何なの?何なの?
一体何なの!?
千尋の頭の中には、疑問符ばかりが並べられている。
厨房での一件といい、リンとの何気ないお喋りの時といい、最近のハクは何処かおかしいのだ。
彼女が誰かと会話をしていると、何所からとも無く、気がついたらハクが後ろにいるのだ。底知れぬ冷気を放って。
いつもいつも。
いつも千尋の後ろから彼は現れるのだが、彼が現れると、彼女にもすぐに分かる。話し相手の顔色が変わるからだ。さっきの調理の従業員がよい例といえよう。突然彼女との会話を止め、中空を凝視し、その場で固まってしまうのだ。千尋も最初のうちは、相手の顔色が変わるまで、気づかなかったのだが、今では、凍りつくような気配に彼女も一瞬で察知するようになってしまっていた。
千尋にもハクがこの油屋では身分高く、恐れられているのを知っていたから、突然ハクが現れて、驚いてしまっただけなのだろうと思っていた。
しかし、あまりにも頻繁に続くのだ。
彼は彼で仕事をしているはずなのだし、千尋なんかよりもずっと思い役目を背負っているだろう。全く仕事の内容が異なるのだから、会う機会は本当に限られるくらい少ないはずなのだ。
それでも会いたいと思ってくれるのか、忙しい仕事中、たまに時間ができると、ハクは遊びに彼女を訪ねに来てくれる。
それが最近の楽しみであり、凄く嬉しかったのだが。
千尋でも変に思うくらい、最近ハクが自分のところ・・・・というか背後に立っている確率が高い気がする。
自意識過剰なだけかもしれない。
けれどーーー多い気がするのだ。
そして一緒にいる者の表情は凍りつく。
リン曰く、『ハクの本性を表したような表情だ』と、いまいち理解できない表現をされる。
あまりに頻繁に続くものだから、今日、勇気を持って、その表情を拝むため、初めて後ろを振り返ったのだが。
結果的には、叱られてしまい、いつもの『ハク様』だった。
しかし。千尋には分からない。
彼女の前で見せるハクの表情は最近、いつもに比べてずっと穏やかで優しい。
どこまでも、どこまでも優しくて。
笑顔を見るだけで。
声を聞くだけで。
とろけそうになってしまう。
全身の熱が上がり、体が固まってしまうのだ。
「千尋」
お客様の部屋から見える庭を一人で掃除をしていたところ、何処からか声がかかる。
声の主を探そうと振り返ると、咲き誇る花の陰からハクが手招きをしていた。
最近こういうことが多い。
今までなら、仕事中は仕事中と割り切って、絶対にハクから声をかけてくることなどなかった。逆に思わず声をかけてしまい、しかられた経験の方が圧倒的に多かった。それは例え休憩時間中であっても、勤務時間内だからということで決してすることはなかった。
そんな彼が、彼女の仕事中に『千』ではなく『千尋』と呼ぶ。
彼に少しの余裕の時間ができ、千尋が他の者と離れて一人仕事をしている時を見計らって、もしくは彼女の休憩中に時間を作っては尋ねてくるのだ。
ハクは休憩中でも、千尋はあくまで仕事中。千尋は休憩中でも、ハクは仕事中。必ずといっていいほどどちらかなのだ。だからあまり頻繁に出会うと、上司に呼ばれたとのこじつけ理由で、仕事を怠けているとか、周囲の者から千尋が咎められないよう、ハクはハクなりに気を使って現れるのだ。
だったら今までと同じように、仕事が終わってから声をかけてくれればいいのにとも思うのだが。
嬉しい事には変わりない。
今までハクがそんな事をしたことが無かったし、時間を作ってまで会いに来てくれる事が嬉しかった。
それだけ自分を好きでいてくれる。
一緒にいたいと思ってくれている。
そう、少し、自惚れてもいいかな?
千尋は嬉しかった。
「甘菓子が手に入ったんだ。洋菓子なのだが、千尋が好きかと思って持ってきた」
そう言って差し出すハクの手の中には、チョコレートやキャラメルが乗せられていた。
「ありがとうっ!」
千尋はその中のひとつを手に取ると口に入れる。
「おいしい」
甘さが口の中に広がって、仕事でヘトヘトに疲れていた気持ちが楽になるような気がして不思議な気持ちになる。
何よりもハクが自分の為に持ってきてくれた事が嬉しかった。
顔を上げると、ハクが目を細め、嬉しそうに微笑んでいる。
笑顔を見るだけで、千尋の体温が上がっていくのを感じるのだ、いつまでも逸らすことなく、見つめ続けてくる深緑の瞳に彼女から先に視線を逸らしてしまう。
頬が熱くなっているのが分かる。
自信過剰かもしれない。
自信過剰かもしれない、ハクの視線がーーーーーー今までと違う気がするのだ。
何がこうというわけではないのだが。
恥ずかしくなって、千尋はチョコレートの口に残る甘さだけに集中し、今だ注ぎ続けてくる視線から意識をずらし、頬の熱を下げようとする。
本当にいつも、こんな他愛もないことでハクは声をかけてくる。
千尋を喜ばせてくれようとする。
自分に優しくて。優しくて。
自分だけに甘いような気がするのだ。
調子に乗りすぎて甘えすぎてしまう。甘えすぎると、物事を失敗する癖があることを千尋は自覚していたから、ハクに甘えないように自分を抑えるのだが、ーーーーーつい甘えてしまう。
最近は特にそんな嬉しい事ばかりだから。
優しくしてくれるハクが。
自分のことを・・・・・好きだと思ってくれて、喜ばせてくれようとしてくれる。
喜ぶ自分を見て、嬉しそうに笑ってくれる。
・・・・・・・何だか・・・・好きだっていわれてるみたいなんだもん。
けれど、ハクに一度告白をした時、千尋ははっきりと感じた。
ハクの『好き』は『恋』ではない。
千尋の事を、可愛いと、それこそ、家族か、妹のように見てくれていると気がついた。
だからこの行動も。ただそれだけ。その気持ちから。
特別な感情を持ってくれていると勘違いしてしまうのは。
自意識過剰なだけ。
分かっている。分かっているのだけれど、最近の彼の過剰な愛情表現に、恥ずかしくて、嬉しくて、泣きたくて、困った。
「・・・もっもう仕事戻るね」
考えれば考えるほど、今のこの状況がいたたまれなくなり、千尋は立ち上がる。
腰を上げる千尋にはっとハクは顔を上げる。
「・・・そうか・・・そうだな・・戻ろうか」
そして何を思うのか、俯き目を伏せると、自分を言い聞かせるかのように切なそうに呟く。
千尋は自分の体温がまた急上昇していくのを感じる。
だっだから~~~~。
これは好きとか恋とかそんなんじゃなくてっ!
ハクは純粋に私と放れるのを惜しんでくれているだけでっ!
だからそんなんじゃなくってっ!
ハクの切なそうに俯くその表情がとても綺麗だからとかそういうことでもなく。
ただ自分と少しでも多く一緒にいたいと思ってくれているだけで。
真面目で、仕事とプライベートをはっきりと分けるハクが、仕事に戻る事を拒み、千尋と一緒にいる事を望んでいる事は事実であって。
ただ、それが現実で、少しでも離れる事を惜しんでくれる人がいる事など生まれて初めてで。
しかもそれが自分の好きな人で。
嬉しくならない訳が無い。
けれど、千尋は自分の中の『好き』の気持ちをぶつけちゃいけない。
彼の好きは、千尋を異性としての『好き』では決して無いのだから。
そうしてしまえば、ハクは彼女に『異性としての好き』を返さなくてはならなくなってしまう。
一度はしてしまった告白だけれども。
もし、自分の中の『恋』での好きをぶつけてしまったら。
きっと、ハクは固まってしまう。
今度こそ・・千尋の言葉の『好き』の意味を分かってくれたとしても、そういう気持ちで今まで彼女が接していたと分かってしまったら、嫌われてしまうかもしれない。
ハクを困らせたくない。嫌われたくない。
だから千尋は今のままで、自然に接しようと思った。
どんな好きでもハクの中にある好きな気持ちに変わりは無いのだから。
「・・・もうちょっといる・・・・」
千尋は急上昇した体温で乾いた喉から、やっとのことでそれだけを呟くと、ちょこんとハクの隣に座り直す。
ハクはそんな彼女に少し驚きを見せ、そして、嬉しそうに目を細める。
だからこそ、ハクのこうした行動が千尋を困らせるのだ。