成長3

不変なままでいいと思う。
変化は必要ない。
壊れてしまったらどうする。
きっと辛い。

けれど、そなたが変化を望むなら。
私は変化を受け入れたい。
あの草原で誓った約束を果たすのと同じように。

つい先日、月夜の晩に廊下で会ってから、ハクは千尋と会う機会が全く無くなってしまっていた。
従業員を監督するために、店内を巡回することも彼の仕事のひとつであったから、巡回の間につい彼女の姿を探してしまうのが習慣となっていたのだが。
いつもならすぐに見つけ、思わず喜びに微笑むと、千尋も何らかの反応を返してくれた。
それがとても嬉しくて。
その一時だけを支えに彼は毎日の仕事をこなしていた。
しかし、このところ全くその彼女の姿を見ることは無かった。
自分が行く場所と必ず異なる場所で働いている。もしくは、所用で場を離れているということが多かった。
必ず。
ここまで会えないと流石に不安を感じ得ないわけにはいかない。
何か悪いことをしたのだろうか。と。
原因はおそらく、先日の、千尋と最後に出会った、あの月夜の出来事。けれど、どうして彼女が怒ってしまったのかハクには未ださっぱり分からない。
けれど、もし自分が気づかずに彼女を傷つけてしまったのなら謝りたい。のだが本人には会えない。
千尋にも仕事があるのだから仕方無い。疲れているところを無理強いして会う時間をつくることなどできない。とは分かっていても。
苦しかった。
彼女に触れ、彼女の傍にいることで、心が癒される。
息が詰まりそうだった。

「ハク様、最近どうかされたのか?」
ハク本人は今、湯婆婆に呼ばれ、彼女の元に行っている。
残された兄役、父役は厳しい上司から暫し解放され、残された仕事をこなしながら、雑談を交わしていた。
そんな中で、ふと、そのような疑問が父役の口から漏れたのだった。
「・・・やはりおぬしもそう思うか」
兄役も、最近持ち始めた疑問が自分だけではないことを確認し、彼の言葉に同意する。
「ハク様は私たちには何も仰ってはくだされないからな」
「ああ。表情さえ変えず、仕事中はどんなことがあってもいつもと何一つ変わらない態度を取られる御方だからな」
それでも気づくのは、長年側にいるからこそ。
ハクは本当に自分の事に関しては何も話さない。父役たちが気がついた時には死の一歩手前だったことでさえある。
何も言わないのは、彼のプライドの高さ故と、従業員を思う故の優しさ。
時にそれが他人には愚かな行為のようにも映ってしまうこともあるが。
普段の彼はとても真面目で、仕事は決して手を抜くことが無い。冷静沈着、時に冷酷な判断を下すこともある。それ故に、従業員の中では彼を冷たい存在に見る者も多い。
彼に接しなければ、側にいなければ分からない、彼の本当の姿。
彼は何でも一人でこなしてしまうから、彼の役に立つことは難しい。けれど、何もできなくとも、彼が一人で壊れてしまわないよう支えよう。彼を傷つけないように。
見守ろう。
そうハク自身には秘密でふたりの間で決めたのは、いつの頃だったろうか。
父役は目を通していた宴会予定表を閉じ、ふっと溜息をつく。
「最近、ハク様の側にいて千の姿を見たことが無かったよな」
兄役は沈黙する。
それは同意の証。
彼らにとって人間など下賎なもの。嫌悪を抱く対象であった。
千尋が油屋に現れるまでは。
彼女がこの湯屋に現れてから、その意識は確実に薄れ始めていた。
実際に店で働いていたのはたった四日の間。たった四日間なのだ。
それなのに、彼女が湯屋の従業員に与えたものは多かった。
今は湯屋の者であれば誰でも彼女を娘のように、妹のように、姉のように、孫のように可愛がる。
あの湯婆婆でさえも懐柔する。
不器用で、未だ満足に仕事をこなす事もできないけれど、そんなことが全く気にならないような不思議な魅力が彼女にはあった。
そして、その彼女の影響を受けた筆頭がハクと言える。
千尋が来てからの彼は、仕事に対して決して己の感情を見せず、手を抜くことをせず、厳しかったことが、完璧主義は今でも変わらないが、ふとした時に笑みを見せ、従業員たちへの対応、待遇に柔軟さを見せ始めていた。
本人はそんな己の変化に気づいていないかも知れないが。
千尋だけは。
彼女だけは、彼にとっての心の在り処。
彼の唯一の居場所。
当の二人は親密であることを隠しているつもりのようだったが、ハクの表情、行動を見れば、気づかないはずが無かった。
人間だけれども。
沢山の隔たりはあるけれども。
二人が互いを望むのなら。
今はただ見守っていよう。
まだ花は咲かずにいるけれど。
ゆっくりと。
二人の関係は、見守るほうがむず痒くなるほどの初々しさ。
だからこそ大切に見守っていこうと思っていた。
「何かあったか?」
「いいや」
兄役の問いに、父役は首を振る。
「いいさ。若いんだから。色々あるだろうさ」
神々が来るこの湯屋では、外見で年齢を読み取ることは難しい。
皆が皆同じ時の流れで生きているとは限らないから。
もしかしたら、父役や兄役よりもハクの方がずっと長く生きているのかもしれない。
けれど、それでも容姿はその人物のある程度の精神年齢に比例する。
ハクはおそらくまだ同じ種族の中では若いのだろうことは読み取れた。
どんなに仕事を父役や兄役より完璧にこなせても。
心の成長は彼らの方が上。
「そうだな。もう暫く様子を見てみるか。ハク様の不機嫌の被害も、もう暫く続くだろうが」
父役の言葉にそう返答し、兄役は苦笑する。
「たまにはいいだろう。仕事以外での感情をぶつけられるのも」
「私たちも・・・何だかんだ言っても、息子のようにハク様が可愛いんだからな」
「親馬鹿とでもいうのかな?」
父役の言葉に、言い出した本人、兄役の二人はたまらず笑い出した。

決して一人じゃない。
誰も自分を分かってくれない。
己の殻に閉じこもることはいつでもできる。
周りを見てごらん。
いつでも見守ってくれるひとがいるから。