桜舞う1

さらさらさら。
如月も過ぎ、冷たかった冬の風が柔らかな温もりと新緑の匂いを混ぜ吹き抜ける。
春の柔らかな日の光を浴びて、薄紅色の桜たちが開花し、空を大地を暖かな色で埋め尽くす。
「先生!凄いですね!もう桜が満開です!」
女子の身でありながら素性を偽り、武士として新選組に身を置く、神谷清三郎こと、本名富永セイは目の前を一食に染め上げる桜に見惚れ、頬を高潮させながら歓喜の声を上げる。
「綺麗ですねぇ」
首を精一杯上に向け咲き誇る桜を見渡すセイの隣で、彼女の秘密を隊内で唯一知り、手助けをしてくれる彼女の想い人、新選組一番隊組長沖田総司は同じように顔を上げ、吸い込まれそうな淡い空と、酔ってしまいそうな桜が醸し出す独特の空気に、溜め息を漏らした。
彼らの所属する一番隊は本日は非番であり、いつものように自主的に行う早朝稽古を終え、朝食を取った後、春の温かい日差しの中、隊士部屋の縁側で二人は何をすると言うことも無く寝転がりまどろんでいた。正確には晴天の下セイは溜まっていた洗濯物をここぞとばかりに洗い、彼女の洗濯物と格闘する様子を総司が縁側で寝転んで眺めていたのだが。折角の青空と春の陽気に、部屋の中にいる事に勿体無さを感じた二人は、散歩がてら外出をすることにしたのだった。勿論総司の提案で、セイは総司に誘われたからには断れず、通り掛かる隊士達が目を見張る目にも留まらぬ速さで洗濯を終了させたという経緯も漏れなく付いている。
散歩と言えども彼らが行く場所は当然の如く甘味所へ足は向けられた。太陽が中天に昇り日差しを強くする頃、そろそろ屯所にて用意される昼食が入る程度に満足する程団子を食べ終え、その帰り道、偶然見つけた小路に、ほんのささやかな好奇心と、冒険気分で入った。
恐らくは近隣の家に住む者たちが作った私道なのだろう。路の両側は高い壁で挟まれ、細い空を見上げると何層にも重なった芽を出し始めた木の葉たちが彼らの視界を塞ぐ、お世辞にも整備されてるとは言えない引き詰められた石が時折剥がれ穴を作る路に躓かぬよう気を付けながら通り抜けると、一気に視界は広がり、小さな広場と、そこに埋められた幾本もの桜が目の前を埋め尽くした。
小さな広場ではあったが所狭しと桜の木が植えられ、空は桜の花が幾重にも重なり澄んだ蒼を隠す。足元は今も優しい風に吹かれふわふわと散り行く桜に埋められ、一面薄紅色に染まっていた。まるでそこは夢か御伽噺の世界のよう。
「こんな場所があったんですねぇ・・」
セイはひらひらと舞い降りる薄紅色の花弁を手の平で受け止めると、そこから温もりを感じるようで嬉しくなって、幾重にも重なる桜の木を見上げる。
「お団子、ここで食べれば良かったですね」
恍惚と見上げる総司が漏らした一言にセイはあまりにも彼らしい台詞に微笑する。
「沖田先生らしいですね」
セイの言葉を聞いているのかいないのか、総司はぽんと手を打つと、「そうか、これから買って来てまた食べれば良いんですね!」と声を上げる。
「ちょっ・・ちょっと待って下さい!さっきお団子食べたばかりでしょ?・・しかも十串以上も・・。私はもう食べられませんよ!」
「むー。そうですよね。残念」
「今度はお弁当を持ってゆっくり来たいですよね」
眉間に皺を寄せ唸る総司を横にセイは笑うと、まだ芽吹き始めたばかりの草の上に降り積もる桜色の絨毯の上に寝転がる。
自らの体を支える桜色の羽にセイはくすくすと笑ってそれを掬い上げては地に辿り着いた花弁を再度空へ舞い上げる。
心地良さそうに横になるセイを見て、総司も真似をして彼女に続くと、満開の桜の間から覗く蒼い空を見上げる。
青空から薄紅色の桜がひらひら、ひらひら舞い降りる。
着物に。手に。頬に。
ひらひらと軽やかに。
ふわふわと柔らかに。
「花弁がまるで雪のようですね」
ひらひらと地上に舞い降りては鳶色と若草色の混ざる大地を鮮やかに薄紅色に染めていく。
溶けて消える事の無い、春の色に染まった雪。
セイは舞い降る桜の花弁を手をひらひら振って、その小さな手の中に収める。
「幸せですね・・」
ぽつりと呟く。
「幸せですか?」
総司は少し不思議そうに問い返す。
「ええ。幸せです」
セイはそう答えるとゆっくりと目を閉じた。

いつ死を迎えるか分からないこの身。
それでも。今、この一時。
先生の傍に居られること。
春を迎え、夏を過ごし、秋を越えて、冬を巡る。
そんな四季を共に過ごせる事。
こうやって桜を今年も一緒に見上げる事が出来る事。
私が何故に女子の身でありながらも新選組に身を預けているか。知ってしまったら、きっと先生のお傍には置いてもらえなくなるでしょう。
先生のような優しい鬼になりたいという言葉は決して嘘では無いのです。
武士でありたいたいという心は今も変わらないのです。
それでも私は一つだけ先生に伝えていない志があります。
貴方の為だけにある我が身。
貴方に本心を隠し続けると言う罪を作りながらも、貴方の傍で貴方を守る事を願う。
私の誠を貫ける事。
それが幸せです。