たとえば…2

恋する乙女はいつも夢を見る。
片思いであれば、その夢はなおさら大きく膨らんでいく。
まだ結果の出ていない恋に夢を見るのだ。
恋が成就した時の自分と。
恋が散ってしまった時の自分。
好きな人と両想いになったらどうなるのだろう。
こんなことをしたい。あんなことをしたい。
色んなことを好きな人にしてあげたい。
そして、それを行動に起こした時、好きな人はどんな表情を見せてくれるのだろう。
喜んでくれるのか。嫌がられてしまうのか。
期待と不安。
そして不安は、恋が散ってしまった時の事も否応無く想像させてしまう。
だから片思いでいる間は。
結果が出るまでの間は。
たとえば・・・を想像して恋することを楽しむのだ。
いつか好きな人と一緒にいれた時の希望を膨らますために。
今の恋を一生懸命貫くために。
いつかの自分が笑っていられるために。
大好きの気持で胸を一杯にするのだ。
それは千尋も同じ。

太陽は既に高い位置に上り始めている頃、千尋はもぞもぞと自分の体温で温まった布団から這い出す。
身体は昨日の仕事の疲れが蓄積され、夜の休息だけでは解消されず、気だるさを残す。
けれど、そんな不快な状態でも、心はふわふわといつもよりも軽く、幸せな気持ちで一杯だった。
「にへへへへ」
どうしても顔が緩んでしまう。
「何だ?いい夢でも見たのか?」
隣で眠っていたリンも目を覚ますと、ずっと横でにまにまし続ける千尋に不信そうに問いかける。
「うん。・・・内緒・・」
「何だよ」
リンは頬を膨らますが、その顔は笑っていて本気で怒っているわけではない事は千尋にも分かっていた。
大好きなリンにも秘密である。
大事にしたい。それでいて告げるには少し恥ずかしかった夢だったから。
ハクの夢を見た。
夢の中のその風景は曖昧で、何処だかはっきりとは分からなかったけれど。
千尋がそこにいて、ハクがすぐ横にいて、手を繋いで笑って二人で空を見上げていた。
笑いかけてくれるハクがとても嬉しくて。
繋いでいる手が暖かくて。彼の温もりが伝わってくるようで恥ずかしくて。
見上げる空は何処までも澄んで、青くて。
幸せで。
嬉しくて。
胸がどきどき鳴っていた。
夢から醒めた後は、心の中に風船が浮かんでいるように、ふわふわして、幸せという空気で一杯だった。
どうしてそんな夢を突然見たのだろう。そう考えると、それはきっと多分最近のハク自身のせい。
時に甘えてくる子どものように、過保護な親のように触れてくるハクに千尋は一時困らせられていた事があたが、ある時から、ぱたりと一切無くなってしまった。
触れられる事で。自分の好きという気持も溢れ出し、恥ずかしさと混ざり合ってどう行動すれば良いのか困ったりもしたけれど、それは全て自分を好きだと思ってくれるための行動だと思えば、困るの半分嬉しさ半分だった。
それが突然無くなって、嫌われているのかと思うくらい、全く顔をあわせず、声もかけず、悲しさで胸が詰まったこともあったが、しかし久し振りに会うと、優しく微笑んでくれて、やはり好きだと思われているのは変わらないのだと安心すると同時に、態度と表情の裏腹さに混乱していたものだった。
それが最近のハクはまた心境の変化があったのか、話しかけてくれるようになった。笑いかけてくれるようになった。触れてくるようになった。
けれど前のように千尋を困らせるくらい過剰にだとか以上にとかではなく。
触れてくるそれ自体は変わっていないのだけれど、ーーーーー触れ方が分かったのでも言うのだろうか。
優しく、本当に自分の最も大切なものでも扱うかのように丁重に、柔らかく、触れ方なんて色々在るはずも無いのだけれど温かく包み込むように触れるようになった。
見つめてくる眼差しも、元々目を細めて春の日差しのように温かかったものが、前よりも柔らかく、まるで自分の身体の一部、自分自身以上の大切なものを見守るかのように愛しそうに見つめてくる。
それだけでも千尋はその行動と眼差しに照れて、どうしようかと混乱してしまうのに、その彼の瞳の中の色がたまに変わるような気がするときがある。
澄んで濃くなるというのか。
熱を帯びるというのだろうか。
強く、熱い視線を感じて、身体がこう良くしてしまい、挙動不審になってしまう事がある。
どうにも居たたまれなくなってしまうのだ。
たまにそれが恐いと思うときさえある。
その理由も。彼が豹変する理由も分からないけれど。
とにかくいまの千尋は幸せで。幸せで。それを夢にまで見てしまって。
どうしようもないくらい心が常にハクのことで一杯なのだ。
今日はもう恥ずかしくて、ハクの顔なんて見る事ができないだろう。
熱く火照っている頬をぺしぺしと叩くと、千尋は顔を上げている事さえも恥ずかしくて俯いた。
「・・・お前って本当、見てて飽きないなぁ・・・」
一人で赤くなったり、照れたり、俯いたり、百面相をしている千尋に半ば呆れながらリンは呟く。
その原因が全て腹黒上司だと分かってしまうあたり、苛立つところもあるが。
自分の可愛い妹分が幸せそうなのは、素直に良い事だと受け止められる。
リンはまだ覚えている。
ついこの間まで千尋は、海の底に沈んだ死んだ魚のような目をしていた。
千尋とハクのことだからあまり口には出せずにはいたけれど、見ているリンの方が辛くなるくらい千尋は沈んでいた。
恋する故の辛さ。その想い人の余りの無知さに千尋が、普段無邪気な笑顔を見せる千尋が泣きそうに顔を歪めるのだ。端から見ても明らかに露骨で明白だというのに。その関係の進展の無さ、じれったさに、リン自身がハクの元へ赴いて蹴り飛ばしてやろうと何度思ったことか。
それが、ハクにまた何らかの変化があったのだろう、急にまた千尋の見せる表情が変わり始めた。
やたらにこにこしてみたり、赤くなったり、照れたり、怒ってみたり。元々豊かに見せていた表情がさらに豊かになった。
と、いうか、同性の目から見ても。
千尋は可愛い。
リンはそんなことを思ってしまう。
それが全てハクが起因するのだと思うと癪で本当に本当に堪らないのだが、「オレが男だったら、絶対嫁さんにしていたのにな」などと、ちょっと本気で思ってみたりするのも事実だった。
自分では絶対こんな可愛らしい行動を取る事はできないだろう。
羨ましい反面、そんな千尋が可愛くて仕方が無いリンだった。
そんな千尋が今幸せなのだと、彼女が見せてくれる事が、リンは嬉しかった。