色鮮やかな着物が目の前を舞う。
幾重にも重ねられた着物に、セイは暫し呆然とその光景に見惚れていた。
「女物の着物が好きなんですか?」
後ろから声を掛けられ、セイはびくりと肩を震わせると、声を掛けた主を見上げ、ふるふると大きく首を横に振った。
「好きじゃありません!私は武士ですから!興味なんて全くありません!」
葛きり屋を出て。セイは彼と二人でふらふらと散歩に出ていた。彼がこの町の色んなものを見たいと言うから、様々な場所をのんびりとお喋りをしながら歩いていた。
その途中、ふと呉服屋に目が留まり、鮮やかな、自然では無い染色独特の色使いにセイは目を奪われていた。
じっと立ち止まって、見惚れていたくせに、首を振り、頻りに興味が無いと言うセイに説得力は無い。行動と言動の相違に彼は思わず噴き出してしまう。
「貴方も着れば、さぞ綺麗でしょうに」
呟く台詞にセイはかぁっと頬を染めると、むきになって反論する。
「私は武士です!女物の着物なんて着ません!似合うはずもないんです!」
「はいはい。ではそういう事にしておきましょう。まあ。要はその人が似合う服を着れば良いと思うんですけどね」
セイは意味が分からず、首を傾げる。
「男が女物似合ったって、男物が似合ったって良いんです。それがその人らしさなんですから。武士は武士の格好、八百屋は八百屋の格好。それだけでその人らしさを表しているように、似合って、好んで着るなら、それはその人らしさですよ」
「でも武士が女装なんて・・・」
「好きなら良いんじゃないですか?まあ、私の意見であって、皆が皆そうでは無いですけど。この世界には男性が女性物を普通に着る国だってあるんですよ。裸のまま過ごす国だって」
「え!?」
「でも、私は貴方の女装姿も見てみたいですけどねぇ」
「ええっ!?」
セイは何も言えずに口をぱくぱくさせた。
「・・と、口説き文句を言ったところで、乗り気になりました?」
「えええええっ!?」
余りにも大げさに驚き、その場に立ち尽くすセイに彼は笑わずにはいられず、その場で声を上げて笑った。
「本当に可愛いなぁ。神谷さん、よく言われませんか?」
「言われません!」
意地になって答えるセイがまた可愛らしくて、彼は微笑んだ。
「だから旅は良いんです」
笑っていた顔が、突然何処か憂いを含む表情に変わり、ぽつりと呟く彼にセイは首を傾げる。
「その土地の独特の食べ物を一杯食べて、空気を一杯吸って、習慣に驚いて、そんな事を楽しんでいるんですけど、やはり人と出会うのが一番楽しい。貴方のような人に出会える」
「?」
セイには難しく、理解し難い感情である。
生まれは江戸だが、ずっと江戸で暮らしていて、そして父の事情で京に移ってきた。確かにそれを旅と言うのなら旅と言うのかも知れないが、彼女にはそれまでの日々は目まぐるしく移り変わる日々と認識されるだけであって、そこに感慨は無い。
幼馴染や小さい頃からの知り合いがいて、ずっとその土地で暮らすと言う事が当然である風習の中で生きてきた彼女には、その言葉は想像の付かないものだった。
首を捻り続ける彼女に、彼は笑って言う。
「この世には物語を創る人間と、綴る人間がいるんですよ」
「物語を創る?」
「そう。無意識の人もいれば意識的にの人もいるでしょう。その人が生きる道、進む道を選ぶ事で歴史が動く。私がこの間話した人みたいにね。その人の行動一つで世界は変わるんです」
「・・・そんな事出来る人いるんですか?」
信じられない表情でセイが問いかけると、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて逆に問いかけた。
「貴方は違うんですか?」
「私!?」
そんなはずが無いと紡ごうとする口元に、制するように彼は己の指を当て、続ける。
「私はそんな人たちの歴史を文章にして、想いを形にして、残して行きたいと思うんです。誰かの物語を書き綴る。そしてその時確かにあったその人の想いを誰かに伝えていく。それって素晴らしい事ですよね」
「そうして貴方は旅を続けるんですね」
そう語る彼の表情がとても幸せそうで。
セイは旅を続ける彼の気持ちが少しだけ分かった気がした。
夕刻、まだ夕餉までは幾許か余裕のある時間、セイは溜めていた細々とした仕事を終わらせる為に、いつもより早めに帰路に着いた。
「それでは。また」
笑う彼にセイは一瞬、「何時までいるんですか?」と問い掛けそうになる。しかしそれは彼に言う台詞では無いような気がして、口を噤んだ。
声に発してしまえば、彼が明日にでも消えてしまうような気がしたからだ。
「また来ます」
それだけを言って別れた。
セイはゆっくりとした歩みで屯所への道を登る。屯所に近づくに連れて、門の前に門番の他に人が立っている事に気が付いた。
それは彼女がいつも見る、追う人影。総司だという事に気が付くと、彼女は慌てて門まで走り寄っていった。
「どうしたんですか?先生」
総司は何処か不機嫌らしく、表情一つ変えない面を彼女に見せると、彼女の細い手首を掴み、そのまま有無を言わせず引き摺っていく。
「先生!?」
「神谷さん!貴方は暫くの間屯所から出る事を禁じます」
抗議の声を上げようとしたセイの言葉を遮って、総司は無表情のまま彼女を振り返ると、それだけを告げる。
「・・・何ですって・・・?」
「屯所から出る事を許しません」
「理由を教えて下さい!」
彼の表情を見れば、彼が命令を受けて彼女にこんな指示を出している事は読み取れる。しかし、セイの感情はそう簡単に納得してくれない。
そんな彼女に侮蔑の目を向け、端的に答えた。
「貴方が知る必要はありません」
「なっ!私だって知る理由くらいあります!私が当人なんですよ!理由を教えて頂けないのに、屯所に出る事を禁じるだなんで納得出来ません!」
「貴方は武士でしょう」
「!」
「上の命令には従う事が貴方の役目。それが嫌なら直ぐに武士を辞めなさい」
それだけを言い放つと、総司は掴んでいた手を離し、セイを見ずにその場を去っていった。
掴まれた手が、じんと痛かった。