ご主人様とぽち

夜が明けたばかりのまだ空の赤さが残る群青色の空を一匹の竜が颯爽と駆け抜ける。
竜は風を受け気持良さそうに上空を泳ぎ、やがてゆっくりと下降する。
己の背に乗る者を振り落としてしまわないよう安定した着地をすると、背から一人の少女が降りる。
小さなゴムで髪を括り、ポニーテールをしている、まだ幼い少女は髪に今受けた風の若干の名残を受けたまま、上空の冷たい空気に当てられ頬を赤くし、竜に笑顔を見せた。
「ハク、ありがとう!凄く気持ち良かった!」
ポニーテルの少女ー千尋は笑みを浮かべながら、未だ竜の姿のハクに顔を擦り付ける。
油屋の帳簿係であり、元は川の主であった白い竜。ニギハヤミコハクヌシことハクは嬉しそうにぐるると喉を鳴らす。
仕事が始まるまでの少しの間、時間のできたハクは千尋を連れて外に出た。
大して何処かに行く目的があった訳では無い。千尋に会いたくなった彼は仕事で疲れて眠る彼女を起こすのは忍びなかったが、合いたいという気持に負け、彼女を誘ったのだ。
それでも彼が誘うと千尋は嬉しそうに起き上がり、喜んで彼の後についてきた。とりあえず外に出て、ぶらぶらと他愛無いお喋りをしながら歩いていると、ふと千尋が空を見上げ、「空を飛びたい」とハクにおねだりをしてきた。
ハクとしては断る理由は無い。千尋が喜んでくれればそれだけでハクも幸せだから。
そんなやりとりから、仕事があるのであまり遠くまでは行く事はできないが油屋の近くの空を飛ぶのでよければという彼の申し出に千尋は大きく頷いて、思う存分空を飛行を堪能して戻り、今に至る。
それでも千尋には十分に満足できるものだったようで嬉しそうに何度も「ハク、ありがとう」と顔を擦り付ける。
「ずっと小さい頃から空を飛びたいって思ってたんだ!願いが叶っちゃった!すっごく気持ち良かった!ありがとうハク!」
擦り付けてくる頬が柔らかく、そして千尋の仕草が可愛らしく、素直に喜びを見せてくれる彼女に愛しさを感じながら、ハクも同じように千尋に顔を擦り付ける。
もっと己の今の心を伝えようと、頬を擦り付けるだけでは物足りなく、ハクはぺろっと千尋の頬を舌でくすぐる。
「あはは。ハクの舌ざらざら~くすぐったいよ!」
ぺろぺろと繰り返すハクの愛情をそのままくすぐったそうに身を捩りながら千尋は素直に受ける。
くすぐったがる千尋がまた愛らしく、彼女が喜んでくれることが嬉しくハクはさら続ける。
千尋はくすがりながら笑って、思い出したように言う。
「ハクってば~。隣の家で飼ってる犬みたい」
ガン!
千尋の言葉にハクの動きはぴたりと止まる。
そんな彼の変化には気づかず、千尋は舐めてくる事を止めたハクの首にぎゅっとしがみつく。
「ハクの毛ってふわふわで気持いい~。隣の家の犬も大きくてすっごくふわふわでぎゅっとするとすっごく気持いいんだよ~。私に懐いててすぐに舐めてくるの。だからいっつも顔がべたべたになってお母さんに怒られるんだ」
千尋はにこにこと笑みを浮かべながら、その後もご近所の家で飼っている犬の話を続けた。

それは、朝の話ーーーーーー。

空はすっかり闇に覆われ、夜も深まった頃、一日の営業を終えた油屋は灯を落とす。
「ハク!遊びに来ちゃった!」
自室で帳簿を付けていた彼の前に千尋がひょこっと姿を現す。
「千尋。・・・・まだ眠っていなかったのかい?明日も早いのだから早く眠りなさい」
ハクは現れた彼女の姿に驚き目を見開くが、すぐに落ち着きを取り戻し、目を細めると彼女を諭す。
「むー。まだ寝るには早いもん。折角遊びに来たのにー」
彼の冷たい態度に、むっと千尋は頬を膨らませる。
折角遊びに来て、喜んでくれるかと思ったのに、彼の反応は乏しく、不満を感じてしまう。
「今朝は早く起こしてしまったから疲れていないかと心配しているんだよ」
「・・・・・違うもん。ハク怒ってる?何で怒ってるの?」
つい苛立ちが声に出てしまったのかとハクは心で舌打ちをする。
今朝の優しい空気とはうって変わって、棘の含むハクの言葉を敏感に感じた千尋は不信そうに彼をじっと見つめてくる。
だから彼は平静を努めて回答する。
「怒ってないよ」
「本当?」
千尋はハクの横に座ると、じりじりと彼の目を見て近づいてくる。
彼も決して心の内を見抜かれないよう、彼女をじっと見つめ返す。
まだ幾年も生きていない幼い少女に心の内を見抜かれるほど、ハクは年を重ねていないわけではない。
「んー・・・。ごめんね。お仕事中邪魔をしちゃったから怒ったのかと思っちゃった」
彼が怒っていない事を納得したのか、安心したように、緊張していた表情がふにゃと和らぐと千尋は笑みを見せる。
あどけないその笑顔。
心の内を見抜かれるほど、年を重ねていないわけではない。
その分幼い千尋よりも複雑な感情も大いに抱える訳で。
「ハク・・・・?」
すっと近づいてくる顔を千尋は何気無くぼーっと見つめる。
「ハク!?」
そのままハクの唇が千尋の額に軽く触れる。
千尋は慌てて彼から離れようとするが、既にしっかりと両腕をしっかりと捕まれ距離を取る事ができない。
背筋を伸ばして少しでも彼から離れようとするが、千尋が逃げる分、ハクが近づいてきて、二人の間は縮まらない。
彼女が焦りを感じている間も、ハクは瞼に、頬にと口付けを落とす。
「ハクっ!ハクっ!ハクってばっ!」
千尋は悲鳴じみた声を上げるが、彼の意に介さないのかそのまま行為を続けていく。
「ハクっ!ん!」
悲鳴ごと柔らかな桃色の唇を塞ぐ。
「んー!はぁ・・・・んっ!ぅんーっ!」
何度も何度も繰り返し重ね、彼女の体が熱くなってゆくのを見計らって、ハクは口付けを続けたまま、彼女を床の上に倒す。
やっとある程度の満足感を得た後、唇を離すと、既に息も切れ切れに千尋が顔を真っ赤にして自分を見上げている姿が目に入る。
ハク自身の胸が熱くなるのを感じる。
「・・・・っ!何するのぉ・・・」
涙を目に浮かべながら、千尋は声を上げる。
それをごく自然な表情でハクは首を傾けると逆に質問を返す。
「どうして嫌がるの?」
「どうしてって・・・っ!」
当たり前のことをなぜ聞くのかとでも言いたげに、それでもそれを言葉にするのは恥ずかしく千尋は言葉を詰まらせる。
彼女が何を言わんかと分かっていながら、ハクはあえて無視をして言葉を続ける。
「竜の姿の私の時は嫌がらなかったじゃないか」
「!?」
「ぎゅっと抱きしめてくれたし、私が舐めても喜んでくれたではないか」
「・・・・・っ!!あれはっ!」
「どうして竜の姿の時は良くて、人の姿をとっている時はいけないの?」
弁解をしようと思う矢先に先手を打たれ、千尋は言葉を詰まらせる。
ハクは再び千尋の温かな血流と、拍動の感じる首筋へと口付けを落とす。
「ひゃっ!?」
ざわざわとした感覚に千尋は肌を粟立てる。
「私はどんな姿でも私であって、男であって、千尋に好意を寄せる異性であって、千尋の隣家の犬ではないよ」
「!!」
その瞬間千尋はハクがやはり怒っていた事。ハクが何に対して怒っていたのか悟る。
ハクは一旦首筋から唇を離し、彼女の耳元まで持っていくと、形の良い唇が震える。
「竜の姿で良いのだから、人の姿でも良いはずだよね」
「ぁっ!?」
彼の囁きと、吹き込まれる温かい息にびくっと千尋の体が震える。
とっさに背筋を走る痺れに声を上げ、上げた自分の声に驚き、はっとハクを見上げると満面の笑みを浮かべている。
「顔中舐められてべたべただったっけ・・・?」
千尋に心の内を悟られるほど年を重ねてはいないけれど、好きなひとに苛立ちを隠していられるほど年を重ねていない。
いつもは見るだけで嬉しいはずの彼の笑みも今となって恐怖を感じ、千尋は顔をくしゃくしゃにする。
「ごーめーんーなーさーいーーーーー!!!」
「駄目。許さない」
泣いてしまっても後の祭り。

教訓
ペットを飼う時は責任をもってしつけをしましょう。
我儘に育ててしまうと手を付けられなくなります。

2004.03.09