13.不器用な想い5

赤い月が登り、太陽に代わって赤く染めようと言うのか、深い藍色の闇の中でぽつりと一つ天の中で輝いている頃。
セイは闇に閉ざされた廊下を歩いていた。
隣は松本の部屋で障子からぼんやりと蜀台の光が零れている。
彼女はその部屋を通り過ぎ、更に奥にある一室へ向かった。
中にいるはずの人間は既に眠っているのか、明かりが漏れてくる事は無い。
セイは部屋の前で障子の戸に手を掛け、少し戸惑ったが、やがて意を決して開けた。
「起きているか。中村」
中には一組の布団が敷かれ、そこで眠っていた黒い影がもぞりと動いた。
「…ああ」
腹部に厚めの包帯を巻き、着流しを肩から掛けるようにして羽織るだけだった彼は、床に付いた時に肌蹴た着物を羽織り直す。
「…局長は…?」
中村が恐る恐る問いかけると、セイは彼の強張る表情の奥にある不安を取り除くように柔らかな笑みを浮かべる。
「向こう傷だし、相手は全員仕留めたからお咎めは無しだ。ゆっくり安静にして早く傷を治せだって」
軽く弾むような声に、中村はずっと緊張し続けていたのだろう一気に全身の力が抜けるのが見て取れ、どっと汗を零し、長い安堵の息を零す。
「よかったぁ…」
彼らは浪士に襲われた。
相手を捕縛、もしくは斬るのは当然の事。
どんな状況でも相対して、斬り合うのが新選組。敵を前にして背を見せる事はありえない。
襲われた時、背を見せる事は無かったが、敵の一太刀を浴びてしまった。結果傷を負った。
局長の判断は、自分たちの行動をどう取るか。
同志として労ってくれるのか、切腹を言い渡されるのか。
中村が傷を負ったその瞬間から、二人の中ではとてつもない緊張感が走っていた。
セイとて、いつも鬱陶しいと思っている奴だからといって、死ぬことまで望んでいない。だからありのまま話し、近藤の返答を聞いた時は、中村同様安堵の息を漏らしていた。
「包帯を取り替えるぞ」
セイが言って、中村の着流し手を掛けると、中村は少し頬を染めながらも「ありがとう」と小さく呟いた。
彼が余りにも素直に礼を言うものだから、セイもつられて赤くなる。
「気にするなって」
セイが慣れた手つきで包帯を外し、縫い合わせた傷から未だに止まることの無い出血が包帯を赤く染め、乾き始めた血は肌に包帯を張り付かせべりべりと紙を破くような音と共に剥がされていく。
中村が苦痛に顔を顰めるが、セイは敢えて見ない振りをして、てきぱきと処置を済ませていく。
「…慣れた手つきだなぁ…」
「昔からやりなれているから」
中村の呟きにセイは素っ気無く答える。
「…父上が医者だったっけ?」
「…まあね…」
中村は少し考え込み、セイの包帯を巻いていく姿をじっと見つめ続ける。彼女は血で染まった包帯を剥がしきると、消毒をし、薬を塗ると、新しい包帯を再度彼の体に巻きつけていった。
女子のような細い腕が、適度な締め付けで巻きつけられ、止血されていく。痛みは未だ彼の中で疼いていたが、彼女が手際良く処置をしていく事で、余計な痛みを感じる事無く、時折肌に触れる手の温もりが痛みさえも吸い取ってくれるような感覚を与えた。
真剣に包帯を巻いて手当てをしてくれる彼女の姿に、中村は暫し見惚れていた。
「何?」
注がれる視線をいぶかしむようにセイは彼を見上げると、首を傾げる。
「あ、いやっ。…やっぱり神谷綺麗だなと思ってって…だから怒るなって!男とか女とかじゃなくて単純に綺麗だなって思ったんだって!」
包帯を巻きつける手を止め、腕を振り上げるセイを制して、中村は慌てて言い訳をする。
「…武士が綺麗だと言われて嬉しいはずないだろう!」
「だよな…」
強く言い返され中村は「たはは」と力なく笑って見せるが、ふと真顔に戻ると、再度セイを無上げる。
「俺もすぐに治すから。---すまない。一人でやらせてしまって」
セイは目を細め、中村を通して何処か遠くを見るように一瞬虚ろな瞳を見せるが、すぐに笑みを取り戻すと、「気にするな。早く治せよ」と明るく答えてみせた。
彼女はそのまま再度中村を横にさせると、静かに戸を開け、外に出る。出たすぐ目の前に松本が立っており、驚きに後退った。
「松本先生」
セイが驚くのを分っていたのか、「まぁ、来いや」と、彼は戸の向こうで眠る中村を気遣っているのだろう小声で囁くと、己の部屋へ彼女を通した。
部屋に入ると、既に先程まで声のしていた南部の姿はそこに無く、セイに座る事を勧める様に、対面する形で座布団が二枚敷かれていた。
促されるままに座ると、松本から茶の入った湯飲みを差し出される。
「ありがとうござます」と、礼を言って受け取ると、セイはそれを口に含んだ。
「それで…どうだ?」
同じ様に手に湯のみ--に酒を注ぎながら、セイの前に座すと尋ねた。
「中村は後二、三日もしたら動けるようになると思います。…申し訳ありませんでした。突然押しかけて」
「気にするな。俺たち医者は怪我を負っている奴がいれば助けたくなるのが性分なのさ」
申し訳無さそうに俯くセイに、松本は軽く笑う。
「ところで、お前が自分から沖田から離れて行動するなんて珍しいな」
今までの話とはがらりと変わる無いように、松本は初めからこの話を聞きたかったのだと、セイは気付いた。上げられた名に、自然と彼女の体はぴくりと震えた。
「隊命ですから」
「それにしてもお前は沖田を守る為に新選組にいるだろう。奴の盾になる覚悟で。だったら片時も離れがたいと思うんだが。今回、お前は少しも不安になる様子を見せないな。逆に落ち着きさえ見せてる気もするんだが、気のせいか?」
さらりとかわすセイの言葉を物ともせず、松本はずばりと率直に疑問を突いてくる。セイは他人から見てもそう見えるのかと、改めて自分の行動を自覚させられ、胸にちくりと痛みを覚えた。
「…今は離れるべきだと思ったんです」
苦々しく彼女は口を開く。
「沖田先生から離れて、もっと強くならなくてはと思ったんです」
「何かあったのか?」
「…最近前にも増して己の不甲斐無さが許せないんです」
俯いたまま唇を噛む少女を松本は見つめる。
「まだまだ腕が未熟なのは分かっています。それでも最近少しは沖田先生をお守りできるようになってきたと思っていたのに…それは驕りでしかなかったんです。この間の巡察の時浪士に出会って、斬り合いになりました。私が一人と戦っている時、突然先生、私を背に庇うようにして前に立ったんです。確かに私も入隊した当初は情けないけれど仕方が無い、いつかは前に立つんだと思っていました。それでも最近は信頼してもらえるようになってきたのか背を預けてくれる事も多くあったのに。突然また私の前に先生の背中があるようになったんです。挙句の果てに、この間死番になった時、敵を発見した私をいきなり後方に退いたかと思ったら、私を庇うように戦うんです」
語り始めるセイは、袴をぎゅっと握り締めると、震えだし、涙をぽろぽろと零し始めた。
「あとちょっとの所で、本当に---本当に先生が斬られるかと思いました、。死番なんですから私が斬られても構わないんです。それなのに…」
その時の事を思い出しているのだろう。苦しそうに呻くセイを、松本は逆に驚いた表情で彼女を見返していた。
「沖田がお前を庇うだって?」
こくりとセイは頷く。
「己の背に庇い、守るって?」
悔しいのか、セイは返事の変わりに、「うー」と小さく呻き声を出す。
「なーるほどねぇ…」
「今日だって、私が極秘に命を受けているのが、信用されていないのか、ずっと内容は何だと聞いてくるんです。…どうして笑っているんですか!人がこんなに悩んでるのに!」
辛そうに語るセイを余所に、松本はニヤニヤとそれほど満足なのか、満面の笑みを浮かべていた。
「いんや…。何でもねぇよ。取り敢えずは事が落ち着くまで、のんびりとしていることだな。このまましていることだな。このまま助手にしてやってもいいぞ」
「馬鹿な事言わないで下さい!この任務が終わったら戻るんです!」
「いやなんの。今日のお前さんのあしらい方は中々のもんだったぞ」
松本が一瞬何の事を言っているのか分らなかったが、先刻の老人とのやりとりの事を言っているのだという事に気がつくと、セイは自嘲するように笑う。
「だって巻き込まれたんですから。あのくらい言われて当然ですよ」
未熟で己の身を守る事が精一杯な自分を恥じ、セイは俯く。
「もっと…もっと強くなりたい」
何度目の決意だろうか。握り拳をぐっと作り、力を込めると、セイは顔を上げ、対峙する弱い自分を睨み付けた。