風桜~かぜはな~2-17

「斎藤さん?」
上の階で何が起こっていたのかも知らず、玄庵の手伝いをしていた祐馬は階段を降りてくる斎藤に声をかけるが、斎藤は何も答えず外に出た。
俯き加減に街中を歩くと、人通りが少ない小路に入り込む。 そこで、人の気配が無い事を確認すると、すぐ横にあった壁を力任せに打ち付けた。
ドン!
心の痛みに負けず劣らずの音がその場に響く。
打ち付けた手の甲がじんじんと痛みを帯びていた。
「くそっ!」
己の内でとぐろを巻く暗い感情と共に吐き出すが、少しも心が晴れる事は無かった。
ドン!ドン!
暗い感情を抱く己が誰よりも憎く、自身を痛めつけるように拳を何度も打ちつける。
こんな事をしたかったのではない。
こんな結果になるはずじゃなかったのだ。
斎藤の思考の中に幾度も言い訳に似た言葉が浮かび、その言葉が浮かぶ己の浅ましさがまた憎くて堪らなかった。
あれほど愛しいと思っていた少女が憎くさえ感じる。
それは己自身の起こした行動に対する言い逃れだ。
そう分かってはいても、思い描く通りに事の運べない、己に、受け入れない彼女に憎しみが増す。
愛しいと思っていた娘さえも憎く思う己の器の小ささがまた自信を溜まらなく許せなかった。
抱いてしまえば変わると思っていた。
それなりに女を抱いた経験だってある。
どんな女だって手練手管で翻弄し、男の熱を知れば、それまでどれだけ頑に受け入れる事を拒否続けていても、己の腕の中で溶けていった。
セイの家だって元々は直参だ。武士の家の娘として育てられてきたと本人も言っていた。
だから本人の意思とは関係無く結縁する覚悟だってあっただろう。
想い人と必ずしも結ばれる事が無い事だって理解しているだろう。
抱いてしまえば。
既成事実を作ってしまえば。
結縁さえすれば。
いっそ子が出来てしまえば。
いつかきっと、これでよかった。幸せだと思ってくれる。
そう思わせる自信はあったし、その、未来を確信していた。
だからこのままセイを抱いてしまうのは互いとって良いことなのだ。
そう信じていた。
しかし。
実際の愛しい娘は。
己の下にいるセイは、己の愛撫を全身で拒絶していた。
斎藤は優しく、女子を喜ばせるような柔らかな愛撫を、熱を持って伝えた。
初めて触れるセイの体は何処もかしこも柔らかく、彼女を溶かすより先に、寧ろ斎藤の思考をゆるゆると溶かしていった。
こんなにも愛しく思ってお前に触れているのだ。
だからそのままお前は応えるだけでいい。
そう想いを込めて、今までに無く優しく触れた。己自身でも自分はこんなにも壊れ物を扱うように優しく抱けるのだと驚くほどに。
しかし、当のセイは解けていくどころか、触れる度に怯え、官能ではない恐怖で体を震わせて嗚咽し涙を零し続けていた。
触れる事を、女子として触れる事を拒否し、斎藤を拒否し、早く今、このときが終わってくれる事を懇願しているようだった。
拒絶をしながらも、夫となる男を受け入れる為に。
武士の娘としての覚悟と、本心が拮抗し、全身を震わせながらもされるがままになるその姿は痛ましくて堪らなかった。
何よりも彼女にそんな反応をさせるのが己なのだと言う事実が容赦無く斎藤を打ちのめした。
これではただ無理矢理一人の娘を手篭めにしようとしている粗暴な輩と何も変わらないではないか。
己が望んでいたのは、セイのこんな姿ではない。

――そのまま抱くなんて事は出来なかった。

「くそっ!」

拳の痛みはじわりじわりと斎藤の心を侵食した。