総司を差し置いて、まさか斎藤に押し倒され、そのまま受け入れようとした。なんて事を言えず、けれど言わないままで彼が離れていくのも、かといって言う事で彼が取り返しのつかないくらい離れていくのも嫌でセイは何も口にする事が出来なかった。
浮気は唯のセイの一方的な思い込みでしかなかった。
総司は何処までもセイを想い、二人のこれからも楽しみにしていて、彼女の為に沢山の事をしてくれていたのに、喜ばせようとしてくれていたのに、セイは総司の事を信じきれず、彼に酷い事をした。
挙句、斎藤の嫁になると勝手に覚悟を決め、彼に体を委ねようとした。
恥ずかしくて、情けなくて堪らなかった。
斎藤に付けられた痕がちくりちくりと痛む。
セイを責める様に。
自分さえ誤解しなければこんな痕を付けられる事もなかったのに。
こんな後悔した事、今までに無い。
「――斎藤さんのお嫁さんになりたかった…?」
震える声がセイに真意を問う。
優しい人だから、ここで是と答えたら、彼は今度こそ本当に自分の元から去るだろう。
好きだ。可愛い。と言われても、それは全て武士としての誠の次に。セイは彼にとって近藤や土方の次の存在で、女子として好いてくれても、執着する事無く、きっと「幸せになって下さい」と言って、彼女の門出を祝ってくれる人だろう事は分かっている。
そう想像してセイは寂しくなった。
それでもセイはふと思い直す。
彼の行動はいつもと違った。
いつもの総司なら、何も言わない自分に呆れて、そのままセイを置き去りにして去るはずだった。そうなるんじゃないかと思っていた。
そして二度と会わなくなる。
そう思っていたのに、今日の彼は違った。
何があったのか問う総司に対して、何も言わず彼に嫌われる事が怖くて彼の言葉に反論に、いつものようにそんな我侭なセイに呆れて、背を向けたけれど、彼はその場に踏み留まり、何も言わないセイに対して、何も言わなくていいから、傍にいて欲しいと言ってくれた。
もしかしたら、あの日起きた事を伝えても今の総司なら耳を傾けてくれるかもしれない。そう思って口にした言葉に対して、尋ねられた問いは彼女の心を抉ったが、そう総司が誤解しても仕方が無いと怯んだ自分を自分で叱咤した。
「なりたくありません」
それでも素直な口にする。
そうしてはっきりと否と答えると、自分の元から去らないでくれた総司に抱きつき、手を回していた総司の体から力が抜けて柔らかく解れた気がした。
だからつい期待して想いを口にする。
「沖田先生のお嫁さんになりたいです」
「――」
しかし総司からの返答はすぐにはなかった。
ただ彼の腹に回していた手を彼の手で外される。
やはり、一度他の男の嫁に行こうとした女子などもう不要なのだ。
傍にいて欲しい。何も言わなくてもいい。そう言っていても許してはくれないのだ。
外された手が彼の意思を示しているようで。
そう思うと涙が込み上げてくる。
離れた彼の温もりが寂しくて、俯くと、総司がこちらを向く気配がした。
顔を上げると、すっと彼の顔が下りてきて、セイの首筋に唇が触れた。
「っ!」
丁度斎藤が残した痕に被せる様に総司が吸い付く。
あの日と同じ痛みがちくりと首筋に残り、彼の唇がセイから離れる。
「怖いですか?」
探るように尋ねる総司に、今された事に対し驚いて目を見開いていたセイは顔を上げると首を大きく横に振った。
驚いたけど、あの時のような嫌悪感は何処にも無かった。
彼に確かめられ、探った己の中にあった感情にセイはそんな自分に驚いた。
嫌じゃなかった。寧ろ。
「…嬉しいです…」
斎藤に触れられて、穢れたと思っていた処を、総司に触れられる事で拭われたような気がして嬉しかった。
酷く安心した。
他の処も、斎藤が触れた処全て触れて塗り替えて欲しかった。
首筋だけではない、胸元にも今も消えない痕が残っている。
「――私ね。嫉妬深いんです。今回の事でよく自覚しました。貴女がその気になるまで。祝言を挙げるまで。ってずっと我慢していたんですけど、それでこんな風に横取りされるくらいならどうしてもっと早く貴女を抱かなかったんだろうって死ぬ程後悔したんですよ?」
セイは初めて聞かされる総司の想いに驚いた。
優しい人だから我慢してるのかな。と思ってはいた。
けれどそんな望みは、冷静さを保った何処か淡いもので、そんな風に激しい感情で自分をずっと求めてくれているとは知らなかった。
「約束はしたから何も聞きません。けれど――貴女に最初に触れた斉藤さんが憎いですし、それを許した貴女も憎いです」
そう言う彼の瞳は言葉とは裏腹に、他人に向けた憎しみの感情を湛えているのではなく、何処までも自分自身を責めている様な哀しい眼差しだった。
まるでそうやってセイを憎む自分自身を誰よりも憎むかのように。
セイが誤解さえしなければ彼にこんな表情も、こんな感情も抱かせる事も無かったのだと思うと、彼女の後悔は一層深くなった。
また引き剥がされるかもしれない。それでももう一度ぎゅっと総司の首筋に手を伸ばし、抱きつく。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
「…それは斎藤さんに抱かれたからですか…?」
「斎藤先生に抱かれてません!」
「だって…口付けの痕…」
「斎藤先生は私が己の気持ちを自覚させる為にって、自ら悪役を買って出てくれただけです!」
「意味が分かりません…」
「私が沖田先生以外の人に触れられるのが嫌なんだと分からせる為に態と胸に触れただけです!」
「胸に触れた…?」
「武士の嫁になるんだから、これが当たり前って我慢したけど、私には無理だって分からせる為です!」
総司は抱きつくセイを再び剥がし、じっと彼女を見下ろした。
彼が今何を思っているかは分からない。
けれど、自分が斎藤に抱かれたと思われる事で、総司が自分自身を責めるのなら誤解を解きたかった。
勝手に誤解をして勝手に腹を立て、斎藤の嫁になろうとし、挙句自分でも気付かなかった感情を引き出され、諭されたセイ自身が、その為に斎藤に触れる事を許してしまった事で、総司に憎まれても仕方が無い。
けれど犠牲になってくれた斎藤と傷ついた総司が互いにそれこそ誤解をしたままこれからも同じ新選組で共に同志として過ごす辛さを考えれば、二人の為に総司に誤解させたままにしたくなかった。
そんな事になるのなら総司に全てを話す。それで見切りを付けられるなら仕方がないのだ。
セイは覚悟を決めた。
自分を責めるならいい。憎むならいい。自分のした事で、総司が自分を責めるのも、彼の苦しみを増やすのも、それだけは嫌だった。