な…」
「接吻くらいで恥らっている場合じゃないんです!」
頬を赤く染めながら、己の意思を語る総司に、セイは思わず身を引こうとするが、総司にがっちりと背に手を回され、逃げられなかった。
「ね。神谷さんと一緒にもっと色々一杯知りたいんです。ダメですか…?」
がっしりとセイを逃がさない腕と逆に、何処か弱気に甘えた風に覗き込んでくる総司の瞳に、セイは勝てるはずが無い。
近付いてくる唇に、セイは顔を真っ赤にしながらそれでも応えた。
「…ねぇ、一緒に色んな事覚えていきましょうね…」
求めるように、確かめるように触れてくる総司の唇に、指先に、セイの思考は徐々に溶けていった。

2012.08.19