千尋に尋ねられた。
「最近ね。・・・・私が誰かと話してると、ハクがいつの間にか怖い顔して私の後ろに立っているって皆言うんだけど。どうして?私とお話しているひとたち、皆かちんかちんに固まっちゃうの。そんなに怖い顔してるの?」
彼女の何気ない質問。
千尋にはどうしてもその理由が分からなかったし、確かに仕事中のハクは厳しい表情をしているが、それは真剣な眼差しであって恐ろしいものではない。普段自分の前では笑顔しか見せないハクの姿しか知らないから、余計に不思議な事でならなかった。
ハクが仕事に対しては真面目なのは分かっている。しかしそうであったとしても、彼女が仕事の話をしているときにでさえ、怒りの表情を見せているというのだから、流石に気にならない訳が無かった。逆に自分が原因で話し相手を困らせているような気がして申し訳ないような気までし初めていたから余計にだった。
ハク自身、そんなことを問われたところで言葉に詰まってしまった。
自分が普段何気なく取っている行動に理由をつけろと言われているようなものだったからだ。
歩いている人に向かって、「どうして歩いているんですか?どうやって歩いているんですか?」と聞かれているようなものだった。
そのくらい、ハクにとっては何気ない行動だったので驚いてしまったのだ。
はっきり言えば自覚が無かったのだ。
千尋に聞かれて、確かに最近千尋が誰かと話しているところに出くわす回数が多い気がしていたことを思い出す。
しかし、見回りの途中で会うだけであって、頻繁にではない。ましてやわざとやっているなんてあるはずもない。
恐い顔というが、仕事中にへらへらしている方がおかしいだろう。無駄話をしている暇は無い。だから従業員が会話をしている姿を見ると、つい注意を促すために睨んでしまう事はあったかもしれない。
ただそれだけであって、千尋が言うようなそんな事実は彼の中にはない。
だからハクは「いつもと変わらないよ」と答えた。
何も自分は変わっていないのだから。
千尋は何か別の答えを期待していたのか、少し驚くと自嘲するように苦笑を浮かべ、「そっかぁ・・・そうだよね」と言葉を返した。
何を思って私がそんな行動を取っていると考えたのだろう?
ハクは首を傾げた。
自分の行動を指摘されると気になってしまう。それがひと・・・もとい竜というものだ。
千尋が仕事に戻ってしまった後、ハクは何となく今までの行動を思い出し、首を傾げた。
仕事は山積になり、容赦無く増えていくものだから、来るもの来るものを手当たり次第に片付けていく。そうやって、仕事から次の仕事へと場所と共に移動していく。そんな仕事の中から意識が離れるほんの一瞬、ハクは己の行動を思い出しては首を傾げていた。
そうしてまた次の仕事へと取りかかる為の移動中、首を傾げながら歩いていたところで、湯殿で次に入るお客様の為の湯を用意している千尋を見つける。
そういえば最近、千尋を良く見かける。
彼女の姿を見るだけで、癒されている自分がいるのは分かっている。
辛い仕事のはずなのに、笑って、楽しそうにいて、それでいて一生懸命こなすその姿を見ると、胸に暖かいものが満たされていく。
一瞬であっても、癒される瞬間。
けれど、ハクは帳簿係。千尋は小湯女。元々の職種が異なる為に、仕事内容も大幅に異なる。顔を合わせる機会は少ないはずだ。
それなのに何故、最近になって出会う頻度が高いのだろう。
監督の為に湯殿へ向かうことは確かに多い。けれど、元々必要以上それほど足を運んでいなかったはずだ。
変わらないのだが・・・。
チヒロニアエナクナル。
何かが胸に詰まり、大きく鼓動ひとつ鳴らす。
突然の胸の痛みにハクは顔を上げ、キョロキョロと左右を見回す。
誰かが自分を驚かせることをしたのかと思ったからだ。
そんなことはありはしないのに。
顔を上げると、また千尋が目に留まる。
笑顔を見ると、硬く凍り付いていた心が柔らかくなる。
彼女が誰か別の者と話している。
隣に視線を移すと、リンと会話をしていたのかと気づく。
ワタシトハ、スコシノアイダシカハナシテクレナイノニ。
またどくんと脈打つ。
またか。ともハクは溜息を落とす。
最近多いのだ。訳も無く突然心が衝撃を受けたり、虚ろになったり。
現に今、ハクの心は闇の中に沈んでいる。
千尋が誰かと話している姿を見ただけなのに。
胸が容赦無く痛むのだ。
彼女だって、彼以外の者と会話を交わすことは勿論あるだろう。
老若男女。従業員。お客様。神であっても。
そんなこと分かりきっている事であるし、当然の事である。
しかし、千尋が楽しそうにしているのを見ると、その相手の者に嫌悪感を覚えてしまうのだ。
千尋には・・・・・・。
ハクは己の胸にあるものに気がつき、苦笑する。
自分の側で笑っていて欲しい。
自分の前でだけ笑顔を見せて欲しい。
誰も見せず、自分だけに笑いかけて欲しい。
もっと千尋の側にいたい。
いつも千尋の側にいるのは自分でありたい。
千尋が見つめるのは、自分だけでいい。
千尋がもっている様々な感情をぶつけてくるのは、自分だけがいい。
他の誰にも、千尋の大切にしている存在が自分である以上にさせたくない。
己の中で疼くのは、独占欲。
何と傲慢で、自己中心的な考えが渦巻くのだろう。
しかも彼は、自分のそんな感情に気づかず、無意識に態度に出してしまっていたのだ。
暗く、黒い感情。
ハクは己の穢れた感情を認め、笑うしかなかった。
いつのまに自分の中にこんな感情が渦巻くようになっていたのだろうと思う。
千尋を大切に思うあまり、いつのまにか自分のものだと勘違いしているのだ。
何よりも大切で、愛しくて仕方の無いひと。
誰よりも幸せに、誰よりも豊かに生きて欲しいと願う。
愛しさは積もる。雪のように。落ち葉のように。
けれど、それはハクが彼女を独占しても良いという事には繋がらない。
彼女には、彼女の人生を精一杯生きて欲しいと思う。
自分はそれを支える存在でありたいと願うのだ。
千尋が望んでくれるのなら。
こんな自分でも側にいたいと彼女は望んでくれるだろうか。
こんな自分でも必要としてくれるだろうか。
愛しいと思ってくれるだろうか。
若く、まだ心を制しきれない竜は。
己の感情をひとつ誤解する。