のどかな昼下がり。…だったはずの昼下がり。
セイは乱れた着衣を整えると、一目散に局長室へ向かった。
「神谷です!局長!失礼します!」
中からの返答は聞こえたか聞こえないか確認する間も無くセイは屈んで障子を開けると滑り込むように中に入り、音を立てず静かにぱたりと閉めた。
振り返って近藤に向き直ると、横には土方もいて、二人とも既に状況が分かっているのか困ったようにセイを見た後、互いに目配せをした。
「…あの、突然申し訳ありません」
よく考えなくても上役の元を尋ねるのに無礼な態度ばかりを取っていた自覚のあるセイはその場に正座をしたまま姿勢を正すと、深々と一礼をした。
「いや、いいんだ。神谷君。いや…その。おセイさんと呼ぶべきか…」
戸惑いを声に乗せながらも近藤に呼ばれた名にセイはピクリと肩を震わせ、そして顔を上げた。
困惑気味の近藤の横で、土方も眉間に皺を寄せて困ったように腕を組んでこちらを見ていた。
「その…件なのですが…」
「今更訂正しても無駄だからな。松本法眼にも確認を取った。お前は総司の嫁になる。だが隊士も続ける。それだけだ。以上。他に何も言う事はねぇ!」
土方は目を逸らしながらも、ぴしりとそれだけを言うと、むっつり顔のまま口を閉ざした。
「松本法眼にって…」
「神谷君…あ、おセイさん」
「神谷でいいです」
一方的な土方の言葉に近藤が少しでも説明を続けようとしたが、そこを遮り、更に土方が続けた。
「総司から聞いた事を確認するだけでは答えなかったが、総司の嫁になると言ったら、松本法眼は『如身選だ』の一点張りから一転して、ぺらぺらと喋ったぞ」
「…法眼……」
確かに幾度と無く『沖田の嫁になれ』と言い続けてきた松本なら、これ幸いとばかりに答えるだろう。
兎に角、セイの知らないに内にいつの間にか総司が二人に彼女が女子だと言う事を伝え、伝えられた二人が松本から言質を取ったという事は、確実にもうセイが女子だという事実は確定し、誤魔化す事も隠す事も出来ない状況なのだと言う事を再確認することとなった。
再度居住まいを正し、セイは深くその場で叩頭する。
「近藤局長。ならびに土方副長。長年に渡りお二人をそして隊を欺き続けてきた事、深くお詫び申し上げます。沖田先生に咎はありません。罪は私一人にあります。どうぞ沖田先生まで巻き込まないでください。そして私に切腹を…!」
「…神谷。お前何か勘違いしていないか?」
深く頭を下げたままのセイに降ってきた言葉に、彼女自身理解できず、顔を上げて土方を見る。すると今度は近藤が答えた。
「さっきトシが言ったように、私たちは神谷君を罪で裁こうとは思ってないよ。ずっと黙っていた総司に対してもだ」
「では、何故…沖田先生の嫁などと…」
何が総司の身に起こったのか分からないくらい彼の言動はおかし過ぎた。その原因がセイの正体が何らかの理由でばれてしまった為に、その責を負って結縁という事に至ったからではないかと考えた。そうでなければ彼が命令以外でセイを嫁に…というよりも誰かを嫁にするとは少しも思っていなかったセイには益々訳が分からなくなる。
「それは……」
「それはな…」
また、近藤と土方二人は互いに見合わせると、困ったように眉間に皺を寄せ、言葉にしないまま、またセイに向き直った。
「ただ、総司には神谷君に無理強いするなと、全ては式を挙げてからにしなさいと言っておいたのだが…守っただろうか?」
心配そうに見つめられる視線の先が己の首筋に注がれている事に気付いたセイは、慌てて袷を正した。
「だ、大丈夫ですっ!まだっ!」
「神谷さんっ!ここにいたんですかっ」
「ぎゃーっ!?沖田先生っ!?」
気配を完全に消して障子を開け、入ってきた総司に気付かなかったセイは、完全に油断しており、突然背後から抱すくめられ悲鳴を上げた。
「……神谷さん。それじゃ幽霊でも見たような悲鳴ですよ。……怖がりさんですねぇ。今日は一緒に手を繋いで寝ますか」
セイを膝の間に抱えた総司は、驚きと動揺に声も出ずふるふると首を横に振ることしかできない彼女に無邪気な笑みを見せる。
「もう。突然逃げ出すからびっくりしちゃいましたよ。考えるの苦手なのにどうして貴女が逃げたのか一生懸命考えて……やっぱり初めては屯所じゃちょっと…あれですよね。ゴメンナサイ。私も気が利かなくて。だって神谷さんったら可愛いんですもん。もうちょっとだけ触れたかったぁ…って言ったら怒られちゃいますかね」
尚もセイは言葉も出ないままふるふると首を横に振る。
その彼女の襟元近くの首筋に総司は赤い痕を見つけ、そっと手を這わせた。
「っ!?」
びくりと体を震わせ、己の首筋に触れる手を押し留めようとセイは両手で制するが、総司の手はびくともせず、そこを撫でる。
「あ、ここ、さっきの痕付いちゃってますね。神谷さん肌白いから目立っちゃいますね。ふふっ。でも私が付けた痕ですもんねぇ」
「……総司」
二人のやり取り――というよりほぼ総司一人の独白を聞き続けていた近藤は、呆れながらもセイを慮って声をかける。
「はい。近藤先生」
顔を上げ、近藤を見上げる総司はいつもの総司だ。
「……入って来る時はきちんと声をかけなさい」
どうか叱ってくれと願うセイを余所に、近藤は今のセイと総司の状況にではなく、当たり障りの無い指摘をする。
「あ、はい。申し訳ありませんでした。神谷さん探していたらつい。神谷さんの事考えたらついつい他の事が疎かになっちゃうんですよねぇ。これが恋は盲目っていうんですかねぇ。もう駄目だなぁ。神谷さんのせいで怒られちゃいましたよ」
総司は口を尖らせ、首筋に触れる手と反対の手でちょんとセイの唇に触れる。
いやいやいや。
という突っ込みはなく――沈黙と、総司の他の三人の視線が交差する事で為される。
「ところで神谷さんはどうしてここへ?」
「……」
答えないセイに、総司は暫し考え、そして、頬を染めて微笑んだ。
「…あぁ、神谷さんってば律儀だなぁ。近藤先生にお許しを頂きに来たんですか?もう、二人だけの秘密って言ったのに。まぁでも内緒もいいですけど、でも結縁前の私たちですしこういう事はちゃんとしとかなきゃですよね。じゃあちゃんとお許し頂きますか。近藤先生…」
「沖田先生っ!」
セイは勢いよく体を起こすと、近藤に向かって言葉を発そうとした総司の口を両手で押さえた。
「局長っ!沖田先生どうされたんですかっ!?もうっ!訳が分からないんですけどっ!」
涙ぐみながら訴えるセイに、近藤はまた困った表情を見せると、彼女から目を背け、そして、口を塞がれたままの総司を見る。
「総司。…約束はちゃんと守りなさい。おセイさんも困ってるじゃないか。おセイさんを大切にしたいのなら、この間言ったようにきちんと順序を踏んであげなさい。きちんとした家の娘さんを頂くのだから」
諭すように囁く近藤の言葉が届いたのか、セイは不安になり総司を見上げると、彼は小さくこくりと頷き、その姿に彼女もほっとして手を放した。
そのまま近すぎた彼から距離を取るようにセイが離れようとすると、離した両手を握られる。
どうしたのだろう。と、セイが意識を向けるよりも先に、その両手を包み込むように合わせられ、指先に口付けが落とされる。
「っ!」
「ねぇ。私が貴女を困らせてるならちゃんと言ってください。近藤先生に頼るんじゃなくて。夫婦になるんですから。寂しくなっちゃうじゃないですか。…それに……私よりも近藤先生を頼るんだって……誰よりも大好きな近藤先生なのに焼餅焼いちゃうじゃないですか……」
甘え拗ねた声で呟き、不安そうに己を覗き込む総司にセイは全身の熱が上がり、耳まで真っ赤にして、今度こそ涙を零すと、近藤と土方を振り返った。
しかし二人は部屋に入った時から変わらない困った表情を見せ、そして、初めて目の当たりにしたのだろう総司の砂を吐きそうなほどの甘い台詞に目を見開き、総司とセイの二人を見つめた。
だから、どうして沖田先生こうなったの~!!
幸せだけど。口元緩むけど。
誰か助けて~!
2021.06,21