間2

ハクは数日前、姿、形ともに以前の面影を残しながらも急成長を遂げた。
元々肩で切り揃えられていた艶やかな髪は腰まで伸び、顔つきは以前は陶磁器人形のように白く柔らかな肌で、長い年月を生き、経験に合わせた表情はすれど、幼さを残していたものが、すっかりその形を潜め、切れの長い睫に、整えられた曲線を描く白い頬、深緑色の瞳はそのままに更に深みを増し、男性的な美しさよりも中性的な美しさを誇っていた。
そして背丈は高く伸び、少し前までの彼なら千尋を見上げる形だったのが、彼女の背をとうに越し、彼女の頭が彼の胸の位置に来る程だった。
人間の年齢で言えば、十七、八頃の青年の姿にすっかり変貌していた。
何が要因で突然こんな事態になったのは、実はハク自身分かっていない。
油屋に元々同族はいないのだから、助言を得られる訳でも無いし、彼自身にそれ程大きな変化があったとは自覚していない。
ただ急に高くなった目線の高さと、手足の長さに体の軸が合わせられず、自分自身の体なのに巧く扱うことが出来ず、縺れる事があるという不便はあった。
彼が変化する前に、彼自身が覚えていた事は、千尋を愛しいと想った事だけ。
彼は姿を変える前に、彼女と喧嘩をした。
他人からしてみれば他愛もないことだろう。
彼は彼自身の溢れる愛情を止められず、千尋はそれを受け止めきれず、喧嘩になった。
愛しい者から「大嫌い」の宣告を受けたのだ。
今思えば、ハクは千尋に愛情を伝えるのでは無く、ぶつけていたのだと思う。
己の想いを一方的に相手に押しつけ、それに対して素直に純粋に応えてくれるから、それがまた嬉しくて、自分が彼女をどれだけ思っているか態度で告げ、彼女が思ってくれるのを確認しながら、確認したくて、彼女も態度で応えてくれるようにし向けた。
今なら狡い事をしていたと振り返る。
しかし、その時は己の彼女への愛しいと想う喜びが抑えきれず、気付く事は無かった。
彼女に嫌われても当然の事だろう。
けれど初めから望んでいた事では無かった。
ハクの初めの望みは違っていたはずだ。
彼女はいつも笑顔で。
幸せに。
誰よりも幸せになるよう、傍で守りたい。そう望むだけだったはずだ。
たとえ己のこの想いに彼女が気付く事が無くとも、応えてくれる事が無くとも。
傍で、彼女を支えていく事ができたら。
それだけが望みだったはずだ。
彼女の傍で、彼女を包み込むように、柔らかな感情で、彼女の安らぎとなれるように。そんな愛情で接したいと願っていた。
ハクに対する千尋の影響力は凄い。
彼女が彼に向かって微笑む、話しかける、泣く。たったそれだけの事で千尋への愛情でハクの感情は暴走する。
それだけに千尋が彼に愛しいという感情を持って優しく接してくれる、包んでくれる、それだけで、彼の心は温かな海を漂うように愛しさで溢れ、満たされるのだ。
彼は己の想いを一方的にぶつけ、彼女を傷つけてしまった。嫌われて当然の事をした。それなのに彼女はいとも容易くそんな彼を赦してくれ、それだけでなく、彼が彼女に向けて望んでいた愛情表現を、千尋は難なく彼に与えてしまった。
狡い、悔しい、と思う気持ちの他に愛しいという気持ちが溢れる。
赦される事は嬉しい。千尋に優しくして貰える事が嬉しい。
そして、ハクは願っていただけだった。
このような愛情を千尋にも与えられたら。
そして、千尋がそれを幸せと感じてくれたら。
ハクはきっと何よりの幸福に満たされる。
ーーーー気が付いたら、彼は容姿の成長を遂げていた。

未だ俯き続ける少女を、ハクは見つめる。
彼女の変化の始まりを思い出す。
喧嘩をしたその夜、千尋が、ハクの部屋を訪ねてくれ、彼女自身を傷つけたハクを赦してくれた。
その千尋が愛しくて、触れたくて、抱きしめたくて、己の内にある愛しさを昇華しきれず、本来なら彼女に当てられている湯女の御お部屋へ帰し、彼女を休ませなければならないのだが、勝手にも、床を共にしてしまった。
翌日、千尋はハクが成長した事と、自分が彼の布団で共に眠っていた事実に、頬だけではすまなく全身を真っ赤にして悲鳴を上げていた。
千尋の気が動転するだろう事も、彼女が湯女たちの元へ戻ったときに、ハクとだとはいえ、男と一夜床を共にした事を冷やかされるだろう事も予想はついていた。
それでも、ハクはその時、彼女を離したくなくて、傍にいて欲しくて、また自分勝手な選択をしてしまった。
自分ばかりが満たされる事を望み、やはり彼女のように包み込むような温かな愛情を与えることは自分には出来ないのだと、自己嫌悪と、溜息ばかりを繰り返していた。
それでも、数日後には千尋は普通に接してくれるようになり、嫌われていないのだと、ほっと安心した彼だったが、最近になって、千尋の信条がまた変化したのだと気付き始めていた。
彼女がさり気なく、ハクと間を置くようになった。
朝の僅かばかりの時間の出会いと、お喋りの時、就寝前の語らいの時、必ずある一定の距離を置いて千尋は傍に立つ。
今までそんなに触れ合う程近く接していたのかと問われれば、そんな事は無いと答えるが、違和感を感じるのだ。
会話にしても、今まで何でも思うまま感じるままに様々な事を話してくれていた彼女が、偶に言葉に詰まり、話題を急に変える事があるのだ。
微妙な空間。
隔たりを彼女といる時に感じてしまう。
彼女がそれを分かっていて、意図的に行動している気がするのだ。
事の始まりは、この姿になってから。
もしかして千尋はハクがこの姿になることを望んでいなかったのではないだろうか。
心がまだ未熟でも、肉体的には、以前のように彼女を見上げ、まるで庇護されている子どもでいるような圧迫感は消えたし、彼女を外敵から、心の慟哭からなる表情の乏しさから守る為に包み込める体格になった。理由は分からないが、ハクとしては満足の出来る結果ではあったのだが。
千尋は嫌だったのだろうか。
この姿になる事によって、自分は逆に千尋に嫌悪される存在となってしまったのではないだろうか。
この姿・・・。
ハクは己が纏う、今の彼の丈に合わせられた白い狩衣を見回した。
成長した姿で水干姿でいるにはあまりにも違和感がある。下男ならまだしも、帳簿を預かり、お客様の部屋へ赴くことさえある彼が、大人の姿になってまで水干でいるのは彼の端麗な容姿に違和感があるのは勿論、お客様に失礼になってしまっていた。その為、平素の時は狩衣、客間へ上がる時は直衣と、己の欲の為に金を使うのは豪快だが従業員の支給には一銭たりとも余計な出費は出さないと決めている湯婆婆だったが、今回の事は流石にそういう訳にもいかず、苦渋の決断で誂えられた。
こんな姿だから千尋は己を避けるようになってしまったのだろうか。
千尋に嫌われてしまったのだろうか。
ハクはまた、小さな溜息をついた。