心と体は全く別のものなのでしょうか?
時々自分の体に違和感を感じます。
自分のものではないかのように。
心はいつまで経っても変わらない。
私は私。
体も私。
でも気がつけば、大人になりつつある。
体に心が追いつけない。
心と体。
私は何処にいるのでしょうか。
「千。ハク様に茶を思っていってくれないか?」
「へ?」
湯場で懸命に釜についた垢を落とそうと腰を入れ、縄で磨いていたところに、突然声がかかり、千尋は力任せにその場で滑り転び、後頭部を釜の底に勢いよく殴打した。
「ってて・・」
「相変わらずニブイ奴だな」
後頭部を抑えながら起き上がる千尋に、リンは呆れて呟く。
「千!聞こえておるか!」
「はぁい!」
千尋は立ち上がると、釜の中から自分に声をかけた人物に目をやる。
兄役が一人釜の外で立ち、彼女をじっと見ていた。
千尋はリンに手伝ってもらい、釜の外に出ると彼の元へと駆け寄る。
「あの・・」
「ハク様に茶を持っていってくれまいか?」
「・・私じゃないと駄目なんですか?・・」
千尋が渋るであろうことは、兄役はすでに予想していた。
二人の間に何かがあったことはすでに予測済み。暫くは「見守っていよう」と父役と誓ったばかりだ。
しかしそうとも言ってられなくなってしまった。
「・・・ハク様がこの所お休みになってくださらないのだ」
多少不機嫌になり、その苛立ちを自分たちにぶつけてくるというのなら全て受け止めよう。
それぐらいのことならできる。
しかし、彼が苛立ちをぶつけてくることは無かった。
いつも通り仕事をこなしていた。完璧に。
流石ハク様というところか。彼を甘く見ていたというところだろうか。
「仕事も普段通り何一つ変わらず行ってらっしゃって、大層お疲れのはずなのに一睡もしてくださらないのだ」
夜間の交代での見回りをする者に聞くと、見回りをする度に彼は必ず縁側におり、同じ場所で何時間も、おそらくは明け方までずっとただ月を眺めているのだという報告があった。
もう幾日も。
「このままではハク様のお体が壊れてしまう。すまないが茶を持っていくだけでもいいのだ。頼めないか」
どうしてそこで自分の名前が上がってくるのだろう。そんなこと兄役の方がずっと彼の近しい存在なのだから兄役自身がやればいいことではないか。という疑問は兄役の話を聞いてる途中からすでに全く千尋の中には無かった。
ただ、ハクの体が壊れてしまう。
それだけしかなく、「今、ハク様は自室で仕事をなさっている」と、それだけを聞くと一目散に、彼の部屋に向かって走り出した。
「ハク!」
すぱんっと勢いよく障子を開けると、千尋はずかずかと文机に向かって黙々と仕事をこなしていたハクの元へ向かう。
「千!今は仕事の時間のはずだろう。何故そなたがこんなところにいる。早く持ち場へ戻れ!」
突然の千尋の来訪に内心動揺しながらも、ハクは冷静に『仕事中』の表情を見せ、諌める。
久しぶりに見る、千尋の姿。
そんなに長い間会っていなかったわけでもないのに。たった数日のことなのに。
千尋が大人びて見える。
まるでもう何十年も見ていなかったかのように、新鮮にハクの瞳の中に写りこむ。
理由の分からない動揺に、一瞬胸が痛む。
千尋はそんな彼の心中をしらず、ずかずかと近づいてくると、暖かい手を彼の額に当てた。
「・・やっぱり熱がある。ずっと寝てないんだって?駄目だよ。ハクのお仕事ただでさえ大変なのに、ちゃんと眠らなきゃ。疲れが溜まって体が壊れちゃうよ」
泣きそうなほど心配している表情。
「心配要らない」。そう宥めようと思ったが、今の彼女には何を言っても無駄だろう。そう悟ったハクは小さく息を落とす。
「・・・すまない。千尋。・・私には何故千尋に嫌われたのか分からないのだ。謝りたいのに理由が分からない・・・。
どうしたら前のように接してくれる。・・・もうずっとそればかりを考えていた・・・」
少し目を伏せ、千尋を見上げると、彼女は顔を真っ赤にしてただ口をぱくぱくとさせていた。
何故。
何故そのような反応を見せるのだろう。
嫌われているのなら、はっきりと答えてくれるだろうし、もしそうでないのなら否定してくれるだろう。
何らかの言葉を与えてくれるとハクは考えていた。
けれど、視線を上げてみると、彼女は顔を真っ赤にして何も答えてくれない。
もう許してくれないのだろうか。
傍にいてくれないのだろうか。
絶望的な考えを止められないハクに、千尋は少し複雑な表情を見せた後、何かを決意したように顔を上げ、彼を見据えると、何度も何度も深呼吸を繰り返すと、ハクの考えを打ち消すためにゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「・・・あのね。違うの・・。ごめんなさい。ハクに一杯心配かけることしちゃって・・。・・は・・恥ずかしかったの・・。ハクに・・会うのが・・・」
何故?恥ずかしい?
浮かぶ言葉は疑問ばかり。
眉間に皺を寄せるハクの顔をまともに見れず、千尋はもう耳まで真っ赤にし、前よりさらに深く何度も何度も深呼吸をし、今自分の中にある最大の勇気を振り絞って、想いを言葉に変えた。
「・・・ハク・・・・が・・・・・・・・・・・・好きだから・・・・・・・」
消え入りそうになるほどの小さな声。
けれどはっきりと想いを形にする。
どれだけの勇気が彼女に必要だったか。
言った後、彼女は恥ずかしさのあまり一瞬気が遠くなったような気までした。
「私も千尋が好きだよ」
ハクの言葉に千尋はばっと顔を上げる。そこには嬉しそうな満面の笑み。
「嫌われているわけじゃなかったんだね。・・・・よかった・・・・」
本当に心の底から出てくる安堵の息がハクの口から漏れる。
すっと千尋の首に手が回され、優しく、強く抱きしめられる。
またこうやって触れられる。
千尋の傍にいられる。
それだけでハクは心が満たされる気がした。
溢れてくる喜びに溺れてしまいそうだった。
だからハクは気づかなかった。
千尋が、「好きだよ」という己の言葉に、一瞬泣きそうな表情を見せたことを。
今、顔を真っ赤にして微笑んでいる彼女しか見えなかった。
心が交わることは無い。重なることはあるけれど。
心はそのひとだけのものだから。
だから隔たりが消えることは永遠に無い。
心があるから。
けれど。
だからこそ。
私は幸せにもなれるし、不幸にもなれる。
心が揺れて、私が私になる。
でも望むのは。
いつだって幸せ。
あなたは私にどちらを与えてくれますか。
私はあなたを幸せにしたい。