夕涼み

SIDEーA

太陽が傾き始め、空は茜色から藍色へ変わり、やがて紺色に染め上がる。
星がひとつふたつと瞬き始め、昼間のまだ夏の余韻を残す湿った空気は、急激に乾き、冷め始めていた。
秋風が吹き抜ける縁側。
セイと総司は何気無くそんな移ろう時を眺めていた。
冬にはもう少し遠く、夏というにはとうに匂いが変わってしまったこの僅かな一時は人を感傷に浸らせる。
何処か寂しいような。今この時が名残惜しいような。愛おしい様な。
そんな事を思うのは自分だけだろうか。そう思い、セイは隣に自分と同じように座る青年を見上げた。
目を細めて、僅かに微笑みを浮かべる総司に、セイの心臓はきゅっと締め付けられる。
切ないような。泣きたいような。嬉しいような。
言葉で表しきれない感情が湧き出て、セイの口元は無意識に震えた。
総司は己を見つめる少女の視線に気付き、振り返ると少し驚いたような表情をし、それから、今まで見た事が無い位優しい眼差しでセイを見つめて、微笑んだ。
その表情だけで、セイは無性に泣きたくなった。
咄嗟に我慢をしようと意識しなければ涙の雫が瞳から零れてしまっていたかもしれない。
震える唇をきゅっと噛み締め、何に負けたくないのか自分でも分からないまま、ここで目を逸らしたら負けだ、と、セイは己を見つめる総司から視線を逸らす事はしなかった。
そんな自分の表情はきっと色んな感情が入り混じってぐちゃぐちゃだろう。
セイは思う。
現に、総司は呆れたように口をへの字にした後、今度は笑いが堪え切れなかったのだろう満面の笑みを浮かべた。
そうすると、すぐにまた笑みが柔らかく変わる。

「好きですよ。神谷さん」

ぽつりと囁かれた言葉に、セイは言葉の意味が捉え切れず、何度か反芻してから、漸くすとんと心の中に落ち着いた。

「近藤局長と、鬼副長の次にですよね」

セイはそう答えを見つけ応える自分にほっとしながら、いつもの無邪気な笑みを返す。
総司もセイの答えに嬉しそうに笑うと、首を振る。

「違いますよ。神谷さんは愛しいんです」

セイはまた暫し思考を巡らせ、総司の言葉の意味に対する自分の納得のいく解答を探すが、今度は見つからなかった。
ずっと沈黙したままのセイに、総司は苦笑すると、また目を細め、先程同じようにセイをほわりと丸ごと包み込んでしまうような優しい眼差しを向け、微笑んだ。

「セイさんが愛しいんです」

そう言うと、総司は縁側に座るセイの体を支えていた彼女の片方の掌にそっと触れようとする。

「ひゃっ!」

総司の指先が己の手の甲に触れた瞬間、セイは勢いよく自らの手を引き、己の胸元に引き寄せた。まるで大切なものを己の懐に護るように。
微かに触れた指先がまるで熱を持ったように熱かった。
引いた掌の総司が触れた部分が火傷の様にじんと痛く、むず痒かった。
心臓は勝手にどくどくと脈を打ち、耳が熱く痛かった。
勝手に反応する体と、全身を一瞬にしてかけた熱が、セイには怖くて、さっきとは別の感情が溢れてきて、泣きたくなった。

「わっ…私、夕餉の準備手伝ってきます!」

総司の視線も、己に向けられる表情も、彼の言葉の意味も、己の感情も、意思に反して反応する体も、全てが受け止めきれず、セイはその場を逃げ出すしか出来なかった。

ぱたぱたと早足で青年の元から逃げ出す少女。
総司は、愛しい少女に触れた己の指先を見つめ、

「少しは期待してもいいのでしょうか?」

ぽつりと呟いた。

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SIDEーB

いつものように傍にいて。
いつものように二人でいて。
何気無く腰を下ろした縁側で、夕涼みをしていた。
秋の空は日が暮れるのも早く、つい先程まで紅色だった空はいつのまにか鳶色に変わり、星がひとつふたつと姿を現し始めていた。
夏独特の肌に張り付くような湿り気を帯びた風も冬を予感させる冷たさを含み始め、暑さで茹で上がりそうになる総司の意識に冷静さを取り戻させてくれる。
夕闇は人の心に静かさを与えてくれる。
昼の明るさが与える「動」、夜の暗さが与える「静」、それは剣術を極める者にとってどちらもかけがえの無いもの。
総司は一日を繰り返す度にそれを感じる事に何よりの幸せを感じていた。
隣の少女も今同じ時を過ごして、同じ様に感じる事があるだろうか。
そんな事を思うと、自然と笑みが浮かぶ。
何よりも、その幸せの時を自分と共に過ごす事が更に彼女の幸せであればいいのに。
己の中に湧き出たセイを愛しいと思う感情は、想いが募るにつれて総司を我侭にする。
ふと、視線を感じて、隣に座る愛しい人を見ると、彼の心音は大きく打ち鳴らし、全身に響き渡った。
今にも泣き出しそうなとろりと潤んだ眼差しをこちらに向け、頬を紅く染め上げてこちらをじっと見つめる少女。
彼女は自分が今どんな表情をしているのか分かっているのだろうか。
いつでも総司を魅了する少女。
敵わない。

「好きですよ。神谷さん」

彼女を大切に想う者は己だけではない。
彼女が大切に想う者も己だけではない。
それでも、溢れ零れる想いは自然と音となり言葉になり、紡ぎ出た。
セイは少し目を逸らし、思いを巡らせた上で答えを導き出したのか、無邪気に笑った。

「近藤局長と、鬼副長の次にですよね」

そんな風に笑う少女が愛しい。
総司も少女の笑みに釣られて笑うと、首を振った。

「違いますよ。神谷さんは愛しいんです」

再び思考するように総司から視線を逸らし、セイは考える仕草をするが、答えが見つからないのか、黒い瞳が何度もくるくると巡った。
そんな仕草さえも総司の心にゆっくりと温かな感情を注ぎ込む。
愛しさが増す。
思わず苦笑すると、総司はもう一度、囁いた。

「セイさんが愛しいんです」

この身の内で抑えきれない想いの何分の一でもいいから言葉に乗る事を祈って。
いつか、一度でいいから、万感の想いを込めて呼ぶ事を望んだ真名を。
想いにつられて体が自然と少女へと傾き、小さな掌に己の手を重ねようとした。
どうか、この想いが掌からでも伝わるように。
触れたい。と。

「ひゃっ!」

セイは総司が触れると瞬時に己の胸元に手を引いた。
名残惜しそうに総司の手が宙に揺れる。
それは総司を冷静にさせた。
想いに浮かされて言葉が体が勝手に動いてしまったが、セイを困らせてしまっただろうか。
総司は、突然襲う後悔の念に押し流され、謝らなくては、と顔を上げた。

「わっ…私、夕餉の準備手伝ってきます!」

総司の思考は完全に停止した。
全身が心臓になったのではないかというくらい激しい心音と、一気に全身の熱を上げる血流に、痛みだけが彼を現実に留まらせていた。
少女に触れた指先だけが、彼の思考の欠片を拾い上げる。

既に少女の姿はない。彼女が姿が消えた廊下の先を総司は見つめる。
ずるいですよ。あんな表情。

「少しは期待してもいいのでしょうか?」

総司は小さく呟いた。


2021.06.21