ぱらぱらぱら。
床一面にこんぺいとうを振りまくと、ススワタリたちが喜んでそれを捕まえる。
ススワタリにご飯を出すのは、千尋の仕事のひとつ。
元々リンの仕事だったものを譲ってもらったものだ。
沢山働いて疲れた後のご飯を喜ぶススワタリたちの姿を眺めるのが千尋はとても好きだった。
けれど、今は幸せな気分にはなれなかった。
妙に手持ち無沙汰で、ただ何も考えたくないし、何も感じたくないと思った。
今までこんなことなかったのに。
辛い事も悲しい事も、嬉しい事も一杯あるけど。
一杯いろんなことを感じるのは好き。
しかし、今は何も感じたくなかった。
何だか・・・・感じるのをやめるのって、生きるをやめてるみたい・・・。
そんなことを思う。
今は、自分で考える事をやめることができる。
死んでいたら、何も感じない。
一杯ある嬉しいことも、楽しいことも、何も感じられない。
それは幸せ?不幸?
感じないなら同じ?
「千?どうかしたのか?」
突然声をかけられて、千尋は驚く。
「あ・・おじいちゃん。・・ごめんなさい。考え事してた」
笑顔で答えるが、食事をしていた釜爺は心配そうに彼女を見つめ、首を傾げる。
「千が元気じゃないと変な感じだなぁ」
「そ、そんなこと無いって!私元気だよ!」
千尋は笑ってガッツポーズを取って見せる。
こんなこと、変わった事を考えているのは彼女だけかもしれない。
だから、他の人には悟られないように、心配させないようにと笑って見せるのだが、リンといい、釜爺といい、さっきから逆に心配をかけてる気がする。ちゃんと笑えていないのだろうかと千尋は不安に駆り立てられる。
釜爺は千尋の返答に苦笑しただけで、「そうか」と言うと、食事を続けた。
それで安心すると同時に、また彼女の中に空洞が広がる。
食事を続ける釜爺を漠然と見つめる。
「・・・おじいちゃん・・」
「何じゃ?」
「・・・・・・・・・・何でもない」
笑っていた千尋の笑顔は一気に陰りを見せ、不安なものを抱えているのか、今にも泣きそうな、苦悶の表情を浮かべる。
釜爺はそんな千尋の表情の変化を見つめ、心配を感じると同時に、千尋もこんな表情をするようになったのかと、彼女の成長を少し喜ばしく感じる部分もあった。
不安も喜びも受け止めて。
経験を積むことによって。
大人は複雑で、微妙な表情を浮かべるようになる。
より豊かな表情を浮かべるようになる。
他人を意識し始めているから。
自己を感じ始めているから。
千尋は変わりつつあるのだろう。
そんな彼女の成長を喜ばしく感じていた。
がんばって。乗り越えて。
大きくなりなさい。
ボイラー室へ繋がる外階段を千尋は登る。
ふと横を見ると広がる、広大な景色。
海の上を電車が走り、その向こうに見える街明かりが眩しく輝いていた。
綺麗・・。
私が今ここから消えたら、こんな景色も見れなくなる。
でも、私が消えても、景色は変わらず、時間は流れていく。
足元から空に向かって、階段の隙間をぬって吹き上げてくる風が階段の板を揺らす。
今、この階段が壊れたら、私は落ちるんだろうな。
ふわふわした感覚。
自分がここにいて、ここにいないような不思議な感覚に千尋は襲われる。
ぎし。
ふと階上から足音が聞こえ、千尋が顔を上げると、ハクが立っていた。
「・・・千尋・・どうしたんだ・・・・?」
ハクの声に千尋は急速に、自分が現実に還るような感覚を受ける。
そして胸が痛いほどの動悸に襲われる。
どくどくと落ち着く事がない。
今、私は何を感じていた?
今、私は何を考えていた?
彼に会えたことに、喜びと同時に自己嫌悪に陥る。
こんな自分は彼に嫌われてしまうだろう。
そう思った瞬間、涙が零れた。
「・・もう・・やだぁ・・・・」
前向きじゃない自分。
不安ばかりに囚われて、自分自身がとても嫌になる。
ぽっかり穴の空いた心を塞ごうと、努力はするものの、怖い考えが止まらない自分。
心が痛くて堪らなかった。
痛いのに、痛みを止める事ができない。
止めることはできるはずなのに、余計に痛みを与える自分がいる。
痛む音が、心が軋む音が聞こえた。
自分で、自分を傷つけているのだ。
もうどうすればいいのか分からない。
誰かに聞きたい。
誰かに言いたい。
けれど、自分だけが考えてるのかもしれない。
分かってもらえないかもしれない。
嫌な子と思われるかもしれない。
答えが分からない。
嫌われれるかもしれない。
好きな人にこんな自分を見せるのは恥ずかしい。
わかってもらえるかもしれない。わかってもらえないかもしれない。
・・・・・でもきっと耳を傾けてくれる。
ハクに・・・・・・
・・・・・ハクに側にいて欲しい。
一緒にいたい。
つい、ハクの顔を見たら、緊張し続けていた心が緩んだのだ。
やっと緩ませる事が出来たのだ。
「・・・千尋・・なんて顔してるんだ・・・」
困惑しながら、ハクは涙を零し続ける千尋を、二、三段ほど上の階段まで降り、抱きしめてやる。
同じ階まで降りたら、彼女を腕の中に収める事が出来なかったから。
「はくぅ・・・」
きゅっと千尋は自分を抱きしめる、ハクの腕の水干の裾を掴む。
何かに不安になり、脅えている千尋。
彼女には秘め事だが。 いつも仕事中、一生懸命に動き、楽しそうにしている千尋の姿を見る事で、ハクは仕事の間の一時の安らぎを与えられていた。
しかし、今日の千尋はおかしかった。
楽しそうに笑顔を常に絶やさず、仕事をしているのは表面上はいつもと何ら変わらなかった。変わらない中に異変があるのだ。時折、ただ無表情で真剣に黙々と仕事をこなす瞬間があるのだ。何かを振り払うかのように。無我夢中で。
それは別の言葉で言えば、心ここにあらず、という表現が正しいのだろうか。
彼女は何かから逃れようとしていた。
それ故に、他人に触れる事さえ脅えているように見えた。
千尋が釜爺に夕食を出しに行くと聞いて、本来、普段なら仕事が終わってから私用は済ますのだが、あまりにもの千尋の変化が心配になり、父役に少しの間仕事を任せ、抜け出してきたのだ。
外階段を下り、階下に千尋の姿を見つけ、ほっとしたのも束の間、すぐに驚きに変わった。
何処か遠くを見つめ、虚ろな瞳を湛えたまま、彼女は立っていたのだ。
生気が感じられない。
心だけが何処かに抜けているような。
まるで。
このまま階段の下に広がる海に、落ちて、沈んでしまうような焦燥感に駆られた。
だから彼は思わず声をかけてしまった。
いつもより強い口調で。
彼女をここに繋ぎとめるために。