「セイを嫁に貰ってもらおうと思う」
数日前、自宅で久し振りの家族三人揃っての食事の際に玄庵に言われた言葉は祐馬にとって衝撃的だった。
セイも同様だったらしく、呆然としながらもすぐに今まで見せた事の無いくらいの笑顔に変わり、父親に抱きついた。
あの、ずっと父嫌いだったセイが、だ。
医師としては尊敬しており、家で仕事を手伝ってはいたが、父としては母が亡くなるまでの経緯があって、どうしても不信感を残し続けていたセイが初めて玄庵に抱きつき、「ありがとう!父上!大好き!」と声を上げていた。
のに。
だ。
きっとセイが屯所で診察に来た時――祐馬は今も許せないが上司の願いだけに無碍にも断れない――局長と副長の計らいで暫しの二人だけの時間を過ごしている時に、すぐさま総司にもその事を伝えられているだろう。
のに。
「何故、今更あの男は他の女に手を出しているんだ」
総司の噂を聞きつけ、あの野暮天に浮気をする甲斐性があっただなんて、しかも、恋仲になった可愛い妹を泣かせてまでも入れ込む女が出来たなんて、と驚いたと同時に、だったらどうしてセイに手を出したと憤慨した。
そんな女が出来るのなら何故もう少しだけセイを遠ざけていなかったのだ。それが無茶な話だとしても、出来たのなら出来たでどうしてすぐにでもセイを振らない。
中途半端にセイの傍にいて、妹がどれだけ傷つくか。
既に世間様に総司とセイが恋仲だと言う事は知れている。どんなに器量良しでも一度恋人の出来た女子に縁談が持ち込まれるのは難しいのは分かっているだろう。しかも格式のある家へ嫁がせるのなら尚更。
知らなかったとでもいうのか。それともセイとその女二人とも囲うつもりだったのか。
真意は見えない。本人に聞くのも腹立たしく、嫌悪で吐き気がする。
動揺と悶々とした思考を落ち着かせようと始めた刀の手入れだったが、考えれば考えるほど怒りは増し、柄を外し刀身だけのこの刀をあの憎き男に投げつけてやりたい衝動を必死に堪える方に力が入り始めていた。
「少しは私だって納得しようと思いかけていたというのに!」
吐き捨てるように祐馬は呟く。
玄庵が突然言い出した時に祐馬はすぐに反対したが、セイが席を外していた時に聞かされた内容に、彼も『確かに』と思えたからだ。
カチャカチャと土間から、膳から下げた器を洗う音が聞こえる。
セイが洗い物の為に席を外しているうちにと思い、祐馬はずいと先程父親が先程呟いた件を再度問い質そうと玄庵ににじり寄った。
嫁入りの許可を貰えた当の本人は、父の承諾の言葉だけで満足だったらしく、突然の玄庵の宗旨替えに追求も無く、鼻歌を歌いながらご機嫌に器を磨いている。
しかし、祐馬は納得していない。
「父上。先程の件なのですが…」
眉間に皺を寄せ、己を睨みつける祐馬に玄庵は苦笑した。
「セイも中々の兄想いだが、お前も中々のものだなぁ」
「そういう事ではありません」
「そんなに沖田先生がセイの旦那では不満か?」
そう真っ向から問われれば祐馬は口篭ってしまう。
最近の己の主張は、半分意地になった駄々である事を自分でも自覚していたからだ。
「…別に不満と言う訳ではありませんが…沖田先生は武士として尊敬していますが、…その…男としては…というか女子に対してあまりにも気が利かな過ぎというか…普通の女子では呆れてしまうような野暮天で…現にセイも何回もその事で泣かされてますし…セイにはもっといい男がいるのではと…」
子ども染みた己の感情を見抜かれまいと祐馬は口篭りながら常日頃考えていた最もらしい理由を上げてみるが、目を合わせれば父親にそんな胸の内を見抜かれそうで、目を逸らしながら答えた。
「確かに夫として頼り甲斐があるかと言われれば頼り無いな。私も不安は残る。しかし沖田先生は沖田先生なりにセイを好いてくれている。セイもだ」
「それは…」
見ていれば分かる。
奥手で今まで極力女子に接する事を避けていた総司は女子の心の機微を察する事が出来ず、さほど女子と接する経験が多い訳でもない祐馬でさえもやきもきする事は多いが、そんな彼は察せないからこそいつだってセイに対して誠実に接し、真っ直ぐ彼女の全てを受け止めようとする直向さと想いの深さは見て取れた。
それだけセイを想ってくれているのだろう。と。
「実はな。そう思い至ったには、ある事があったんだ」
「ある事?」
「セイはあの通りじゃじゃ馬だ。男勝りで、男のように剣術が好きだし、勝気で、いつだって男と対等であろうとする」
「それは…」
「親馬鹿と言われそうだがかなりの器量良しであると思う。けれど男に従順でいられるような性格ではない。あのお転婆の手綱を引けるような男で無いと夫は務められないだろうなと思っていたんだ」
嫁に貰うのなら器量良しであり、そして夫の三歩後ろを歩き、常に付き従う女子が最も良しとされている。
それがセイに当てはまるかと言われれば…。
妹としてセイは可愛い。目に入れても痛くないくらい可愛い。しかしセイの性格を考えれば、玄庵の指摘は祐馬にも思い当たる節があり過ぎて、反論も出来ず、目を泳がせた。
「それは…嫁に行き、妻として自覚もでれば自ずと大人しくなるのではないかと…」
「本当にそう思うか?」
「…」
再度念を押して問われれば、今度こそ祐馬は反論出来ない。
もしそうだとして、セイが夫に従いそのように振舞っていたとして、それが彼女にとっての幸せならいいが、家族の誰もが浮かべられないそんなしおらしいセイの姿が果たして本当に彼女の幸せの姿なのかと自問すれば、答えは否だった。
そんなのはセイの本来の姿ではない。きっと無理をしているに違いないとしか思えない。
女子があるべき姿も、嫁の勤めも分かっている。
それでもたった一人の家族の幸せを願わないはずがない。