月がないその夜は、普段月の光に霞んでしまう星がいつもに増して瞬いていた。
着流し姿の総司は縁側に座り、ぼんやりと夜空を見上げる。
「おい。総司。いい加減に隊部屋に帰れ」
少し冷たい風に当たりながら何処と無く見つめていると、部屋の中から声がかかる。
「土方さんが寝るまでの間でいいですから置いてくださいよぉ」
背後で自分の布団に寝転がる土方を見ずに総司はそう返した。
何処かを見ているようで、何処も映していない総司の瞳。
けれど、その場から動こうという気持ちが起こらなかった。
――昼間の修羅場でセイを己の腕の中から開放してからの記憶が曖昧だった。
戦闘でセイの着物が破けた事により一番隊士の一人が近所から借りてきた着物が届くと、彼女は素早く身支度を整え、総司も準備が出来たのを確認するとすぐさま、既に一足早く斎藤が采配をしている乱闘の事後処理に加わった。
恙無く処理を終え、屯所に戻ると斎藤と共に土方の元へ報告に行き、巡察の引継ぎを終えた所でやっとそれまで緊張していた意識が緩み、後はつも通り風呂に入り、食事を取った。そして今に至る。
何となくの流れは覚えている。
その間セイはずっといつも通りだった。
何事も無かったかのように総司の傍に付き従い、いつものようにお節介になり過ぎるほどの気遣いで誰よりも動いていた。
総司にも変わらず接し、修羅場後の状況の収束の報告や、屯所に戻ってきてからの総司の分の膳の用意、最近の日課になっている風呂に入った総司が髪をちゃんと拭かない事でセイが怒鳴りつける等、何も変わらなかった。
自分はどう接していたのか…よく覚えていない。
「神谷と喧嘩したのか?」
「どっ。どうして!?」
「お前が俺の部屋から動かない時は大抵神谷に怒られたか、喧嘩した時だからな」
動揺する総司に土方はしれっと答える。
「そんな…子どもみたいな事しませんよ!」
「お前、神谷にだけは子供みたいな行動起こすだろ」
「違いますっ!偶には土方さんも寂しかろうと…」
「それ、いつも同じ事言ってるぞ」
「うっ」
にやにや笑う土方に、総司は口篭り、そして俯いた。
どう言い訳しようと、土方の言う通りだったからだ。
セイから逃げたのだ。
「そんなにヤツが斬られたのが堪えたか?」
「…」
「隊士が斬られるなんてよくある事だろ?しかも悪運強い神谷だ。いつもは傷の一つや二つ作ってるが今回は別に傷一つついちゃいねぇ。まぁ確かに弟分が目の前で死ぬかと思ったら気が気でねぇかもしれねぇが、それ位の覚悟が無いヤツでもないだろ」
「…」
「どうせまたお前が暴走して、心配し過ぎて神谷を怒らせたんだろ。だから言ってるだろ。お前はいつも神谷を構い過ぎだと」
「…土方さんの方が余程神谷さんを分かってるんですねぇ」
総司はそう呟くと腰を上げ、部屋を出た。
これ以上自分以外の男から彼女に対する評価を聞きたくなかったからだ。
そんなのは分かっている。誰よりも自分が知っているのだと主張したくなる。
それでも。
覚悟が無かったのは総司の方だった。
武士としてセイの方が余程覚悟があった。
今まで幾度と無く過保護だと土方に言われ続けてきたが、今日、これ程身に染みる事はない。
セイを武士として十分に認めている。
それでも、セイを女子として好いている。
セイを武士として扱うのなら、認めるのなら、想いは何があっても封じるべきだったのだ。
感情が前面に出てしまえば女子として彼女を見てしまい、彼女を守りたくなってしまう。大切にしたいと思ってしまう。
傷つかないように。誰の手にも触れられないように。
自分だけで、自分の全てでセイを守りたいと思ってしまう。
それはもう、きっと衝動という本能。
だから封じていたのに。
あの瞬間に全てが崩れてしまった。
もし衆道という関係であれば、男同士であれば、こんな感情は抱かなかったのだろうか。
「分かりきってたはずなのに…」
セイはいつだって総司の傍にいてくれる。
彼女が隊に入ってからずっと。
けれどそれは最初は自分が兄分として彼女の面倒を見、女子と知った後も彼女の願いを叶え続けてきた感謝と尊敬からくるものだ。
『沖田先生には沢山の感謝と、武士として尊敬しております』
彼女は確かにそう答えた。
男として総司を見てはいないのだ。
少しも。
その信頼があの笑顔を自分だけに見せてくれ、どんな時も自分の傍にいてくれようとするのだ。
きっと親鳥に懐く雛の様に。
そこに恋情は少しも無かったのだ。
これだけ傍にいるのだからもしかして。少しは。と期待した事もあった。
けれどそれはただの思い上りだったのだ。
分かっていた。
だから落ち込む事はない。
己を恥じるだけの事。
彼女に想いを告げてしまった自分を戒め、今まで通り接すればいいじゃないか。
少なくとも彼女はそうしてくれるのだから。
キリ。
「…つ…」
思わず痛む胸を押さえる。
「今まで通りに…」
――今まで通りに接してくれる彼女の傍にいる事が辛くて総司は逃げ出したのだ。
「…どうしてでしょう。星の光がぼやけるなぁ…」