変わることは怖い。
変わることは嬉しい。
変わることで私は近づける。
変わることで私は離れる。
けれど、変わらないから。
一番大切なものは変わらないから。
ただ、形が変わるだけ。
「ねぇ。リンさん。・・・どうしてハクってハクなのかなぁ」
賄い中。
本日のメニューはきゅうりの漬物と、白米。そしてふとワカメの入った味噌汁。
いつもの如く、今日もまた質素すぎるメニューで、常に寝る以外は働かされる従業員にとってみれば、これでは栄養が足りなく、いつか倒れてしまうのではないかと思わせるくらい、質素であった。しいて言うのなら、白米なだけまだいいのかもしれない。
そんなことはどうでもいい。
可愛い自分の妹分の突然の呟きに、リンは口に含んだご飯を噴出しそうになったが、それをどうにか抑え、代わりに激しくむせた。
「ごほっ・・ごほっ・・どうして突然そんなこと聞くんだ?」
むせ続けるリンの背中を慌てて擦りながら、千尋は顔を赤くする。
「・・何となくね・・。・・・・・・ハクがね。優しくしてくれるのは嬉しいの。手を繋ぐとどきどきするの。何気なく触れてくれて、側にいてくれるだけで幸せなの・・・」
「・・・千・・のろけか?」
口ごもりながらも打ち明けた、千尋の話の内容に、今度は思わず砂を吐きそうになりじながらも、呆れた口調で呟いたリンに千尋はさらに顔を赤くして否定する。
「ちっ!違うよ!・・普段は厳しいけど、二人になるとすっごく優しい笑顔見せてくれるよ。手も繋いでくれるよ。でもね・・ハクは・・違うの」
漠然とまとまりがなさ過ぎる言葉と、どう聞いてものろけにしか聞こえない内容に、リンは千尋の言いたいことがさっぱり理解できず、首を傾げる。
「何が違うんだ?」
「・・・ハクは・・私のこと・・どう思ってくれてるのかなって・・」
「好きだろ」
顔を耳まで真っ赤にして、精一杯勇気を振り絞って出した千尋の言葉に、リンはあっけらかんとして答える。
「違うの!そうじゃないの!」
「何が?」
やはり、リンには千尋の言いたいことが分からない。
二人が時間があれば会っているのを、リンは知っている。
仲睦まじそうに、幸せそうに二人が笑っているのを。
ハクは冷酷というイメージが従業員の中ではどうしても強い。
しかしハクだって、別に普段から冷たい態度ばかり取っているわけではない。ただ湯屋で働く以上、仕事上どうしても上下関係というものが出来てしまうから、尚且ついつも無表情で淡々とけれど確実にどんな仕事でも完璧にこなしてしまうから自然とイメージができてしまうだけなのだ。
リン自身を実を言うとあまり好きな部類には入らない。
何でも一人でこなしてしまうから。
誰にも頼らず。それでいて誰よりも完璧に。
そう。他の従業員たちとは一線かけ離れていた。
あえて言うのなら、自分たちとは違う存在。
彼は誰よりも上の位置にいた。そしてそう扱われていた。
徒党も組まなければ、仲間もいない。
慕われもしなければ、反感をくらうこともない。
たったひとりの存在。
リンは彼を嫌いながらも、そんな彼を理解していた。
だからこそなのかも知れない。その彼が従業員には滅多に見せることのない笑顔を千尋にだけには見せているということを、千尋から聞いた時、リン自身、想像するそんな彼の姿に何故か怖がるよりも、安堵するしたものだった。
彼にも心を許せる相手を見つけられたのだ。と。
何処から見ても相思相愛。
仕事中にそんな素振りは流石ハクというところだろうか、少しも見せないけれど、一部の者、ハク、もしくは千尋に近しい者には周知の事実であった。
彼の持つ独特の冷たい空気が、千尋の傍にいるだけで、明らかに柔らかく変わっていたから。
それなのに今更何を不安になるのかリンにはさっぱり理解ができなかった。
「ハクの好き・・・と、私の・・・好き・・・って違うような気がするの・・・」
真っ赤になって俯き、息も切れ切れにどうにか綴る千尋の言葉に、リンやっと「あぁ」と納得する。
「なるほどね。そーいうことが言いたかったのか」
人間の成長は速い。
神々が訪れるこの湯屋では、時というものは無限のように思われ、忘れてしまいがちになる。
神の時の流れはとても穏やかだから。
けれど確実に流れているのだ。
小さな人間の少女が、今まで何気なく傍にいた少年を異性と感じ始めるくらいに。
「全然ね・・平気な顔して、手を繋いでくるの。・・顔を近づけてくるの・・。私はそのたびにどきどきして・・心臓が壊れちゃうんじゃないかって思うのに・・」
異性に、しかも自分の好きな少年に用をたしに行くことを告げるのに、どれだけ恥ずかしいものか。
肌を意識して見られていたと感じることがどれだけ恥ずかしいものか。
本当ならどうでもいいことなのかもしれない。
意識するようなことでもないのかもしれない。
けれど、ハクの言葉ひとつひとつが全て耳の中に入り、視線がそのまま目に入り、意識してしまうのだ。
そして胸がどきどきするのだ。
自分は彼に可愛く見られているのか。
綺麗に映っているか。
嫌われるようなことをしていないか。
好かれているのか。
どうしたらもっと好きになってもらえるのか。
女の子として見てもらえるのか。
千尋はとても悩むのだ。
なのに、ハクはそんな彼女の気持ちを少しも感じていない。
気づいてくれていない。
そんな気がするのだ。
好きだから傍にいてくれる。
大切だと言ってくれる。
触れてくれる。
でも。
気持ちは。
自分の持っている気持ちと、溢れてくる気持ちと違う気がする。
家族の気持ちでも、友達の気持ちでもない、大切っていう気持ち。
それは凄く嬉しい。
でも、もっと違う気持ちがいい。
その気持ちは彼の中には少しもないのだろうか。
だから、千尋は不安になるのだ。
自分にだけ優しい彼に。
自分にだけ優しいから。
「・・・まぁ。なぁ」
リンは今までの千尋と話している時のハクを思い出しながら、曖昧に頷く。
ついこの間まで子どもらしい初々しく可愛い二人だ。今は恋愛とかいうものを知らないで、ただ傍にいるだけでいいんだろうな。くらいにしか思っていなく、いつか恋愛に変わることもあるのかな。なんて漠然と思っていたのだが、千尋にはすでにその変化が起きていたのだ。
いつまでも子どものままではいられないけれど。
まだずっと先の話だと思っていた。
考えてみれば、千尋はすでに自分の姿と同じくらいまでに成長している。
十歳の頃とは、ずいぶん顔つきも体も変わっていた。
忘れていたのだ。人間である千尋と自分では時の流れが異なっていることを。
いや。気づいていたのだけれど、気づかなかったのだ。人間は体の成長と共に心が成長する生き物だということに。
「・・・何でだろうね・・。ハクが傍にいてくれて嬉しいのに・・・すごく寂しいの・・」
涙を目に浮かべ、そう呟くと、気持ちを振り払うように勢いよくご飯を口に入れる千尋を横目に、リンは小さく溜息をついた。
体が成長すると共に心が成長する人間。
心が成長すると共に体が成長する神。
交わることはできないもの?