向日葵

「沖田先生っ!今年も咲きましたよっ!」
セイはパタパタと駆け足で西本願寺の新選組屯所の階段を上りきると、廊下から隊士部屋に身を乗り出して室内にいた総司に声をかけた。
「はいはい。どうしました?」
室内でも日陰になる場所で団扇を扇いで寛いでいた総司は、元気よく飛び込んできたセイに苦笑して振り向いた。
夏も真っ盛りのこの時期。
毎年の事とはいえ、じめっとした京の暑さに辟易していた総司は、その中でもいつもと変わらず活発に率先して屯所内の雑務にかかるセイを尊敬している。
しかしそんな彼女も決して暑さを感じていない訳ではない。額から幾筋も汗を零していた。
「そんなに動いていたら、バテちゃいますよ。少し休んだらどうですか?」
「このくらいへっちゃらです!ってそうじゃなくって!」
総司は立ち上がると彼女の前に座り込み、自分が持っていた手拭で彼女の首筋を拭ってやる。するとセイは頬を染めながらそれを払い、そして彼を見上げた。
「今年も向日葵が咲きましたよ!」
嬉しそうに満面の笑みでそう告げるセイの顔を見て、総司は「ああ」と初めて、何故彼女がこの炎天下の中一目散に自分の元へ走ってきたか合点した。

「今年も一杯咲きましたねぇ」
新選組の元屯所のあった壬生。今も畑が多いその一角で見事に咲き誇る幾本もの向日葵。
総司の背丈までと同じくらいまで伸びたそれらは太陽を見上げ、時折吹く風に揺られながら、咲き誇っていた。
「はい!」
向日葵を見上げる総司を、セイはにこにこと笑って答える。
「最初に貴方が植えてから随分と増えましたよねぇ」
「はい!」
「今年も沢山種が取れそうですねぇ」
「…沖田先生…もう食べる話ですか…」
じゅるりと音が聞こえてきそうな声で呟く総司に、セイは脱力した。
それを見て、今度は総司が笑う。
「ゴメンナサイ。今年も見れて良かったですねぇ」
総司がそう言うと、セイはまた顔を上げて嬉しそうに声を上げた。
「はい!」

――それは、新選組がまだ壬生浪士組と名乗り、セイが入隊したばかりの頃。
毎日の稽古に慣れ始め、ある程度まで腕が上がっていたものの伸び悩んでいたある日、セイは己の未熟さから総司に傷を負わせてしまう事があった。
「沖田先生っ!」
巡察中、街中を歩いていた一人の浪士に違和感を感じ、セイが声を掛けた所、浪士がいきなり抜刀し斬りかかってきたのだ。
その刃にまだ反応しきれなかったセイの間に間一髪入り込んだのが総司だった。
「貴方は後ろに下がっていなさい!」
一喝され、その当時の彼女の技量では浪士と総司の間に入り込む事の出来なかったセイは大人しく彼の後ろに控える事しか出来なかった。
斬り合いが始まるや否や、路の角に隠れていたらしい仲間の浪士たちもわらわらと姿を現し始め、すぐさまその場は修羅場と化した。
しかし、セイはその斬り合いの中、まともに応戦する事も出来ず、それが逆に相手に漬け込まれ、集中して狙われる事となった。
「神谷っ!」
一番隊の誰かが、セイに降りかかる刀を受け、かわす。セイもその誰かより先に応戦しようとするが、その前に誰かが降りかかる刀を受け流し、彼女の身を守ってくれていた。
このままではいけない。
自分は何の為にいるのだ。
守られる為にここに武士といるのではない。
セイが一歩前に出たところで、また刀が降りかかってきた。
「神谷っ!」
誰かが叫んだ。
完全に一刀両断できる相手の間合いに自ら入り込んでしまった彼女には斬られると言う選択肢以外無かった。
その事にセイ自身が気付いたのは、もう胴に刀が触れる寸前だった。
「っ!?」
「神谷さんっ!」
セイに知覚出来たのは、己の胴を誰かが背後から後方に引き寄せたのと、目の前に紅い血が飛び散った事くらいだった。

全てが収束した後、セイは必死に総司の腕に布を巻きつけ続けた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
謝り続ける少女に総司は苦笑する。
戦闘後すぐに後処理をしようとする彼は隊士たちに制され、すぐさまセイに近くの店に連れ込まれ、傷の処置をされた。
セイを両断される間合いから咄嗟に己の懐へ引き込んだ際に、かわしきれなかった浪士の刀が総司の左肘から手首に掛けて一直線に紅い筋を残した。
店で総司の傷を見て慌てて用意してくれた布をセイが腕に少々きつく巻きつけているが、未だ血は止まらないらしく、折角の鮮やかな色の生地が赤黒く染まっていく。
「大丈夫ですから。そんなに深い傷じゃないですし。ちゃんと皆さんで仇取ってくれましたから」
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
柔らかい声で宥められる度にセイは逆に攻め立てられているように感じた。
彼を守ると決めて新選組に残ったくせに。この醜態は何だ。
彼を守るどころか、斬り合いに入り込む事も出来ず、守られてしまった。
しかもあろう事か、剣豪にとって何よりも大切にすべき腕に傷を負わせてしまった。
そんな己の未熟さに吐き気さえした。
「神谷さん」
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「神谷さん」
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「いい加減になさい」
少し声を強めて、己を責め続ける彼女を諌めると、セイの肩がびくりと震えて、声が止まった。
総司は小さく溜息を吐く。
「自戒する事は結構な事です。けれどそれを私にまで押し付けないで下さい」
「!」
謝り続ける事で人に許しを請い、己を慰めているのだ。お前は。そう言われた気がしたセイは激しい痛みを胸に覚えた。
それは、その通りだったからだ。
自覚していなかった分だけ、また激しい己に対する嫌悪感が彼女を襲う。
それを拭い取るように総司は俯く彼女の頭に手を置くと、そっと撫でた。
あまりにも優しい手付きに、セイは動揺して顔を上げた。
彼女を見つめる総司は微笑んでいた。
「組長が隊士を守るのは当然の事ですよ。隊士が組長を守るのも。貴方だって懸命に私を守ろうとしてくれたじゃないですか」
あんな修羅場の中でも彼はちゃんとセイが必死に彼の背を守ろうと彼女なりに動いていたのを見てくれていたのだ。
「それにね。修羅場の中、思う通りに動けなくて当然です。これはもう場数を踏むしかないんですから。貴方はまだ入隊したばかり、未熟なのは当然です。庇える人が未熟な人を助けるのも当然です」
「…でも…先生……」
優しい口調で伝えられる言葉に、セイは瞳一杯に涙を溜め、零した。
「そうですねぇ……ほら、あそこに咲いている向日葵。短い夏の間だけですけど太陽に向かって少しでも届くようにと一生懸命背を伸ばしているじゃないですか。貴方もああやって伸びていくんですよ。もっともっとって」
総司は部屋の窓から覗く店の庭に埋められた向日葵を見て、それからセイを見つめた。
「……」
セイにはその自信が無い。それさえ見越したように総司は笑った。
「今は伸び悩んでいるかも知れませんけど、向日葵だって太陽を一杯一杯内に溜めて、それから一気に背を伸ばすじゃないですか。貴方もそうですよ。今にぐんと伸びますますから。楽しみですねぇ」
「―――」
セイは目を見開いて総司を見た。
彼にはセイが最近剣術の腕が上がらない事、思うように動けない事、仲間と一緒に稽古をする事で技量の差をまざまざと見せ付けられ、己の未熟さに苛んでいた事、全てお見通しだった。
「貴方だけだと思いますか?皆通る道ですよ。私だってそうです」
総司は笑う。
セイ自身でさえ信じられなくなったセイが成長する未来を総司は想像して嬉しそうに笑っていた。
「――今にもっともっと強くなって沖田先生をお守りします!隊丸ごと守って見せますから!」
総司が自分の未来を信じてくれているのに自分が信じなくてどうする。
「私がもっともっと強くなっていく姿を見せてやりますから!覚悟してください!」
「それは楽しみですねぇ」
総司は本当に嬉しそうに笑った。

「…私が強くなっていくのも見て貰う為に、来年も再来年もまた向日葵を一緒に見ましょう。ってお店の人にひまわりの種を貰って植えたんですよねぇ」
総司は向日葵を見上げ、ぼんやりと呟いた。
「だってそうでも言わなきゃ、先生、『武士なんですからいつ死んでもおかしくないし、そこまで神谷さんの成長を見届けられればいいですねぇ』なんて暢気に言うんですもん!」
隣に立つセイは頬を膨らませる。
「それはだって当然でしょう?」
「そうですけど!言っておきますけど、沖田先生を先に死なせませんからね!もしもの時は私が先生を守って先に死ぬんですから!」
「すっかり頼もしくなりました」
総司は隣で決意表明をする愛弟子に目を向け、細める。
「まだまだ未熟者ですけど!沖田先生が太陽で、私はこの向日葵なんです!いつか絶対追いついてやりますから!」
そう言って、セイは向日葵に沿うように己の手を天に伸ばした。
「私が太陽ですか…」
総司は呟きながら、そして苦笑する。
セイが成長するその間、総司の中にも様々な変化があった。
彼女への感情の変化はその中で一番大きいものと言えよう。
傍にいるだけで、自分にこんなにも力をくれる。
今だって、そう。
「寧ろ私が向日葵で、神谷さんが太陽だと思いますけどねぇ…」
小さく呟く。
「え?何か言いました?沖田先生」
「いいえ」
総司は何も無かったようにセイににっこりと笑い返す。

「向日葵は太陽が無いと枯れて死んじゃうんですよって言ったんですよ」

燦々と太陽の光を受けた向日葵が、今年も背を伸ばす。
いつかに憧れに届く日まで――。

2012.05.07