「ぎゃぁぁぁぁぁっっ!!」
その日の朝、西本願寺新選組屯所一番隊隊士部屋から悲鳴が屯所中に響いた。
猛者たちが集う新選組からとは思えない声。声変わり前の少年声とは又違う、阿修羅と呼ばれた少年が実は少女だったと知れてからは納得の出来る高音の可愛らしい女子の声が。
何だ何だ。と一番隊の隊士たちは元より、隣の部屋の隊士たちも起き出し、わらわらと一番隊の部屋に人が集まってくる。
そして、開けた障子のすぐそこに、上半身を起こして顔を真っ赤にしながら羞恥か怒りかで肩を振るわせる神谷清三郎と、その彼女の布団を捲り、彼女の腹に手を当てながら不思議そうに首を捻る沖田総司の姿があった。
「……」
その様子を見て、一人、又一人と集まってきた人間がその場から去っていく。
一番隊の隊士たちも何かを声かけようとするが、しかし実際には何も言わずに、各々朝の準備を始めた。
この二人には、毎回毎回様々な時間様々な場所で悲鳴が上がる事も、様々な事が起こる事も、セイが総司の婚約者だと公表されてから、それ以前からではあったが以前以上に日常茶飯事になってしまっていたからだ。
そんな周囲の慣れと諦めを察する事は無く、総司は難しい顔をしてセイの腹を擦っていた。
「……おかしいですねぇ」
大分日常化になりつつも、突然のセイを自分の婚約者だと宣言してからの総司の奇行にセイが慣れる事は無い。
どんなにセイが予測をしても総司はいつもその斜め上をいってくれるのだ。
近藤の配慮そして土方の同情から未だ二人の休息所は用意されておらず、総司の意向からセイは屯所で一番隊隊士として今まで通り新選組隊士として働き、他の隊士同様隊士部屋で寝起きしている。
そんな中、総司の日常的な奇行の一部、寝る前に添い寝される事から逃げるのも慣れた。他に夜中勝手に人の晒を緩めようとするのを察知して起きる事もできるようになった。更に朝起き掛けに接吻されそうになるより前に、朝の支度を済まして道場で先に稽古するようにした。
嫌な訳では決して無いのだ。元々総司の為に新選組に入り、総司の為に日々生きている。そこには勿論恋心だってあった。恋しい人に想われれば嬉しいはずがない。自分だってもっと総司に女子として想いを伝えたいとだって思ってる。
ただ、セイの承諾も無く、気が付けば女子だと言う事を近藤や土方にばらされ、――それは仕方ないと思っているし、逆に今までずっと隠し続けて傍に置いてくれていた事に感謝さえしている。しかしそれ以降、時も場所も選ばず、彼自身に何があったのか過剰なまでに与えてくる彼の愛情表現にセイは付いていけないのだ。
そんな日々で、今度は何に慣れろというのだ。
そんな事を思いながら、真剣にセイの腹を擦る総司を見つめる。
「…何がおかしいのでしょう?」
刀を握る為の大きくごつごつとした手で擦られ続けるセイは変な感じだ。
「どうして神谷さんのお腹が大きくないんでしょう?」
「………は?」
またおかしな事を聞いてきた。
「だって、この中に私と貴女のややがいるはずなのに」
その総司の呟きに、セイよりも先に周囲の一番隊隊士たちがざわりとざわめく。
まさか。そんな。近藤直々に止められていたはずなのに、ついにいつの間にか手を出されていたのか?
本来局長命令でなければ誰が二人の恋路を邪魔するだろう。総司とセイの婚約以前、セイが隊に入って間も無くからずっと互いに想い合っているのを自分たちの想いを抑えて涙を呑んで見守ってきたものを。ましてや、時と場所を考えず襲うのはどうかとも思うが、誰が隊随一の剣豪を体を張って止めようと思うか。
局長絶対の総司が局長命令を無視しついに二人は結ばれたのか?まだ局長からの命令の解除は無いはずだ。というかこの場合は一番隊隊士も局長命令を守れなかったことになるのか?処罰されるのか?
様々な思惑が飛び交う中、セイは大きく溜息を吐く。
「沖田先生。……私たち、いつややが出来るような事をしましたか?」
はっ!?
隊士たちの驚きを余所に、総司はセイに問われ、へらりと笑う。
「あれ?そうですね。私、夢見てたんですねぇ」
おいおいおいおい!
とうとう夢か現実かも区別つかなくなったのかっ!と隊士は目を丸くする。
「もう!神谷さんがお預けばっかりするから、私毎晩神谷さんとしてる夢ばっかり見てしまって、夢か現実か分かんなくなってたんですねぇ」
そう言うと、総司はぼふっとセイの腹の上に己の頭を乗せた。
生々しいわっ!と、隊士たちは心の中でツッコミを入れるが、勿論総司に届くはずも無い。
「我慢して我慢して、神谷さんにばれないように毎晩自分で片付けてたのに…。代えの下帯も無くなっちゃいますよ」
それは神谷のせいじゃないです。男として気持ちは分からないでも無いですけど、神谷のせいじゃないです。って言うか言ってしまったら台無しです。
隊士たちは布団を片付けながら心の中で激しく抗議する。
「うひゃっ!」
悲鳴を上げるセイの腰に両手を回して、彼女の腹に頬を埋めた。
「早く神谷さんが欲しいなぁ。ここにややが来てくれないかなぁ。夢の中の神谷さんは女子姿に戻ってて、やっぱりね、女子に戻った貴女はとても綺麗なんですけど…。それにね、すっごくすっごく優しい笑顔で大きくなったお腹撫でてたんですよ。母として子を慈しむ笑みってあんなに綺麗なんですかねぇ。今の貴女も綺麗なんですけど、もっと綺麗なんですよ。あんな笑顔を私がさせてあげられるんですねぇ。そして私がこうやって耳を当てると、ややが中から蹴るんですよ。きっと男の子ですね。あれ。母上を父上に取られそうで蹴ったんですよ」
――何やら妄想が始まった。と隊士たちは幸せそうに語る総司にされるがままのセイをこっそり覗き見ると、彼女は顔を真っ赤にしてされるがまま固まっていた。
総司が婚約を公表して彼の行動がおかしくなった辺りからセイは彼に振り回され続け、最初の頃は赤くなったり対処に困ったりしている様子だったが、徐々にあしらう事にも慣れてきていたようだったが、それでも、やはり、慣れきる事はできないのだろう。
想い人が振り向いてくれ、己にめろめろの態度や甘い言葉を囁かれれば、腰砕けにもなるだろう。
見守る隊士たちも各々が其々に恋しい人を目の前にこんなに岡惚れの態度を見せられるだろうかと言えば無理だと断言できるくらいに総司の態度は仕事の時以外は常にセイへの想いで一杯で、傍目も気にせず、というかセイ以外がその場にいると言う事自体を認識しているのかと思えるほど、彼女しか目に映していなかった。
よかったな。神谷。
――と、初めの頃は思った。初めの頃は。
今は、――不憫だ。神谷。
と、言うのが、一番隊隊士の一致した意見だ。
何かを極める人間というのは、一つの事に掛けて一直線なのだろう。
セイの言葉を借りるのなら。剣術馬鹿。局長馬鹿。副長馬鹿。――そこに、神谷馬鹿。が付いてしまった。しかも最後のが一番酷い。
恋は盲目と言うが、人とはここまで暴走と妄想を繰り広げられ、一人に執着できるのか。というくらいに。
総司がセイへの恋情を明確に示すようになるよりずっと前から総司に一途だった流石のセイも戸惑っているのが見て取れる。
「どうしましょう?生まれたややと母上の取り合いになってしまったら!神谷さんは勿論私が一番ですからね!ややにちゃんと私たちが好き合って貴方が生まれたんですよって教えなきゃならないんですからっ。って私、ややにまで悋気しちゃうんですかね。恥ずかしいですよ」
そう言うとセイの腹の上で幸せそうにくすくす総司は笑う。
すると、何かを思いついたように彼は顔を上げた。
「分かりました!私が何故こんな夢を見たかっ!」
羞恥で顔を真っ赤にして、涙を目尻に溜めていたセイを見て総司は微笑むと、そっと涙を唇に含む。
「早く生まれてきたいって言ってるんですよ!」
「……はい?」
されるがまま目尻に口付けを受け、セイはぱちくりと瞬く。
「ややはもうここに入る準備できてるよって教えてくれたんですねっ!」
「え?」
腹を優しく撫でられながらセイは問い返す。
「私としては前も言いましたけど、やっぱり暫くは貴女と二人の時間もいいなと思うんですよねぇ。でももう生まれてきたがっているややの為になら頑張らなきゃですよね!」
「……頑張る?」
「もうっ!やだなぁ。神谷さんってば!夫婦で頑張る事って言ったら一つじゃないですかっ!もー。女子なんだからもうちょっと恥じらい持たなきゃ駄目ですよ!あ、でも夜は恥らう神谷さんもいいけど、大胆なのもいいなぁ…そういうのも私が導いてあげるんですよね!原田さんが言ってました!頑張りますよ!私!」
「……先生?また意味が分からなくなってきました」
疑問符を頭に浮かべ続けるセイの唇に、総司はちょんと人差し指を当てる。
「春にって言ったけど…もう少し祝言早い方がいいですかねぇ。もう、近藤先生があんな事言わなきゃ今からでも子作り頑張るのにっ!生まれるやや子におねだりされて、貴女もそんな可愛いおねだり顔されたら我慢できないじゃないですかっ!」
そう言うと、総司はセイの唇に、一瞬触れるくらいの軽い口付けをして、眩しい笑顔を見せる。
「近藤先生にご相談してきますねっ!やっぱり二人で考えたんですけどもう少し祝言を早めたいんですって!」
「え?え?えっ!?」
セイが止める間も無く総司は立ち上がると、寝巻きのまま一目散に近藤の部屋へ向かって駆けて行った。
「………」
ぎぎぎぎぎ。と音がするのではというくらいぎこちなくゆっくりとセイは一部始終を見守っていた隊士たちを振り返る。
「………助けてくださいっ!」
涙を零しながら訴えるセイに、その場にいた隊士は一斉に首を左右に振った。
その四半時後、「朝から寝ぼけた事言ってんじゃねーっ!水被って来いっ!!」と激しい怒声が屯所に響き渡った。
2021.06.21