風桜~かぜはな~2-15

診療所内で、セイ、総司、祐馬の三人による騒動が玄庵の一喝で終息し、玄庵は再び診療を始め、祐馬は診療中にも関らず騒いだ事に申し訳なさを感じ、父の診察の手伝いをしていた。
総司は何も言えないまますごすごと帰るしかなく、思わぬ騒ぎに巻き込まれてしまった斎藤に、セイにお詫びをと住居部分である室内に招いた。
セイの『斎藤の嫁になる』発言の為に、室内に招き入れられた斎藤とセイの様子が気になる患者たちの視線がちらちらと注がれるのを気にしたセイは普段寝室にしている二階に彼を招き入れ、そこで茶を出した。
「申し訳ありません。斎藤兄上まで巻き込んでしまって」
頭に血が上っていたとはいえ、今更ながらに自分がやった事、言った事に恥ずかしくなったのか、赤くなってセイは詫びた。
斎藤は無表情のまま彼女の入れた茶を手にすると、一口啜る。
「――いや。構わん」
そう言う斎藤にセイはほっと安心したように息を零す。
「やっぱり斎藤兄上はお優しいです」
にこにこと笑顔を向けるセイに目をやると、彼は手に取っていた湯飲みを床に置いた。
「俺としてはセイを嫁に貰えるのなら役得だったな」
その言葉に、笑みを浮かべていたセイの表情が一気に固まった。
そんな彼女の変化を見越していたように、斎藤は真っ直ぐセイを見つめる。
「俺の嫁になってくれるのだろう?」
「あ…その…」
言葉の中に、そして真剣な表情から伺い取れる彼の本気に、セイはぴりりとした痺れを感じ、背筋を緊張させて伸ばした。
あの場では総司の言い訳に腹が立ち、つい勢いで言ってしまったが、斎藤がまさかそれを本気にしているとは少しも思わなかったのだ。
「あの…そ…その、斎藤兄上は兄上ですから、そんな本気に取るなんて…」
「俺はセイの兄ではない」
あっさりとした否定の言葉に、セイはそれまで彼に抱いていた感情を真っ二つに切り裂かれてしまった気がした。
今まで実の兄と同じくらいの親近感で『兄上』と慕い、そう呼び続け、その事に否定もされずにいたから、『兄』のように『家族』のように思ってよいものだと信じていたものが、初めて彼自身に一線引かれた。
確かに斎藤は兄ではない。
では?
「セイ。お前に惚れている一人の男だ」
すぐさまセイの中で湧き上がった疑問を見抜いたように彼は答えを導き出す。
「じょ…冗談を…」
「冗談ではない」
「だってそんな素振り…」
「お前に惚れているからな。恋人に沖田さんがいるのなら俺は他の形で一番お前に近しい存在になろうと思った」
「近しい…」
「どんな形でも惚れた女の傍にいられるのならな」
斎藤がそんな思いで傍にいるなんて少しも気付かなかった。
血の繋がりの無い、異性。
恋仲にも夫婦にもなれる一人の男。
ずっとそんな事分かっていたはずなのに、今初めて知ったような衝撃をセイは受けた。
「だから」
斎藤はすっとセイに近付くと、彼女の柔らかな頬にそっと手で触れた。
びくりとセイの肩が震える。それに気付かないふりをして彼は言葉を続けた。
「沖田さんと別れ、家族公認で、俺がお前と夫婦になれるのなら、これ以上の喜びは無い」
ずっと触れたかった少女が目の前にいる。
そして結縁をと望まれた。
総司への悋気と、当て付けで自身と結縁するとセイが言い放っただけだという事は、斎藤自身十分理解している。
例えそうだとしても――。
ずっと想い続けてきた。祐馬に紹介されてからずっと。
想い続けているだけで、口に出さなかった事をずっと後悔していた。
セイと総司が出会い、恋仲になってから何度この恋を諦めようとしたか。
二人が口付けを交わした時も。
総司が今の自分のように何気無く彼女に触れる時も。
腹の奥から込み上げる黒い嫉妬と言う名の闇と絶望が彼を襲い、彼女に触れる男を殴り殺してしまいたい衝動を必死で抑えてきた。
セイが総司の事で涙を零す度に、自分なら決して泣かせはしないのにと総司に対する憎しみとセイに対する愛しさを抱きながら、ほんの一欠片でもいい、己の想いに気付き、己を選んではくれないだろうかと願いを込め、彼女を慰めてきた。
それでも総司しか見つめず、どんな事が起こり、どれだけ野暮天に振り回されてもひたむきに彼を想い続けるセイが憎くて、それでいて一途な彼女に一層愛しさが増した。
何度も考えた事がある。
己自身の願いを貫いて、総司から彼女を奪い取り、祝言を挙げてしまえば、その事実を例え総司に甘い近藤や土方が介入しても変える事は出来ないだろう。
元々セイの家族は、総司と斎藤どちらがセイに相応しいか天秤にかけたとしたら己に分があると斎藤は自負している。
それでもそうしなかったのは、総司と一緒にいる時のセイの表情が何よりも幸せそうだったから。
華の様な笑顔を見せるセイの表情が総司の傍にいるだけでより眩しさが増したから。
だから彼女が総司に嫁ぐのは彼女の幸せなのだ、己は彼女を見守る存在であればいいと無理矢理自分を納得させていた。
けれどそのセイが、一度でも――、今、己を選んでくれるのなら――逃す事はしない。
「あれは…」
斎藤の瞳の奥に、今まで祐馬にも総司にも見えなかった暗いものを感じ、セイは本能的に斎藤から距離を取ろうと身を引いた。
しかし己の傍から離れる事を彼は許さず、腕を掴み、そのままセイを床に倒すと、彼女の両耳の横に手を突き、覆い被さった。
「俺を選んだ事を後悔させない――」
セイは身を捩り、押し倒された斎藤から逃れようとするが、すぐさま両腕を捕まれ、仰向けのまま彼を見上げる事しか出来なかった。
幾ら剣術を学ぼうと、護身術にと総司に学んでいたはずなのに、実際男に組み敷かれたら、逃れる事は出来なかった。
ましてや、総司に匹敵する剣豪の腕からは。
「幸せにする――」
喧騒を逃れた静かな部屋で、一人の男の声が響いた。