風桜~かぜはな~6

夕食時の会話は主にセイが中心になる。
元々そんなに口数が多い訳ではない玄庵、そして妹を何よりも大切にする祐馬。
その中で明るく元気の良いセイが一家の中での中心となっていた。
セイが生き生きしているのは玄庵も祐馬も嬉しい。
彼女が風邪引いて臥せった時など、男二人しておろおろし、家の空気は一気に暗澹としたものだ。
しかしセイが生き生きしている姿を見れるのが何よりも嬉しいとは言え、自然と話の中心となる最近の出来事のその話の内容に二人はやや陰鬱になりながら聞いていた。
「今日は沖田先生と為坊たちと凧揚げをしたんです!」
「今日の沖田先生ったら酷いんですよ!私の事桜饅頭だって言うんですよ!」
「今日、沖田先生葛きりを何杯召し上がったと思いますか!?」
と。
毎日が「沖田先生話」だ。
壁々するというものであろう。
屯所で過ごす事も多い祐馬はまだいい、逃げ場の無い玄庵を思うと、祐馬はどうか胃に穴を開けることだけは無いように願った。
「だったら、沖田先生の嫁になるか?」
あまりの「沖田先生話」の多さに、玄庵が苦虫を噛み潰したような表情で尋ねた事もある。
しかし、セイの答えは意外にも否だった。
曰く。
「私は家でただ無事を祈る事しか出来ない嫁にはなりたくないんです。本当なら新選組に入隊してお傍で沖田先生を、兄上を、斎藤兄上を命を掛けてお護りしたいんです」
セイこそ誠の武士であるような回答に、玄庵も祐馬も気圧されてしまった。

それが最近の食卓での家族団欒だったが、その日祐馬が家に帰ると、雰囲気が違っていた。
元々あまり綺麗な家では無かったが、いつもに増して暗く寂寥感が、家に入った瞬間に彼を襲った。
不審に思い、室内を覗くと、食卓にはいつも通り夕餉の支度が並べられており、土間ではセイが忙しなく動き回って食事を作っている。
何がいつもと違うのか分からない。けれど明らかにいつもと違う。
その差が何か分からないまま祐馬が玄庵を探すと、彼は小さく首を振った。
「何があったのですか?父上」
「…セイが落ち込んでる」
「何故?」
「…沖田先生の事以外でセイが落ち込むと思うか?」
それはそれでどうだろう。と思いながらも、祐馬は「確かに」と頷いた。
「…今日な、お客さんの中に沖田先生が頭巾を被った人妻と盆屋へ入っていったという話をしてる奴がいてなぁ」
「何でそんな事態々言うんですか!?」
「セイが沖田先生に惚れてるのを客が知らないと思うか?」
「…うっ」
祐馬は言葉に詰まってしまう。
休憩時間に毎回壬生まで兄に会いにと言いながら総司と遊びに行く、しかもその総司と茶屋で菓子を食べている、尚且つその総司は最初こそ遠慮していたものの最近は家にまで上がり込み挙句の果てに夕餉まで食べて帰る。
誰がどう見ても恋仲にしか見えない。
その恋仲(だと思われている)二人のうち男が、別の見知らぬ女性と盆屋へ行った姿を見たのなら、それは浮気としか見られない。
しかも相手は人妻だ。
下手をすれば首が飛ぶとも言われている不倫をするまでの相手、つまり本気だという事だ。
それを、近所の人間やこの診療所に通う客が心配してセイに知らせないはずがない。
祐馬は溜息を落とした。
彼は、そして士衛館時代から総司と共に暮らしてきた者たちだけは、総司に会いに来た女性が何者で彼とどういう因縁があるかを知っている。
山南に話を聞いて以来、セイには黙って来た事だが。
総司に未だ少なからず影響を影響を与え続けているだろうとは言え、既にその事自体は過去の話と思っていた女性が屯所を訪れた事には祐馬も驚いたが、彼が取り次いだ時、総司自身は既に彼女とどうこうなる事を望んでいる雰囲気は無かった。実際彼は何事も無かったらしく、その女性も夫の元へ帰ったと聞いた。
ただ、やたら清々しい笑顔で帰ってきた総司に不快感を覚えたが。
それでも、セイに見つからない事だけを祈っていたのだ。
セイ本人が嫁にと望んでいないと言っているとは言え、明らかに妹は上司に恋をしている。
その事を知らされればやはり傷付くのは目に見えていたからだ。
ここですっぱり山南から聞かされた事含め、全てを話して、未練を断たせるのも己の役目かも知れない。そう思い、祐馬はセイを呼んだ。

全てを聞いたセイはぼろぼろと泣いていた。
何を思ってかは分からない。
けれど、酷く傷いた表情をする訳でも無く、ただ無心に泣いていた。
こういう時、男はどうも不甲斐ない。
どうしたらいいか分からずおろおろするばかりだ。
「…セイ…?」
「…ごめんなさい…」
そう言ってはまたセイはしくしくと泣く。
総司と恋仲になって欲しくないと願っていながらも、それでも総司自身に非が無いと分かっていてもこんなにも傷つける総司を憎らしく思う。
やがて、セイはぽつりぽつりと話し始めた。
「…本当はね…その人に昨日会ったの…」
「え?」
「二人でお茶屋さんでお団子を食べている時に、『宗次郎様?』って声掛けられてて」
「沖田先生は何て?」
「『知りません』って。でも明らかに知ってる人だって顔をしていて、その後逃げるようにその場を離れるから追っかけたの。『あの人は誰ですか?』って尋ねたら、『貴方には関係ありません!』って怒鳴られちゃって…」
そこまで聞いて、祐馬は総司を妹の事は置いておいて武士としては尊敬しており今まで一番隊で彼の傍で働ける事を誇りとしていたが、本気で移動願いを出そうかと思った。
「それで今日、沖田先生がその人と盆屋に行ったって話を聞いて、普段『結縁はしません』『女子はいりません』って郭にも行かない人だから興味が無いだけなんだなと思ってたんだけど…私が女子として見られてなかっただけだったんだな…ちゃんと大切な人がいたんだなと思ったら…」
祐馬はすくっと立ち上がり、玄庵を振り返る。
「父上。お世話になりました。沖田先生を斬って来ます。その後切腹致しますが、セイの事宜しくお願い致します」
「兄上っ!」
「あんな奴斬ってこい」
「父上っ!」
セイは祐馬の腰にしがみ付き慌てて止める。
「私が自分でちゃんと決着つけるから!」
「お前はここにいなさい!うちのセイに魅力が無いとでもいうのか!あの男!」
「沖田先生は悪くないよ!」
「お前を泣かせてる時点で許せん!」
「私が勝手に泣いてるだけだもん!兄上は余計な事しないで!」
「大切な妹が泣いてるんだぞ!今までも散々思わせぶりな態度を取って置きながら山南総長が沖田先生からセイを奪ったら沖田先生にとっても、はどうでもいい!隊にとっても損失だから止めてくれと懇願されたから我慢していたものを!もう我慢ならん!」
「お願いだから止めて!そんな事したら兄上もけしかける父上も嫌いになるから!」
『!』
最強の文句を前に祐馬と玄庵はぴたりと止まった。
妹に、娘に、嫌われるのだけは何よりも耐え難い。
「ちゃんと…ちゃんと自分で答えを出すから。だから…お里さんの所に行ってきてもいい?」
祐馬にしがみ付いたままのセイ顔を上げると、祐馬に尋ねた。
里乃は以前は祐馬と恋仲であったが、彼女が遊郭に入るのを機に別れ、そして今は無き山南の恋人として再会した。
彼女はセイの事を妹のように可愛がっており、とある折に再会して以来、今度は里乃とセイを主として再び交流が盛んになった。
何かの折にセイは今は遊郭を出て市井で暮らす里乃の元を訪れ、よく相談をしている。彼女にとってはきっと男親や男兄弟では分からない事が相談できる唯一の相手なのだろうと祐馬は思っている。
だから今度も里乃が救いになるなら。と彼女には申し訳ないと思いつつも頷いた。