廊下の一角で一人取り残されてしまったハクは、千尋の予測不可能な行動に呆然としてしまった。
・・・・どういうことだろう・・・・。
ハクの頭の中には『好き』か『嫌い』かのどちらかの返答に対する構えは完全に整えていたつもりだった。
何度も何度も想像を繰り返し、心の準備は十分にできていたつもりだった。
いつぞやの千尋は俯きながらも、小さな声で「好きだ」と言ってくれた。
もしそうだったならどれほど心落ち着いただろうと願っていた。
では。
このような場合にはどう対処したら良いのだろう。
彼の頭の中には疑問符が浮かぶ。
確かに場所を考えずに言ってしまったかもしれない。
彼のいる場所は廊下だし、今は仕事中でましてや上司と部下の関係だ。
仕事中と己の時間とでは意識を自然と切り替えてしまうものだ。
千尋も仕事中に突然のことで驚いたのかもしれない。
しかしそれならハクだって驚かされた。
彼女は一目見て去り、彼女には目に止められる前に離れたはずなのに、その彼女が追いかけてきたのだ。
自分を気に掛けてくれたのだろうか。そう思うと。
嬉しくないはずがない。
けれど追いかけてきた彼女は何か不安に思うことがあったのだろうか。瞳を潤ませて何かを訴えてこようとしていた。
それを遮ってしまったから、気を悪くしてしまったのだろうか。
しかしハクにとってみたら、千尋に対する愛しさを再認識しているところに、本人が目の前に現れ、しかも瞳を潤ませ不安げに頬を染め、自分を見つめ続けてくる愛しい少女の姿に理性が保ち続けられるはずもない。
文字通り、理性という箍があっさりとはずれてしまった。
勢いに任せて告げてしまったから怒ってしまったのだろうか。
先程まで破裂してしまうのではないだろうかと言うほど高く鳴り続けていた心臓と熱がおさまりつつある。
千尋の返答を聞いていないという焦りはあるが。
彼女に己を想いを伝えたという満足感が今は心を満たしているのだろう。
愛されていなければそれでもいいのだ。
それはハクにとっては悲しい事ではあるが。
愛し愛される事を必ずも望んでいるわけではないのだ。
千尋が幸せになり。
千尋を愛している自分がいるというこの幸福。
それだけでいいのだ。
ただ想いを告げることができたなら。
止め処なく溢れるこの想いを少しでも昇華することができたなら。
千尋が一度でも気づいてくれたなら。
それだけで良かったのだ。
己の元から逃げてしまった千尋。
彼女はこのままもう自分には会わないつもりだろうか。
彼の側から離れてしまうのだろうか。
想われなくても良い。報われなくても良い。
ただ。
千尋がハクの側にいなくなる。
そんなことを望んで告げたわけでは。
ーーーーーー決して無い。