あの人なら。
きっとあの人ならどうにかしてくれる。
セイは漠然としながらも、確固たる自信があった。
もう何日も会っていない彼だが。彼がもし、まだ、あの店にいるのなら。
きっと自分よりこの子の救いになってくれるはず。
セイは周囲のものに目をくれず、飛散した血、籠手まで浴びた返り血、着物が黒く染まり、町の者が見る度に悲鳴を上げているのも耳に入らぬまま、走っていた。
いつもの昼下がり。
彼は日陰と、涼を求め、ある一室に入る。
そして空を仰ぎ、遠く、遥か遠くに想いを馳せる。
彼は旅人だから。どんなに懐かしい場所でも、住み慣れた場所でも、想いを馳せるのは空の向こう。
彼になら。
きっと。
とある座敷に入ると、店の主人に断りも入れないまま、真っ直ぐ二階へ登り、迷う事無く、一室の前にたどり着く。そして、一呼吸を置くと、躊躇無くその部屋とを遮る襖を開いた。
「やぁ。お久し振りです」
そこには数日前と何ら変わらず、髪と筆を手に、穏やかな笑みを浮かべる彼がいた。
彼の変わらぬ姿に、セイは思わず涙ぐんでしまう。
彼は変わる事が無いだろう。どんな嵐に飲まれても、どんな濁流に飲まれても。
変わらず、そして、流れてゆく。
セイは彼に近付くと、己の腕の中で、彼女の行動に驚かされ、すっかり大人しくなった子どもを差し出した。
「・・・事情は話せませんが・・・。この子の親はもういません。とても傷ついています。でも私にはこの子を安心させるだけの、傷つけない為の方法も手段も持っていません・・・。助けて上げて下さい」
セイはぽろぽろと涙を零しながら、必死に言葉を紡ぎ出し、訴える。
彼女も兄と父を亡くした。
己の目の前で殺された時の衝撃。そのしこりと恨み。
押し入った自分が言うのは傲慢なのかもしれないが、この子どもにはそんな想いは持たせたくなかった。
彼女には総司という救いがいてくれた。ではこの子は?
同じ想いをさせたくない一心で、セイは彼を見据えた。
彼はじっと彼女の真摯な眼差しを見詰めると、ふと笑みを浮かべる。
そして彼女の手の中で抱き締められた子どもに手を伸ばすと、セイの知らない音、言葉を二、三言発した。子どもは彼の言葉に敏感に反応すると、ばっと顔を上げ、涙を零すと、泣きじゃくりながら彼に必死に何かを語りかける。恐らくは今までの経緯でも語っているのだろうか。
その子どもの体は小刻みに震え続けはしていたけれども、セイの着物の裾を掴み、放そうとしなかった。
彼は子どもが一生懸命語る言葉に頷き、そうして言葉を返す。そうしてやり取りを続けていると、彼はセイを覗き込んだ時と同じ様に、子どもの瞳をじっと覗き込んだ。
そうして対峙する事、数秒後、彼はやはり笑みを浮かべると、静かに立ち上がった。
「?」
セイは彼の行動をじっと見詰めていると、彼は窓の近くに置いてあった木箱を空け、中から染色された生地を取り出すと、また彼女の元へ戻り、広げた。
ふわり。
広げられた生地は宙を舞い、そして、セイの頭上から舞い降りて、被せられる。
「え・・・?」
セイは戸惑いながらも、己に被せられた生地を見上げる。
「今度会える時に渡そうと思っていたんです。ーーーーーやっぱり良く似合う」
それは白い寒桜の刺繍をあしらった、淡く桜色に染められた着物だった。
「こ・・・これ。女物・・・」
「貴方に似合うと思ったんですよ。渡せる機会があって良かった」
セイの必死の抗議も受け付けず、彼は穏やかに嬉しそうに笑ってみせる。そして、彼女の腕の中から子どもを救い上げると、己の腕の中へ納めた。
「この子は私が預かりましょう」
「えっ。・・・でも」
セイは彼の突然の行動と、申し出に戸惑いを見せるが、彼はただ嬉しそうに笑うばかり。
子どもは戸惑ったように、己を膝に乗せる彼を見上げ、何かを呟くが、彼がそれに答えると、子どもは腰を浮かし、セイに手を伸ばす。
戸惑ったままの彼女はその子どもに応えるように、己の身を寄せると、子どもは嬉しそうに笑う。
引っ掻き傷に子どもは眉間に皺を寄せると、己が付けた傷を優しく擦る。
「大丈夫だよ!これくらい全然平気だから!」
引っ掻き傷を付けた事を悔やんでいるのだろう涙を湛える子どもに、セイは笑い返す。
きっとそれで、分かってくれると信じて。
子どもは彼女の笑みに、安心したのか、笑みを返すと、彼女の頬に軽く接吻をした。
「!?」
その行動にセイは思わず硬直してしまう。
「頬の接吻は親愛の情。貴方の行動は、想いは、ちゃんとこの子に届いています」
必死になって自分を宥めてくれた想い。
辛い、悲しい気持ちを、抱き締める事で包み込んでくれた暖かい想い。
子どもはセイの反応が面白かったのか、声を上げて笑った。
それが嬉しくてセイも笑った。
「この世界には物語を創る人間と、綴る人間がいます」
いつか聞いたその言葉に、セイは息を飲む。
「貴方は物語を創る人間ですよ」
彼はいつもの澄み切った瞳で、爽やかに告げた。
「何時か。何処かで。今も。貴方は物語を創る。そして、この子にも物語を語る術を与えた」
とくん。
小さく高鳴る鼓動。
それは予感。
セイは胸に感じたものを打ち消そうとしてーーーそのまま受け止めた。
「そして。貴方も」
そう言って、彼はセイから視線を上げ、見上げる先。
総司は、彼をじっと見据えていた。