14.着物越しの温もり8

ぱしゃん。
清涼な水音が屯所内に響き渡る。
午前の稽古を終えた一番隊隊士は、其々疲れを癒していた。
セイは水で濡れた顔を拭くと、彼女が今求める人物を探す。
その人は彼女と同じ様に井戸で顔を洗い、稽古で火照った顔を冷やしていた。
「沖田先生!この後お時間ありますか!?」
「はい。大丈夫ですよ」
「甘味屋へ行きませんか?久し振りに餡蜜が食べたいです」
笑って言うセイに笑みを零し、総司は「ええ」と短く答えた。

セイが稽古着を着替え、門を出ると、総司は既に着替えが終わっており、にこにこを笑みを浮かべながら待っていた。
「久し振りですねぇ。神谷さんと出歩くの」
「そうですね。謹慎していましたし」
「その前からずっと行ってないですよ」
さらりと答えるセイに、総司は少しむっとして頬を膨らまし、そっぽを向く。
「え?」
「だって、あなた一人で甘味屋へ行っていたでしょう?」
「あ?ああ。そうですね。・・・だから行ってないような気がしないんだ。先生ともうどの位行ってないですっけ?」
「知りません。だからーーーー」
益々眉間に皺を寄せ、頬を膨らませた総司はセイの手を掴むと、ずかずかと歩き始める。
「今日は飽きるまで付き合って貰いますよ!」
セイに背中を見せ、むきになって言う総司の姿が余りにも可愛らしく見えて、セイは思わず噴き出してしまう。
「先生子どもみたーい」
「なっ!失礼ですね!あなたよりずっと年上の大人に向かって!」
また怒りを増し、自分を怒る姿が可愛らしくて。そうやって色んな感情を剥き出しにしてぶつかってくる事が、まるで甘えられているようで。セイは嬉しいような、胸の奥がむずむずするような不思議な感覚に照れてしまう。
頬を赤く染めるセイを見て、何を思うのか、総司はふいと顔を背けると、ぎゅっと彼女の手を己の手の中に握り込む。
「あの人は・・・どうしたんですか?」
「はい?」
唐突な問い掛けに、セイは首を傾げる。しかし背を向けたままの彼の表情を伺う事は出来ない。
「神谷さんの大好きな人ですよ」
私の大好きな人は・・・沖田先生なんですけど?
セイは益々首を傾げるが、彼が何を言いたいのかは、彼の空気から伝わってきて、彼女は苦笑する。
「あの人は何処かへまた行っちゃいました」
セイの言葉に総司は顔を向けた。
「良いんですか?」
何故『良いのか』と問うのか、セイには分からない。
「良いも何も。だって彼は旅人ですから。いつかまた旅に出るだけの人ですから」
彼は数日前、宿泊していた座敷から姿を消した。彼女が連れてきた子どもを連れて。
セイには別れを告げず、行ったらいなかった。それだけだった。
けれど彼女はそれを薄情だとか、非難する気持ちは無かった。
「だって、あなたあの人の事が好きだったんでしょう?」
それは明らかにセイが彼に恋慕の情を抱いていたのだと信じている言葉。
総司はセイをそういう風に見ていたのだ。
ずきりと胸が痛む。
「好きですよ」
「だったら」
「人間として好きでした。私の今まで知らない世界を一杯持っていて、色んな事を知っていて、彼の色んな話を聞くのが大好きだったんです」
「・・・」
「だから、彼が突然消えても不思議とは思いませんでしたし、寂しさも悲しさもありません。彼は旅人だから。、また旅をして、いつか、ふと。何処かで会えたら良いな。そんな風に思えるんです。そんな人ですから」
総司は呆然として、語り続けるセイを見詰めていたが、ふと、疑問が言葉となる。
「あの人は・・・神谷さんが女子だと気付いていたのでしょうか?」
「さぁ。分かりません。語った事は無いです。でも気付いているかも知れません」
「それでもあなたは・・・っ!」
『良いんですか』と問いかけようとする総司の言葉を遮り、セイは続ける。
「でもそれは彼にとっては大した事じゃないんだと思います。『私に似合うから』あの着物をくれたんですから」
袖を通す事は無いだろう。彼女は女子である事を捨てたのだから。けれど彼女を思って贈られたそれは、彼女の行李の中に大切に保管されている。
「彼は知っていたとしても誰にも言わないし、疑ったとしても追求はしませんよ。そういう人ですから」
「神谷さんはあの人の事よく分かってるんですね・・・」
何処か寂しげに呟く言葉に、セイは総司の顔を見上げるが、彼はまたそっぽを向いていて、表情を伺う事が出来ない。
「先生」
軽く声を掛けてみるが返答は無い。
「彼がどんな人柄で、気持ちが分かったとしても、私が信じているのは先生です」
総司はぴくりと眉毛を振るわせる。
「私が居る場所はここです。自分で選んだ道です。ここで先生を信じて、この地で生きていくって決めているんです。だから何処にも行きません」
セイの言葉に総司はゆっくりと振り返ると、頬を染め、じっと瞳を見詰めてくる彼女が可愛らしくて、嬉しくて、笑みを浮かべる。
「神谷さん?」
「はい」
にこにこと、いつもの笑みを取り戻した総司をセイは不思議そうに見上げる。
がしがしがし。
突然彼の手が彼女の頬に触れたかと思うと、今にも摩擦で発火するのでは無いかと言う程の速さで、彼女の頬を着物で擦った。
「痛たたたたたたっ!?」
擦れて真っ赤になったセイの頬を見詰めると、総司は満足気に頷いた。
「よし!」
「よしじゃないですっ!何ですか!?いきなり!痛~~~っ」
セイは片手で頬を抑えるが、頬を抑える反対側の手、総司が今も握り締めている手をもう一度握り直すと、彼は勢い良く歩き出す。
「今日はもう私が満足して動けなくなるくらい付き合ってもらいますからねー!」
「えぇぇぇぇぇっ!?」
突然の総司の予測のつかない行動に振り回されるままのセイは、それでも久し振りに総司と二人でいる幸せを感じながら、彼の後を付いて行く。

今、この時も。
物語を創っているのだろうか。
創るという事は良く分からない。
けれど、この一時を大切にしたいと願う。
そうしていつかまた。
旅をして、土産話を一杯携えた彼に出会うのも良いだろう。

あの日。
茶屋で出会った。
彼の名はーーーーーー。

2005.11.20