正月

「ただいま戻りました」
その日の朝、急に入った仕事へ借り出された総司は、既に日もすっかり暮れ、屯所の数箇所に火が灯される時間に帰営となった。
屯所内はいつも何かと騒がしくはあるが、それより一層賑やかで何処か浮き足立っていた。
諸肌を脱ぎ、仲間と語らう者。酒を浴びるように呑んで踊りだす者。皆が思い思いに時間を過ごしている。
それもそのはずだ。
折角訪れた新しい年を迎える為に宴をしないでどうする。
今日は元日。
普段から宴会好きなこの新選組の隊士たちはここぞとばかりに、朝早くから宴の用意に、下手をすると普段の隊務以上に精力的に準備を行っていた。
その中心人物は勿論神谷清三郎だ。
今朝外出する総司を見送る際に、「年明け早々どうして仕事が入るんですかね!折角だから幹部の皆さんにはゆっくりして欲しかったのに!」と呟きながらも、キビキビと彼女を頼る隊士たちに次々と指示を与えていっていた。
「さて。神谷さんは何処にいるんでしょうか?」
おそらくは一番隊の隊士たちと呑んでいるか、幹部棟で原田や永倉たちのおもちゃとなっているか。
容易に想像できる光景に彼はくすりと笑うと、どうせ報告もあるからとまず既に宴を始めているであろう近藤の元へ向かった。

「ただいま…戻りました…?」
「おかっえり~総ちゃんっ!」
「おまっ!へーすけ!それ俺の酒っ!」
「俺の腹踊りを見ろ~!」
「おう。お帰り。総司」
縁側から部屋に入ってすぐの所で暴れまわる三人組の奥で、近藤が彼の姿を見るとにこやかに笑い、労いの声をかけた。
その横には憮然として土方が座っている。
そしてその光景に総司は目を見張った。
問題はその土方の足元だ。
「どうしたの~総司~?」
藤堂が既に呂律も回らない口調で総司の足元に縋り付く様に手をかけて彼を仰ぐ。
「あれだ!あれにびっくりしたんだろ!お前!」
「そりゃ~そうだよな。あれはびっくりするよな!」
「だからやりすぎだと…」
笑う原田と永倉の横で、井上が静かに酒を飲みながら困り顔で二人を嗜めた。
「なんでだよぉ~だって俺が勝ったんだぞ!一番に勝った奴がビリの奴の言う事何でも聞かせるって決めただろー」
「総司だって嬉しいよなぁ。神谷のこんな格好!」
そう言って永倉が指し示す先には、遊女の着物を纏たまま眠るセイの姿。
中途半端に着付けたのか、着付けられる事に暴れたのか、襟元が乱れ、足元も肌蹴ている。
更によく見ると薄っすらと化粧まで施されていた。
「……」
そして。
「おい。俺を睨むな。総司。これはこいつが勝手に寝たんだぞ」
「そうなんだ。仕事だから仕方が無いとは分かっているが正月ぐらい総司に仕事をさせるなと。言ってくれれば自分がしたのに。とな」
総司の視線を受け、そう言う土方に近藤が言葉を足した。
「そうそうそう!ずーっと食いかかってなぁ。しかもその間ずっと顔近づけて食いかかるもんだから、あの土方さんも赤くなってるんだぜ!女装の神谷綺麗だもんなぁ~」
「余計な事言うな!」
そう永倉を嗜める土方の膝にもたれるように眠るセイ。
しかも寝心地が良いのか、枕代わりの彼の膝が動く度に彼女は小さく呻いて愚図った。
「―――土方さん。神谷さんがご迷惑おかけしました。連れて隊士部屋に戻りますね」
土方の足元まで行くと、掬い上げる様にセイを抱え、そして縁側まで戻ると振り返った。
「私も疲れたので、今日はもう寝ますね」
「そうか?一杯も呑まないのか?」
近藤が寂しそうに声をかけるが、総司は首を横に振った。
「近藤先生もうちの部下がご迷惑おかけしてゆっくり飲めなかったでしょう?ゆっくり皆さんで呑んでください?私も元々それ程吞める訳でも無いですし」
「そうかぁ。残念だなぁ」
その言葉ににっこりと笑って返すと、総司は部屋を出た。
残った男たちは顔を見合わせる。
「…俺、明日総司に会うのが怖い…」
「やりすぎたか…」
「だから、総司は神谷をおもちゃにし過ぎると昔から機嫌悪くなるから止めておけと」
「えー。でも神谷すっごく可愛かったよ~」
「衆道だけはごめんだ」
それぞれに呟く男たちに、近藤は一人状況が掴めず、首を捻る。
「総司は機嫌が悪かったのか?」
「……」
皆一斉に絶句する。
「…何で近藤さんってあれだけ総司がどす黒い気配放ってるのに気づかないで平然といられるの?」
「それは近藤さんだからだ」
「総司も猫被ってるしな」

セイは自分の体が揺られているのを感じた。
硬い腕に抱かれ、何処かへ運ばれている。頬がぶつかる胸元からとくとくと心音が聞こえてきてそれが気持ちよい。
昔、子供の頃に父親や兄に転寝をしてはこうやって布団まで運んでもらった記憶がある。
そんな事を思い出して、つい胸元に擦り寄った。
腕に肩に力が入るのを感じた。
セイはつい、ふふっと笑ってしまう。
すぐにその硬くなった手の力も緩み、またセイを揺り籠の様に優しく揺らすその腕は何処かにたどり着いたのか、セイを床に置くと、すっと離れてしまった。
自分の背に、膝裏に回っていた温もりが離れた事に寂しさを感じたセイはゆっくりと目を覚まし、そして温もりを求めて無意識に手を伸ばした。
「っ!?神谷さんっ!?」
「…ふぇ……ふ?」
目の前の人物がうまく認識できなくて、セイは言葉にならない言葉を口に出す。
「…っちょ…もぅ…」
掴んだ手の温もりが嬉しくて、セイは寝転がったまま、それに頬を寄せる。
「…土方さんにもそんな事したんですか…?」
「んぅ…」
「何でそんなに可愛い格好してるんですかぁ…私の前だけにしてくださいよぉ…」
「…くふっ…」
「しかも肌蹴ちゃって…皆にばれちゃいますよ…?見せちゃダメですよ…」
「…くぅ…」
着物が擦れる音が響く。
触れた手はそのままに、柔らかい温もりが額に頬に、そして、肩筋に触れた。
「……貴女、起きたら覚えてなさいよ」
そう言うと、セイに握り締められ、されるがままだった掌が頬を撫でた。
大きな掌。
父上のような。
兄上のような。
暖かい温もりがセイを包む。
自分から触れるだけじゃない、優しい温もりが自ら触れてくれる事で幸せが胸に溢れてくる。

「明けましておめでとう。セイ…」

耳元に大好きな声がそっと優しく入り込んできた。

2013.01.02