女部屋。
湯浴みを済ませ、次々に寝床につく湯女たち。
千尋は風呂で温まった体を冷やさないように、寝る準備を済ますと、早めに布団に入る。
隣には、同じく湯浴みで濡れた髪を乾かし、櫛で梳かすリンが座っていた。
「・・・・リンさん・・・・」
「何だ?」
リンは髪を梳かしながら返事を返すが、千尋の言葉にその続きは出てこない。
怪訝に思い、千尋を振り返ると、余程言い出しにくいことなのか、彼女はうーうー唸っていた。
リンはそんな彼女の行動を、暫く見つめていたが、千尋は何かを決心したように顔を上げると、リンに向き直る。
「リンさんは死ぬのを怖いと思ったことがある?」
突然の予想もつかない質問に、リンも驚いたが、「あるな」とさらりと答えた。
それを聞いた瞬間、千尋はばっと布団から体を起こす。
「えっ!リンさんもあるの!?怖いって思うの!?」
「当たり前だろ」
彼女がそんな事を思うのは、千尋にとって余程意外だった事だったのか、「思うんだー。へー・・思うんだ・・」と繰り返し、独り言のように呟き続ける。
「だって、まだ金貯めて、この店辞めてないし、やりたいことまだ山程あんのに、死ねるわけねーだろ」
リンは少し千尋の反応に不快感を感じながらも、昼間から千尋が思いつめていたのはこのことだったのかと納得する。
「『死ぬのが怖い』か。・・・あたいにもあったな。そんな時期」
何がという訳ではない。
理由など無い。
ただ無性に死というものが恐ろしく感じたという時期がリンにもあった。
成長する過程の中で誰もが経験する事のひとつなのだろうか。思い悩む千尋の姿を見つめながらそんなことを思う。
リンの場合。
気がついたら自分の中で、その「死に対する恐れ」は昇華されていた。
何があったというわけではない。
恐れていた時期は、誰のどんな助言を聞いても納得できず、逆に苛立ちだけが募り、不安だけが蓄積されていった。
それが、ある時、ふと軽くなったのだ。
いつの間にか自分の中で納得され、昇華されていたのだ。
何がどうという、結果も無い。
きっかけなど何も無い。
その時期を思い出すと、今でも不思議な感覚であるが、不快な思い出ではない。
そういう、死を考える時期が必要だったのだと。
後から納得した。
千尋は、ちょうど昔の自分と同じ時期を迎えているのか。
そんな彼女をほほえましく思いながら、自分もかつて、言われた言葉を千尋に伝えた。
『自分にも死を恐れる時期があった』と。
自分ひとりだけが持っている感情ではない。助言は幾ら言われようとも納得できないが、自分だけではない、そう思うだけで気が楽になる。
少なくともかつてリンはその言葉に救われた。
千尋も同じだろうか。
「一緒に寝てやろうか?」
「えっ!?あっ・・・・・・・・・うん・・・」
千尋はいそいそと自分の布団から枕を取り出し、リンの布団にもそもそと入る。
そんな彼女の姿に笑みをリンは浮かべ、先に布団に潜る千尋の頭をぽんぽんと撫でてやると、彼女も布団の中に入る。
「はい、お休み」
「・・・おやすみなさい」
リンの体は温かく、千尋の心まで温めてくれるような気がした。
『あたいにもあったよ』
自分だけじゃないんだ。
自分以外の他にも、同じような思いを持っているひとがいたのだという事に、心が少し軽くなる。
こんな暗い、寂しい気持ちを持っているのは自分だけではない。
それは勇気づけられる。
どう越えたのかは分からない。けれど、きっと今千尋が持っているような気持ちを越えて、リンはここにいる。
自分に優しく接してくれるひとたちを、千尋は愛しく思う。
『やりたいことがあるから死ねない』。
確かにそうだ。
今の自分は何をしたいのか?そう自分に問えば、返ってくる言葉は無い。
この先、未来に何をしたいのか、何をしているのかも想像つかない。
分からないけれど、分からないから期待する。
胸がどきどきする。
ずっと先の未来も生きていたいと願う。
優しくしてくれるひとがいる。
自分を大切にしてくれるひとがいる。
自分もそのひとたちを大切にしたい。
そのひとたちが大切にしてくれる自分を大切にしたい。
何よりも、そのひとたちと別れたくない。
これから先の、沢山の分からない事。
不安になる。怖くなる。
でもわくわくする。どきどきする。
だから生きていたいと思うのだ。
死を怖いと思うのだ。
大切なものがあるから。
自分でも気づいていない。
言葉にもなっていない、けれど心の奥にある「大切」。
生きている事を大切にしたいから、死ぬ事について考えるのだろう。
そうすることで、自分が生きる事を望んでいる事を。
生きていたいと願っていることを確認する。
あたたかい。
冷たく、深い、闇の海。
ふわりと。
あたたかくなった気がした。
2003.01.31