時が流れれば成長する。
身体も。心も。 己も。他者も。
成長すれば、周囲も変わり始める。
今まで見えていたもの。見えていなかったもの。
得るもの。失うもの。
それは幸せなことなのだろうか。
不幸なことなのだろうか。
今日も様々な神々が、一時の癒しを求めて湯屋『油屋』へ集う。
永遠に続くかと思われるような、一時の賑わい。
しかし、火が落ちると、全てが夢だったかのように、闇に溶ける。
そして、本来持っていた完全な静寂を得る頃、一人夜の見回りに歩いていた少年は、常に流れ続ける空気で冷えきった廊下で、その向こうに見える、草原を優しく照らし出す、柔らかく輝く月を見上げ、ふっと息を落とす。
艶やかな髪。象牙のように透き通った柔らかい肌。外見は12歳頃というまだ若くして、人形のように整った容姿。正に美しいという表現が当てはまる少年が、月明かりの中、浮かび上がる。
「あ、ハク」
しばし、月の柔らかい光と、冷たい夜風に体を癒していた彼に、幼い少女の声がかかる。
振り返るとそこには、少年‐ハクが想像していた通りの人物が立っており、思わず笑みを浮かべる。
「どうしたの?千尋。こんな時間に」
少女‐千尋にハクは優しく声をかける。
彼女はこの『油屋』で唯一の人間だ。
4年前にも一度両親と共に、人間の世界でいう『神隠し』と呼ばれるらしい、今いる、彼女が本来暮らす世界とは異なる、こちらの世界に来てしまい、様々な過程が末、無事に元いる世界へ戻ることができたのだが、彼女は自らの意思でまたこの世界に戻ってきた。
『油屋』の経営者である湯婆婆と契約をしなければ、この湯屋にいられないはずなのだが、どのような契約を結んだのか、ハクにも知らされていないのだが、今は何故か元の世界とこちらの世界を時折行き来しては、従業員の一人として働いていた。
「え!?あ・・のね・・ちょっとおトイレ・・」
ハクの問いに、千尋はかぁっと顔を赤くすると、俯いて消え入りそうなほど小さな声で返答する。
「ハクはこんなところで何をしてるの?」
慌てて千尋は自分の話からそらそうとする。
「私は見回りの途中だよ。月があまりに綺麗だったんで、少し眺めていたんだ」
そう言って、ハクはその場に腰を下ろし、自分の隣に千尋にも座るように促す。
彼女は素直に隣に座り、降り注ぐ柔らかな光を浴びながら、空を見上げると、その光の元となる月を見つめ、感嘆の声を上げる。
「うわぁ・・綺麗・・」
例え己の名を忘れても、忘れることが無かった人間の少女。
愛しい少女が、こうやって今、側にいて、自分に向って微笑みかけてくれる。
それだけで、月の光よりも、何よりも、ハクの心は癒された。
忙しい毎日。
時には湯婆婆に禁忌に近い事さえも命令され、抵抗することなく従い、遂行する殺伐とした現実。
醜い自分の心。
彼にとって、そんな己を温かく包み込み、癒してくれる、かけがえの無い存在だった。
けれど最近そんな存在である少女は変化し始めている。
身体は彼の背を既に抜いているし、ほっそりとした4年前の体から、随分と女性らしくふっくらと丸みを帯び始めている。
そういう外見だけではなく。
何かが今までと違っているのだ。
何かはわからないけど。
ふと、ハクは千尋の着ている水干に目を止める。
「千尋。そういえば最近、腹掛け姿で出歩くことが無くなったね」
彼にとってしてみれば、何気ない疑問だった。
他の湯女たちは、相変わらず腹掛けの姿で歩いているのをよく見かけける。勿論水干を着て歩いている者もいるが、営業時間を過ぎてからの比率は格段に少ない。
そんな中で、千尋が何となく浮いて見えたのだ。
つい先日まで腹掛け姿で歩いているのをよく見かけていたから、余計に。
それだけだった。
しかし、千尋は、その疑問に再び顔を耳まで真っ赤にすると、
「ハクのえっち!」
と、言い放ち、勢いよく立ち上がると、その場をすぐにでも去ろうと踵を返す。
「あ。千尋、部屋まで送る」
そう言って、ハクも立ち上がり、何気なく彼女の手を取り、引こうとしたのだが、するとさらに千尋は赤くなり、その手を振り払うと、「一人で戻れるから!」と言って、彼から逃げるように走り去ってしまった。
ほら。
やっぱり何かが今までと違う。