静かな道場。
日差しの傾きは冬が近くなるにつれて大きくなり、まだ昼を過ぎて余り経っていないと言うのに既に赤い日差しが差し込み、道場に濃い陰影を作り出していた。
その中でセイは無我夢中に木刀を振るう。
相手はいない。
ただ一人で打ち込みから、中断構えからの切り返し、踏み込みの位置の確認、それらを繰り返し続けていた。
汗で道場の床が滑るが、それさえ悪条件下での戦闘の模擬訓練と思えばいい。
肉刺が潰れ、披露で肩が上がらなくなってきているが、いつも万全な状態で戦いに望めるとは限らない。その予行だと思えばいい。
我武者羅に。
何も考えないように。
体を動かす。
無意識でも咄嗟に体が動くように。
--それは言い訳かもしれない。
そう冷静に頭に浮かんだ瞬間、彼女の腕から握り締められていた木刀が汗で滑り、飛んでいった。
カランカラン。と乾いた音が響く。
天井の高い道場では反響し、耳に余計に落下音が張り付いた。
全身から一気に汗が噴出す。じんわりと熱を持った体に外から吹き込んでくる冷たい風が彼女の体温を急激に奪っていく。
「……はぁ…はぁ…」
息も途切れ途切れの呼吸を幾度も繰り返し、体から無くなった酸素の補給を求める。
がくりとセイはその場に膝を折った。
合わせて、付いた手から痺れが走る。見ると我武者羅に木刀を振り回したことによって、元々出来ていた水疱が潰れて皮が剥けていた。
「…いたっ…」
呟いてはみるものの、体の中枢が麻痺して感覚など無い。
けれど涙は溢れ、汗に混じりぽたりぽたりと床に小さな水溜りを作っていた。
歯を食い縛り、自分を諌め、己の内にある感情を押さえる。
それでもわきあがる感情は堰を切って溢れ出す。
比例するように涙は瞳を覆いつくし、セイに水に濡れた世界しか映し出さない。
「ふっ…うっ……」
喉が悲鳴を上げ、伊から突き上げてくるものに、声を上げずにはいられなかった。
私は何。
彼女は己に問う。
私は武士。
沖田先生の命をお守りする為に武士になった。
彼女は更に問う。
沖田先生は私にとって何。
そう問う自分を憎らしげに、セイは肉刺の潰れた手を固く握り締める。
尊敬する方。
武士として尊敬している。
あの方をお守りできるのなら命を懸ける。
そう誓った。
だから。
セイは一瞬全身の力が抜けるのを感じた。
何に傷つく事があると言うのか。
そう覚悟を決めたのも、総司に認めさせたのも己自身だというのに。
だから。
沖田先生に恋人が出来ても私は傍でお守りする。
それだけの答えに至るのに、どうしてこんなにも涙が零れるのか。
分かりきっていた事じゃないか。
自分は女子扱いされる事を拒否してきた。
女子として見て貰おうと思わない。
女子として見て貰うよりも、武士として傍にいる事を望んだのだから。
彼にいつか恋人が出来、結婚したとしても何の不思議は無いし、彼を非難する権利など何処にも無い。
思い出すのは、先刻の彼の表情。
頬を赤く染め、俯く総司。
それは彼の恋人がさせた表情だ。
自分には今まで見せた事の無い表情。
これからもっと増えてくる。
果たして、先刻の自分はうまく笑えていただろうか。
「いたっ…」
腹部に鈍痛を感じ、それが段々と強くなることに気が付く。
慣れたはずの痛み。
その事に思い至ると、彼女は余計に自分という存在が情けなくなる。
どんなに足掻いても渦巻く卑しい感情。
やはり自分は徒の女子でしかないのか。
だったら女子などに生まれてこなければ良かった。
自分は少しも望んでいなかったのに。
声にならない悲鳴が嗚咽に変わり、彼女の心暗く蝕んでいった。