徳利から注がれる無色透明な酒をセイは何処か虚ろな瞳で見つめていた。
溢れる一歩手前まで猪口に注がれた酒を見つめ、そして一気に煽る。
熱い液体が一気に喉を伝った。
「今日はまた豪快に飲むな」
上役に注がれる事など出来ない断り続けながらも最後には受けた酒を一気に飲み干すセイを見ながら、斎藤は己も徳利と反対の手に持っていた猪口に未だ入ったままの酒を口に含んだ。
「そうですね…今日は少し酔いたいかな…と思って。あ、でも、斎藤先生にご迷惑おかけしない程度にですよ!トラになりませんから!」
セイは自然と漏れ出た呟きに、今までも幾度となく斎藤の前で見せている失態を思い出して慌てて繕った。
「俺は構わん。好きなだけ飲めばいい。トラになるだけ呑みたい事もあるだろうし、いつもトラになる程俺が清三郎に気を許されているのなら悪い気はしないものだ」
その言葉にセイは少し目を見開き、そしてくすりと笑う。
セイは店に来てからも一言も酔いたい理由も何も語ってはいないが、きっと斎藤は知っているのだろう。セイと総司の二人が最近一緒にいない事を。
「酔っ払って全てをぶちまけてしまえば、少しは楽になるんでしょうか?」
セイはそう呟いて、今度は自らまた猪口に酒を注ぐと、一気に飲み干す。
しかし幾ら煽っても今日に限って少しも酔えそうになかった。
それがつまらなくてまた猪口に酒を注ごうと手元に目をやると、その手元が翳る。
気が付いて視線を上げると、すぐ目の前に斎藤が座り、こちらを見つめていた。
そっと彼の手がセイの頬に触れる。
酒で熱を帯びていた頬がまた少し上気する。
「アンタは色んな事を我慢し過ぎる。甘え上手なくせに、肝心なところでは一線を引くのだからな」
「…何も我慢なんかしてません」
「アンタはよくやってる」
「…私なんてまだまだ未熟者で…」
そう呟きながらもセイは口元が歪むのを抑えきれなかった。
「未熟者なんかではない。新選組の誰もが認めている。誰よりもアンタは武士だ」
「そんな…」
「俺は己を過信する者も好かないが、己を過小評価する者も好かん。どちらも己を知らない。己を知らないという事は、己が出来る事、咄嗟の時の正確な判断に欠け、自分も他人も命を縮める存在でしかないからな」
「――」
そう言われるとセイは二の句を告げられなくなる。
「俺は本当の事しか言わん」
「斎藤先生」
「だからアンタは少し己に対して厳し過ぎだ。そこまで己を律しなくてもいい」
セイの頬には涙が伝った。
未だ耳に残る、セイを女子として見る総司の表情、声。
そこに武士である清三郎の姿は映ってなく、女性である富永セイしか映っていなかった。
まるで総司が別の人間に見えて、怖くなった。
セイの何も見てなかったのか。
彼女をいつも心配し、気遣い、傍にいてくれた彼は、セイの心情を望みを全て理解してくれて、その上で傍にいてくれると思っていた。
けれど彼の瞳にはセイの何も映っていなかった。
それが酷く悲しかった。
総司はいつから自分を女子として見ていたのだろう。
そう思うと胸が苦しかった。
だから斎藤の言葉は今のセイに強く響いた。
「…アンタがもし女身選に負い目を感じているのなら気にすることはない。アンタはアンタだ。何より新選組の中で最も精鋭の集まる一番隊に所属する武士だ。もっと自分を誇っていい」
セイは今度こそ目を見開いた。
どうしても男よりも非力であり、他の隊士たちとの体格差に悩み、体力差を見せ付けれられる度に、悔しい思いと共に歯を食いしばって努力してきた。
決して斎藤は元々セイが女子である事を知らなくても、女子になりつつある体、本当は女子である体に引け目を感じていたセイの心を見抜いていた。
そして誰もがセイを気遣い、今まで直接女身選の話題に触れられる事はなかったのに、初めて触れた。
彼は本当に何も知らないのだろうか。
総司から何か聞いたのだろうか。
どうしてこんなにも己が戸惑っている事を見透かす事を言うのだろう。
そう思って、セイは斎藤の澄んだ瞳をじっと見つめる。
「そうさなぁ…。アンタはすでに沖田さんを想っている。けど、もしアンタがまだ特定の想い人がいなければ、俺はアンタを選んだろう」
ふと目を細め、滅多に表情を顔に出さない斎藤が微笑む。
セイの鼓動は無意識の内にどきりと鳴った。
「…女身選だから…なんて理由はない。身体的に男としてだけでなく女子としてもアンタを求める事が出来るからじゃない。俺は神谷清三郎という人間に惚れている。男としても、女子としても」
「…」
「アンタが傍にいてくれればこれ程心強い同志はいないだろう」
「…」
「そして…これは酔いの回った男の戯言だと思ってくれていい。…もしアンタが俺を好いてくれて、俺の為に女子として結縁を望んでくれるのなら、俺はきっと何よりも幸福な男になるだろうな」
不覚にも総司以外に高鳴ったセイの鼓動は少しずつ大きくなっていた。
真っ直ぐ己を見つめる優しい瞳から目を逸らす事が出来なかった。