闇5

正直、驚いた。
千尋が、まさか死について考えているなんて、少しも思いもしなかった。
決して、千尋を嘲けているのではない。
全身で、生きる事を楽しんでいて、常に生命の光を放っている彼女は、見るものまで影響する。
ハクも勿論その中の一人だ。
だからこそ、彼女が死などという、暗い闇の部分を抱えているとは想像がつかなかったのだ。
それも語弊がある。
誰にでも闇の部分は心の中に存在しているだろう。どんな者にでも。けれど、それ以上に未来に向かって前向きで、死など恐れず、きっと自覚するより先に己の中で昇華し、想像することさえせずに、生きている事を心から楽しんでいるのだろう。そんな風に彼女を見ていたのだ。
だから、彼女が持つ、闇の部分に触れた事に、恥ずかしながら、彼は驚いていた。
まだまだハクは、彼女を知らない。
今まで知らなかった心の一部分を見せてくれた事に、苦しんでいる千尋には申し訳ないが、喜んでいる自分をハクは感じていた。
太陽が昇ると、月は光に飲み込まれ、姿を消す。日差しが強くなればなるほど、道端の影はくっきりと濃い影を残す。
千尋が暖かく、柔らかな光を持つ太陽ならば、ハクは冷たく、暗い月になるのだろう。
暗く、淀んだ闇の感情など、自分だけが抱えるものなのだろう。
そんな風に感じていただけに、千尋に彼女自身が持つ闇の部分を打ち明けられた事に、自分と同じところまで落ちてきてくれたのだと、決して相反する存在ではないのだと、安心すると同時に、少し喜んでしまった。
そして、彼女の様子からすると、おそらく彼女が抱える闇の部分を話したのは、ハクは最初のひと。
誰にも相談できず、ひとり震えていた。
彼にだけは話してくれた。
どう思って、話してくれたのだろう。
千尋には申し訳ないがーーーーー笑みが浮かぶ。

死について。
考えた事は、幾度もある。
しかし、千尋のように恐れる事はなかった。
生があれば、死はいつか訪れるのだし、それは世の理であり、生を持つ者の運命。
ごく自然な事として、受け入れていた。
確かに、ハクは既に死に近い経験をした。
己の在るべき場所、川を失い、自分自身も死が訪れるのを感じていた。
けれど、死を恐ろしいとは思わなかった。
どちらかといえば悲しいという感情の方が何倍も強かった。
千尋にも話したように、自分がその場所から消える事の方が、ハクにとっては何よりもの恐れだった。
川が生まれ、気がついたら自己というものが存在し、川辺で過ごす命の営みを見つめてきた。
賑わう人の声。虫の声。水を跳ねる魚の鼓動。
生きているものの姿。生きていくものの姿。気に触れる事で、存在を感じる事で喜びを感じる。
ある時、川が必要なくなったという理由で、ハクは突然死の淵に追いやられた。
人間の手によって、故意に存在を消された。
自分の存在がなくなるのが悲しいのではない。
寄代が消されるのが傷になるのではない。
人間の手によって消される事。
自分は必要の無い存在だったのか。
自分は必要とされていないのか。
自分はここにいるべきではなかったのか。
それを感じた時。
何よりも心が痛かった。
千切れる身体の痛みよりも。声にならない祈りの言葉よりも。
心に突き刺さる、割れた記憶の破片が痛かった。
あの痛みだけは忘れない。
過去にどれほど愛しい日々を送っていたとしても。
想いがあったとして。
痛みが全てを打ち砕いてしまう。
死は恐れない。
存在が消える事を恐れる。
それを、他の神は愚かだと言うだろうか。

生に執着する者を愚かだと罵る者がいる。
ハクはそうは思わない。
生を望む事は、生を何よりも楽しんでいるからだと思うからだ。
生を愛しむ、千尋を愛しいと感じる。
己と千尋の命の長さは異なる。
人と神。
世の理に習うのであれば、千尋は必ず先に逝くだろう。
彼女には、幸せな生を全うして欲しい。
ハクに、日を追うごとに命溢れ輝く少女を見守ろうと思う。
彼女が幸せでありますように。
その最後まで。
その為に、全身全霊を込めて彼女を守ろう。

ハクは、そんなことを思う、今。

死を、初めて恐れる。