微熱

まるでそれは水の中にできる波紋。
風で揺れる。
生きているものの鼓動で揺れる。
そんな穏やかな揺らぎ。
変わらないもの。確かなもの。
安らぎを与えるもの。
そんな中に雫が零れ落ちる。
ぽつり。ぽつり。と。
それは水に大きな波紋を作り。やがて波となる。
小刻みに震える鼓動。零れ落ちる雫。
それはまるで音楽のよう。
時に鈍い音を奏でながら、時に鮮明な音を作り出しながら。
完全ではないもの。
だからこそ、自然なもの。
決して己だけでは作り出せないもの。

零れた雫。
最初に拾ったのは、川という名の己の中。
それは柔らかくて。温かくて。
抱きしめると、触れたところから伝わる温もり。
己さえも温めてくれた。
千尋という名の雫。
とても不思議で。
愛しくて。
心の中に小さな波紋と。
柔らかな微熱を残す。

大きな嵐と、激流に合い。
柔らかな波紋は、追憶の底に沈められ。
身体を走る激しい痛みと。
蝕まれる心の闇に。
己というものを閉ざす。
それは、生きているというのだろうか。
今となっては分からない。
あれは生きていたと言えるのだろうか。

記憶の底に押し込めた波紋は。
手の届かないところへ、誰にも触れられないように隠しはしても。
確実に波紋を作り続けていた。
最も尊い記憶として。

衝撃は大きな波紋を作る。
触れたのは微熱。
再びまみえた。
千尋という名の、生命そのもの。
雫は閉ざされていた、故意に閉じていた、自己という存在を思い出させる。
溢れる水泡。
湧き上がる水。
流れても、流れても。
湧き上がることを止めない感情。
箍が外れ、そして、ことん、と大きな波紋を作る。
何よりも尊く。
何よりも愛しく。
何よりもかけがえの無い。
唯一のもの。

そのぬくもりも。
その鼓動も。
その命も。
全てが、己に安らぎを与える。
理由など無い。
いつからなどない。
あの時。あの川でであった瞬間から。

ハクは、千尋のものとなったのだ。

波紋はいつしか漣へと変わる。
穏やかな時もあれば、激しく震える時もある。
与えられる感情。溢れ出す感情。
生まれてくる新しい波。
怒りも。喜びも。悲しみも。
全て千尋に触れてから、激しくなっている。
こんなにも激情的になることなど無かった。
こんなにも祈ることなど無かった。
こんなにも願う事など無かった。

触れる雫は、柔らかな熱を与える。
自分の側で幸せに。
自分の側で穏やかに。
いつも笑顔で。
決して絶やさぬように。
誰にも汚されなどしないように。
守ろう。
もし、守る者が、自分で良いと言ってくれるのなら。
自分で良いと望んでくれるのなら。

穏やかな、安らぎの中にある欠片。
緩やかな微熱。
今まで作られていた波紋の形が変わる。
ゆるりと変化してゆく雫。
時を重ねるとともに、形が変わってゆく。
そのものの元は変わりはしないけれど。
磨かれて、その奥にある輝きが増す。
長い時を過ごしてきたのは、確かに己の方だけれど。
時の流れが己と異なる雫は。
自分を簡単に越えてしまう。

輝き溢れ出す雫は。
己を惹きつけ。
見るもの全てを魅了する。

絶えど無く変化する雫は、新しい波紋と、波を作り。
熱が上がる。
触れる先から熱が伝わり、己の熱が上がっていく。
常に魅了し続ける雫に、熱は上がってゆく。
熱にうかされて。
己を忘れて。

愛しさで気が遠くなってしまいそうな自分がいる。

千尋の熱が伝わって、自分の体温も上がるのだと信じていた。
千尋が己の感情をぶつけるのは、自分だけが良いと願った。
千尋を守るのは、自分だけだと祈った。
千尋が持つ世界は、自分と共有する世界だけが良いと望んだ。
千尋に触れられるのは、自分だけの特権でありたいと切望した。
いつも。
どこにいても。
いつか。
これからも。

千尋が側にいなくては、私は生きられないだろう。
千尋の側にいられなければ、私は私ではなくなるだろう。

それは感情は。
過保護で。傲慢で。
千尋を愛しいと思うが故の。
千尋を大切に思うが故の。
ただ。それだけの感情なのだと。
信じて疑わなかった。

柔らかな熱。
穏やかな波紋。

その奥にある激しい熱。
広がる波紋。
高鳴る鼓動。

触れたいと願う。
千尋に自分だけを見つめて欲しいと願う。
千尋の心は全て自分に委ねられたいと願う。
その心も。その笑顔も。その涙も。その髪も。
全てを。

欲しいと願う。

千尋を欲しいと願う。

こんなにも。
愛しくて。
愛しくて。
愛しくて。

-------愛している。

上昇する熱は千尋の体温を得て、己の体温が上がっていたのだと気づく。
彼女が自分を見つめるだけで、笑いかけてくれるだけで。
熱は上がるのだ。
愛しいという思いで、全身が満たされるのだ。

穏やかな微熱は冷める事はないだろう。
永遠に。

いつかの千尋の側にいるのは、ハク自身でありたい。

千尋。

その言葉を綴るだけで、微熱は緩やかに上昇してゆく。
波紋は音楽を創り続ける。

愛しい。

何よりも恋しくて、何よりも切なくて、何よりも幸せな音楽。

愛しさという名の微熱。

2003.6.22