さっきまでセイがどんなに嫌がっても押し倒し、無理矢理にでも自分のものにする。
そう決めていたくせに、目の前で己に触れ、涙を零し、彼女の胸の内に潜む傷と怯えを昇華させている姿を見て、無体な事は出来なかった。
やはり、大切なこの人だけは悔しいくらいに傷つける事は出来ない。
「…何があったんですか?」
そっと尋ねるが、セイは首を横に振る。
「教えて下さい」
セイはそれでも首を横に振った。
「――斎藤さんに抱かれたんですか?」
「ちがっ!」
初めてセイは顔を上げて反論をすると、そのまままた目を伏せた。
否定をするくせに総司と向き合うことから逃げる。
彼と何も無かったのならいつものように真っ直ぐ己の目を見ればいいのだ。
どんな時でも相手を真正面から見据え、相手と向き合う。それが彼女の良さなのだから。
だから余計に、あえて目を逸らそうとする彼女の心が見えず、苛立ちが湧き上がった。
俯こうとするセイの顔を上に向かせると、視線を重ねる。逃げる事は許さなかった。
しかしセイは、試合で刀を交わした時と同様、その時よりも暗いものが奥にたゆたう瞳に捕らわれて、ガタガタと震え始めた。
やはり。男という生き物そのものに対して彼女は怯えている。
力任せに強引に己を扱われる事に。
顎から、掴んだ腕から伝わる振動に、そして凍りついた表情に、総司は一つ息を吐くと、己を宥め、もう一度優しく問いかけた。
ここで怖がらせてしまえば、本当に何もかも終わってしまう。
そんな気がしたからだ。
「…うまく言えないんですけど。何があっても私はセイちゃんの事が好きですよ」
そう囁いたが、セイはびくりと大きく震えると、より一層激しく首を振り始めた。
「私の方がもう沖田先生のお嫁様になる資格なんてないんです!聞いたら嫌いになります!」
「嫌いになんてなりませんよ」
「なります!絶対なります!」
一度堰を切って溢れ出した感情は止まる事を知らず、一気に押し寄せた感情の波が彼女に本心を吐露させた。
「なりませんって」
「なります!なるったらなるんです!」
流石の決め付けの言葉に総司もむっとし始める。
「どうしてセイちゃんが私の気持ちを決め付けるんですか!」
「分かります!絶対に嫌いになるって!」
「話してもいないのに分からないでしょう!」
「ほら!話したら嫌いになるんです!」
「いい加減にしなさい!」
内容も話さず、反論ばかりし、しまいには言葉の揚げ足を取るセイを一喝すると、くるりと背を向けた。
怯えるセイを宥め、ここまで己を自制して、優しくしても、慰めても、素直に想いを口にしない彼女に振り回されるのはごめんだ。
やはり女子は面倒くさい。
そう思い至って、今までと変わらない自分が彼女を見切ってしまおうと慣れた動作で体が動く。
一方でそこから一歩も進めないのは彼女への未練だった。
今までだって、相手の本心が分からず、自分が持てる精一杯の相手への誠意を伝えても伝わらず、意思疎通が出来ないまま、そこで絶えてしまった人間関係は沢山あった。
それまでは、気が合わなかったのだ、分かり合えないのならそこまでの関係なのだ、ならばそれでいいと思ってきた。
では、セイともこれで、このままもう一生会えなくてもいいのか。
そう己に問うと、心が凍る。
それが嫌で、もう一度彼女の誤解を解いて、傍にいてもらう為に全てを尽くそうと決めたのだろう。
彼女はきっと総司がいなくても生きていける。可愛い人だから。斎藤にだって求められていたし、きっとすぐに結縁の相手が見つかるだろう。
彼女がいなければ生きていけなくなるのは自分なのに。
そう思うと、背を向けるまでで踏み留まり、初めて総司は、人と向き合うことをすぐに諦めて逃げる自分を自制した。
だからと言って、何と言っていいのか言葉が浮かばない。
沈黙がその場に落ちた。
すぐ前の通りを歩く足音や人の声が微かに戸の向こうから聞こえてくる。
室内に流れ込んでくる風の音が静かに耳を擽った。
そんな沈黙が続く中、人の動く気配が空気を揺らすと同時に、総司の背中にセイが抱きついた。
「――」
温もりが背中から、腹に回された腕から伝わってきたが、言葉は無かった。
触れる体温が、呼吸とともに揺れる柔らかな体が総司の内に浸透し、愛しさで胸がきゅっと締め付けられる。
久し振りに触れる彼女の体温が愛しくて恋しくて堪らなかった。
しかし、抱きついたまま、いつまでも何も言わないセイに焦れて、このまま振り払ってしまえばいいのか、抱きしめ返せばいいのか、何を意図し彼女が抱きついてきたのか分からない総司は息を潜め、セイの動向を窺った。
しかしセイはしがみ付くだけで、まだ己の内の中で納めたまま彼に隠している何かを言うのに怯えているようだった。
話す事でそんなに簡単に自分がセイを見放すと思っているのだろうか。
こんなにも自制しているのに。
こんなにもセイを必要としているのに。
そんな総司の哀愁と葛藤も知らず、何も言わないセイにまた苛立ちを感じ始めるが、呼吸一つし、自分を宥めると、もう一度想いを言葉にした。
「―――私は貴女に傍にいて欲しいんです。言いたくないのなら言わなくていいです。斎藤さんと何があっても――私は貴女が好きですから」
その言葉にセイの総司の腹に回る手にきゅうっと力がこもる。
「私―――斎藤先生のお嫁様になろうとしました」
何度も聞いた台詞だし、何度も言われるのに構えていた言葉だけれど、改めて告げられる言葉の衝撃を耐えるには、ある程度の時間を要した。