13.不器用な想い14

ピーヒョロロロロロー。
鷹が遠くで鳴いている。
総司はぼんやりと空を見上げながらまどろんでいた。
穏やかな陽気に彼が自然と襲う睡魔に身を任せる。
その日は珍しく心が落ち着いていた。
最近はセイが不在で隣がぽっかりと空いたような気分でいたのに、今は何故か満たされた心地で一杯だった。
彼女が一人、目付け役の自分から離れる事で彼女が何処で何をしているのか、苛々が募る自分もいつの間にか昇華されていた。
先日の騒動の後、セイと別れてから、彼は何処か満たされ続けていた。
焦燥感にも似た苛立ちの跡にきたのは充足感。そして彼女が無事任務を遂げ、戻って来る事を期待する心。
『先生の元へ必ず帰ります』
己の元へ帰ってきてくれると言ってくれた。
帰る場所は自分だと言ってくれた。
彼女のそう告げる表情と紡ぐ唇、声を思い出すだけで高揚感が高まる自分に、総司は満たされる。
とくんとくんと無駄に高鳴る心臓に自然と頬も赤く染まった。
「ただ今帰りました!」
明るく、そしてこの男だらけの新選組の屯所では少し高い声が入り口から響く。
その声に反応するように総司は飛び起きると、一目散に声の主の元へ向かった。
彼が入り口に辿り着くと、既に隊士たちが数人声の主を囲み、労いの声を掛けていた。
「神谷さん!」
総司もいてもたってもいられなくなり、声の主の元へ駆け寄ると、自分の体にすっぽりと収まる小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「おっ…沖田先生っ!?」
突然の抱擁に頬を染め動揺するセイの声も、周りから起こるどよめきも彼の耳には入らなかった。
「おかえりなさい。神谷さん」
感極まり、何処からどう声を出しているのか自分でも分からないまま、総司は触れた場所から伝わる温かい温もりに甘い痛みが胸を走る。
ただ、ただ、その甘さをもっと感じたくて、彼女の背に回す腕に力が篭る。
「おらっ!総司っ!いつまで神谷に抱きついてる!さっさと隣のそれも連れて部屋に来い!」
土方の怒声が屯所中に響く。
掛けられる声に放したくないと拒絶する体を抑えながら、セイを腕の中から開放すると、総司はかぁっと頬を赤く染めた。
やっと自分が今した行動に気が付いたからだ。
無我夢中で体が勝手に動いてしまったが、彼は、セイをこれでもかお言うほど抱き締めていた。
しかも公衆の面前で。
顔を赤くする総司の前で、セイも頬を染めながら頻りに呼吸を繰り返す。こちらは単に強く抱き締められ、息が出来なかっただけなのだが。
互いに頬を染めて見詰め合う。この状態に総司は心を震わすと、また熱が上昇しそうな己を抑えながら、土方の指示に従おうと彼の言葉を思い出す。
セイを連れて行くのは勿論。その隣とは?
総司が視線をセイからはずすと、憮然として彼女の隣に立つ、中村吾郎。
「やっと気付いてくれましたか。沖田先生」
彼はこれ見よがしに大きな溜息を吐く。
「す…すみません」
神谷さんしか見てませんでしたとは、流石に言えず、総司は小さく身を縮めた。
「いいですけど。別に。ほら、神谷、行くぞ」
そう言うと、中村はセイの手を掴み、歩き出す。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「何ですか!」
「っ…と、そう、二人を連れて来いと言われたんです!私も行きます!」
「連れて来いでしょう?自分ら二人で行きますから平気です」
「駄目!…駄目です!土方さんとの約束は守らなきゃ駄目なんです!」
総司は言うと、ずいっと二人の間にわざと割って入ると、中村とセイの繋いでいた手を離し、自分が代わりにセイの手を握る。
セイはと言うと、子ども染みた二人のやり取りにぽかんと呆けていた。
「…俺はどうでもいいんだがな…」
土方は柱に凭れ掛けながら、低い声で呟いた。
総司と中村が歩きながらも互いに一歩も譲らず、互いの自己主張を続けながらどうにか近藤の部屋まで辿り着く。
「おかえり。神谷君。中村君」
中に入ると、既に近藤は上座に座し、笑みを浮かべると二人に労いの言葉を掛けた。
「ただ今戻りました」
二人は声を揃えて答えると、微笑んだ近藤に習うように、その場に座った。
座った二人の横で総司は立ち尽くしたまま、戸を閉める土方を困惑している表情で見上げる。
「何だ?出て行きたかったら出てってもいいんだぞ」
「!」
ニヤニヤとからかうような土方の視線に、総司は眉間に皺を寄せるが、迷い犬のごとくふらふらと所在無さ気に目を泳がせる。
「総司も座りなさい。席を外す必要は無いから」
それを見かね、苦笑した近藤は彼にも部屋に留まる事を促した。
近藤の言葉に総司はぱぁっと表情を明るくすると、セイを挟んで中村と反対側に二人に倣って正座する。
「ご苦労だった。例の男は奉行所で今も尋問中だ。背後関係は追々分かるだろう。今回の非道が新選組の行いでない事もいずれ触れが出るはずだ」
「ありがとうございます」
中村とセイは深く頭を垂れる。
「それで、その後の守備はどうだい?ある程度は監察から聞いてはいるが」
近藤の問いに頭を下げていた二人は、顔を上げ、互いに相談するように目を合わせる。
旨く言葉が見つからないのか眉間に皺を寄せる中村に、セイは先行して話し始めた。
「結果的に言えば、五分五分になっていればというのが希望です」
彼女の言葉の際を促すように、近藤は小さく頷く。
「結局私たちは何処までいっても壬生狼であることには変わりありませんから。けれど少なくとも今回の件は新選組が行った事ではない事をお触れが出る前に、以前初めて私たちが巻き込まれた修羅場の現場にいた方たちが証明してくださいました。未だに好印象を持って頂いてはいませんが、それでも中には手当ての手伝いをする事で隊の中にも私たちのような者もいるのだと信頼を頂けた部分もあります」
「我々が彼らに出来ることはそれくらいだからな」
近藤は苦々しく呟き、土方は頷く。
「松本法眼も本来のお役目がありますので、近くの町医者に患者の引継ぎを行った後、一度家を閉じるそうです」
報告を終えると、セイはそのまま閉口し、近藤の指示を待った。
近藤自身は何を思うのか、重い空気を纏ったまま、暫し目を閉じ、無言でいると、再度再び瞼を開き、目の前にいる中村とセイを見た。
「松本法眼にもご迷惑を掛けてしまった。落ち着いたら日を見て一度お伺いしよう。二人は本日、明日は非番。暫し体を休めてくれ。明後日から中村君は十番隊、神谷君は一番隊に復帰してくれ」
『はい!』
声を揃えて返事を返す中村とセイの横で総司が嬉しそうに笑みを浮かべている姿に、近藤と土方は互いに目を合わせると、くすりと笑ってしまった。