風桜~かぜはな~8

新選組屯所が西本願寺に移転してから数ヵ月後。
一人の人物が屯所を訪れた。
「幕府の奥医師の松本良順先生が新選組全員の健康診断をしてくださるってよ!」
「しかも助手の一人がこれまためっちゃ別嬪なんだ!」
噂はすぐに飛び交い。
そして、診断の際に現れた人物に総司は目を見開いた。
「セイちゃん!?」
「今は神谷清三郎です」
セイはにっこりと笑って答えた。
着流しに袴姿、髪は総髪ではあるものの後頭部で一つに結い上げていた。
脇差は差してはいないものの姿格好は何処からどう見ても若衆姿。しかし、その整った容貌だけは誤魔化しようが無く、女子の男装姿だった。
しかし、不思議な事に元々彼女の容貌はともかく雰囲気が中性的からか、新選組の隊士たちの中には女子であると言うものと、男であると信じているものが二分していた。
噂は流れてきてはいたもののまさかその渦中の人がセイだとは気付かず、総司は驚いた。
しかもちゃっかり偽名まで名乗っているのだから。
「どうしてここに!?しかも何ですかその格好!?っていうか富永さんは!?お父上は知ってるんですか!?」
「何でぇ。この喧しいのは。セイ」
「兄上の所属している隊の組長の沖田総司先生です」
その通りなのだけれど、他人行儀な紹介に何故か総司は胸が痛む。
松本は名を聞いて「ああ」と頷くと、がははと豪快に笑った。
「お前が近藤の言っていた奴か。そして玄庵さんに嫌われてる奴だな」
「え?え?」
「近藤はお前を隊随一に剣客だと褒めていた。そして…」
そこまで言って、松本は更に笑う。
「玄庵さんは家の娘を誑かすタラシだと言っていた」
「何ですかそれ!?」
近藤に褒められて嬉しいが、玄庵の評価は悲しい、ので、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない。
「お前さん、セイに惚れてるんだろ?」
「そんな訳無いでしょ!」
「だって毎日家に来て、娘を攫って行くって言っていたぞ」
「それは一緒に甘味屋巡りしてるだけです!」
「娘の休憩時間狙って長い間居座ったり」
「だからそれはお菓子を一緒に食べる為に買ってきたからお邪魔しているだけで!」
「時には図々しくも娘の手料理食べたさに夕飯まで食べていくって」
「ちゃんとセイちゃんに誘われたからですよ!」
「…惚れてないのか?」
「惚れてません」
「そんな訳無いだろう」
「私は生涯娶らないって決めてるんです。恋愛沙汰に巻き込まれるつもりもありません。大体セイちゃんにも失礼じゃないですか。ねぇ?」
と、総司が振り返ると、そこにセイの姿は無かった。
「セイならとっくの疾うに部屋から出て行ったぞ」
「え?」
総司は理由が分からず呆然としている間に、松本はちゃっちゃと手早く診断を済ましていく。
「セイがな、女子だから新選組には入れないけど、兄がいてお前がいるこの隊で何かの役に立ちたいと反対する玄庵さんを説得してここに来たんだぞ。どうしたら迷惑を掛けず自分の身を守れるかもちゃんと考えて」
「え」
「お前も、祐馬も斎藤も反対するだけしかしないで、剣術を学びたい、医術を学びたい、賄をしたい、何を話しても頭ごなしに否定するだけで少しも話も聞いてくれなかった」
「…女子が本気でそんな事考えてるなんて思いませんよ…」
「そうだろうなぁ。それでも、役に立ちたくて考えてたところに俺が現れて、初めて話を聞いてくれる人に会ったって言ってたな。まぁ。俺は面白がりなだけだけどな」
総司は胸の奥がちりちりするのを感じた。
「あれを御せる旦那はそうそういねぇだろうなぁ」
その時言われて、今更ながら改めてセイが本当に嫁に行く年頃であるのを、彼女にも旦那になる男が出来るのだと、総司は気付いた。
今まで散々そんな話をしていたが、祐馬や玄庵ら彼女の身内が語っているだけで、身内故の欲目のようでそれはいつか遠い日の事のように感じていた。けれど全くの他人である松本から見てもそういう年頃の娘にセイもいつの間にかなっていたのだと、目を覚まされた気がした。
「嫁の貰い手がなけりゃ、俺が医師として弟子にしてやるか。よし!終わりだ!異常無し!」
ぽんと胸を叩かれて、総司は改めて松本を見た。
「沖田。動揺しているところ悪いがな。ここは男装しているとはいえ、セイにとって安全な場所か?」
総司ははっとすると、慌てて脱いでいた着流しを着付け、部屋を出る。
「ありがとうございました!」
それだけを言うと、足早にその場を離れた。
離れた部屋からは、また一際大きな笑い声が聞こえて来た。