目的地は鴨川沿いにある小さな食事処だった。
その日召集されたのは一番隊と三番隊で、先に配置に付いていた三番隊に送れて、一番隊も合流した。
セイは食事処の前で合流する隊士たちの姿を見渡し、彼らから放たれる士気に懐かしさを覚えた。
帰ってきた。
これから討ち入りだというのに不謹慎だと思いながらも、喜びに震える心に、自然と目に涙が溜まっていた。
「行きますよ」
総司が先頭から声を掛ける。
「はい!」
セイは大きく頷き、腰に差す大小をしっかりと差し直す。
その彼女をじっと見詰めると、総司はすたすたと彼女に近づいてくる。
「貴方の見つけるべき人を見つけて下さい」
言葉の意味が分からず、大刀から目を離し、セイが顔を上げると、総司は既に他の隊士に指示を出す為に離れていた。
鬨の声が上がる。
食事処に、まるで客のように自然に振舞って入ると同時に、店の和やかな雰囲気は一気にざわめく。
その店にいる者ほぼ全ての人間が一斉に入っていった自分たちを見るのだ。そして視線は彼らの持つ大刀に向けられていく。
最初にその空気を切ったのは総司だった。
店の主人らしき人間の元へ歩み寄ると、にっこりと笑みを浮かべる。
「私は新選組一番隊組長沖田総司と申します」
ざわりと客の空気が変わる。
「静かに!その場を動かないで下さい。もし聞いて頂けないのなら・・・」
総司が言うと同時に座敷に座っていた男が立ち上がり、襲い掛かってきた。
その姿を認めると、総司は透かさず抜刀する。男の体が斬られる音も無いまま、どっと倒れた。
それが合図となる。
食事をし、寛いでいた男たちが一斉に沸き上がる。ある者は逃げ出し、ある者は隊士に向かって襲い掛かってくる。
セイは総司との間に距離を作らぬよう応戦する。
柄を握った瞬間、得も言えぬ馴染みの感覚と、懐かしさを感じ、彼女は小さく苦笑する。
沖田先生を信じ、新選組の隊士として身を置く。それが私。
抜刀する彼女の手に迷いは無かった。
目の前で自分に向け刀を振り上げる男を、彼女の本来持つ身軽さで、刀が振り下ろされる前に、その腕を薙ぎ払う。
刀身から血飛沫が散った。
次々に襲い掛かる男を切り、奥の間へ入っていく総司の後を追う。
その日の総司には勢いがあった。己の道に憚る者を次々と薙ぎ払い奥へと突き進んでいく。その果敢で勇猛な姿に隊士たちから感嘆の息が漏れる。
「今日の沖田先生は気迫が違うな」
「俺たちも追い駆けるぞ!」
彼の気迫に感化され、後を続く隊士たちも果敢に突進していく。
総司を追う道の途中、目の端に何かが物陰に隠れるのが目に留まった。
その姿がふと気になり、セイは隊士の列から抜け、影を追う。
「待て!」
彼女が声を上げると、その影はびくりと脅えたように震える。
怪しさを感じ、セイは駆け寄ると、影は恐る恐る振り返った。
「・・・貴方は・・・」
セイは声を出せず、そのまま絶句する。
隊士たちの討ち入りに備えた格好に比べ、彼はいつもの袴姿。
今のこの事態に、彼の格好は違和感を覚えた。
否、明らかに不自然だった。
敵方や客ならまだしも。
彼は新選組隊士だったはずだからだ。
今日のこの事を、こんなにも大きな捕り物を、知らないはずが無い。
「どうして・・・・」
「貴方が最近茶屋へ行かないから、こんな事になったんですよ」
セイの前にずいと一歩前へ出ると、その新撰組隊士は静かに呟く。
彼は謹慎中のセイの元へ訪れ、彼女が外に出るよう誘った男だった。
「折角巧くいっていたのに」
その言葉の奥にある意味は。
こんな場所に彼が平素の格好をしている事。
隊士たちの目から逃れるように逃げようとしていた事。
彼がセイを茶屋へ行くように誘った事。
彼は二番隊。今頃本来隊士のいるべき場所は屯所であるはずである。
ここにいるはずが無い人間。
総司が彼女に謹慎を言い渡した理由は。
全てが一本に繋がった。
確信した瞬間。
その時、セイは自分でも不思議だった。
そんな気は少しも無いのに。
苛立ちを感じても良い筈なのに。
怒りに任せて良い筈なのに。
-----笑みを浮かべていた。
手に握られたままの柄を握り直す。
「覚悟は良いですか?」
何故問い掛けるのだろう。
答えは決まっているのに。
「・・・・・聞いてくれて有難う」
きっと彼には、自分と重なる部分があったから。
彼はきっとこの言葉を求めているのを知っていたから。
-----数分後。血しぶきを上げ肉塊と化した元は人間の体が床に倒れた。
「神谷さん」
先刻までとは異なった語尾の柔らかい、この声の主が本来持つ優しさを含んだ声が、倒れた隊士を見詰めながら切れた息を整えるセイの背後から聞えてくる。
「脱走及び密告の罪の為、処断致しました」
彼女が言った言葉に返答は無かった。
背後にいた彼は、ただ彼女に近付き、優しく、ぽんと彼女の頭に手を乗せた。
「沖田先生・・・。有難う御座います」
セイはぽろぽろと涙を零した。
彼女は疑われていたのだ。密告者として。
今、床に倒れる名も知らない隊士だった男に利用されていたのだ。
彼女がいつも優しさを与えてくれる彼と会う為に向かっていった茶屋。そこはこの彼のとっても情報を横流しする為の落合場所だったのだ。
きっと観察方から情報が入ったのだろう。そうしてセイは幹部に疑われた。
だから総司は守ってくれた。彼女を屯所の外に出さないようにして。誰にも会わないようにして。彼女には何も知らせず。何一つ情報を与えず。
徒唯一、屯所内では自由に歩けるようにして。
そうして外界から彼女を離す事で、情報が流れるとすれば、それは真の犯人がいるという事なのだ。
もし彼女を利用している犯人がいるとすれば、己の身代わりが外界への接点を絶たれる事によって、手段の失った犯人は、彼女に接触を試みようとするだろう。屯所内には噂が飛び交い事実は一部の者以外には伏せられている、彼女に嫌疑が掛けられている事を気付いていたとしてもそうでなくとも打診する。そう予測されて踊らされていたのだ。
事実、きっとこの隊士は突然のセイの謹慎、そしてそれが何時まで経っても解かれない事に焦れた。彼女を再度茶屋へ行くよう差し向けた。けれどセイは頑なだった。
だから。彼は行動した。
総司は言った。「貴方の見つけるべき人を見つけて下さい」と。
彼女自身の身の潔白を証明する為に、彼女自身の手で、犯人を処断しなくてはならない。
彼は彼女にそう言ったのだ。
この場で見定めたのは彼自身。
総司はセイを信じてくれたのだ。
セイは総司を信じた。
「沖田先生を信じて良かった・・・」
安堵の息と、喜びが声になって漏れる。
「頑張りましたね」
総司はそう言って久し振りに笑顔を見せてくれた。
今回の首謀者を捕らえる為に、隊士たちは店の奥へと入って行き、部屋を一つ一つ隈なく探す。
セイと総司も遅れながらも、彼らの後を追い、そして一つの部屋に辿り着いた。
入った途端鼻を衝く腐臭。その中に微かに混ざる嗅いだ事の無い独特の臭いと甘い香。それが体臭だと気付くには少しの時間を要した。そして香をたいた臭いとは異なる、香水と呼ばれる液体の香りである事は彼らの知識から気付く事は出来なかった。
隊士たちが立つ中で倒れているのは、今まで彼らが見た事の無い黄金に輝く髪色と、明らかに肉付き、骨格の異なる体格の男たち。
総司ら二人が部屋の中に入ると、斉藤はいつもの様に表情一つ変えないまま、男たちの身辺を視診していた。
「この人たちは・・・」
「今回はあちらさんとも手を組んでの事らしいな」
息を飲む総司に斉藤は淡々として答える。
「取敢えず首謀者は殺さずに捕獲したから。後で洗い浚い吐いてもらうか」
そう言って彼は部屋の隅を見遣る。セイも習って彼の視線を追うと、そこには国籍入り乱れて数人が縄で縛られ、大人しく座っていた。
これで一仕事を終えたと、彼らが小さく息を吐くと同時に、彼らの立つ横の障子から大きな音と共に奇声が聞えてくる。
全員が一気に殺気立ち、ばっと振り返ると、襖が勢いよく開かれ、そこから隊士が現れる。
仲間だと見止めると周囲から安堵の息が零れる。が、それと同時にその隊士の手に収まっているものに視線が集まる。
男子用の着物を出鱈目に着合わせた金髪の小さな子どもが彼の腕の中から逃れようと必死に手足を振り回し、彼らにはわからない奇声交じりの言葉のようなものを発していた。
集まる視線に非難の眼差しを感じたのか、その隊士は大きく首を横に振り、その視線に反論する。
「俺、何もしていないですよ!何もしていないですから!母親らしい女が既に事切れていて、女の凭れ掛かっていた押入れの中に隠れていたんですから!」
セイは駆け寄ると、もがくその子どもを己の腕にしっかりと収める。
「怖くないから。何もしないから」
そういって言葉は通じないと分かっていても、セイは脅える子どもをぎゅっと抱き締め、全身を恐怖で震わせながらも必死に抵抗する子どもを抱き留める。
子どもは、伸ばした手を勢いのまま彼女の顔や手を引っ掻かれ、腕に噛み付く。それでもセイは決して子どもを放さず、ただただ抱き締めていた。
周りからその子を話すように声が掛けられるが、彼女は決してそれには応じず、何度も何度も繰り返し「怖くないから」と子どもに優しく話しかけ、抱き締める。
どういった理由でこの国に来たのか。ここにいるのかは分からない。しかし、母親と見知らぬ土地に来て、突然見知らぬ人間が乗り込んできて、この子の母親は殺された。その悲しみは計り知れるものではない。
国が違っても、言葉が違っても、きっとそこに抱く想いは変わらない。
誰がこの子の母親を殺したかは分からないが、囲む隊士たちは皆、敵にしか見えないだろう。
敵に捕らわれ、脅える子ども。
どうしたら今も恐怖に、悲しみに震えるこの子を救えるのか、セイはただ精一杯抱き締める事でしか、癒す方法が浮かばない。
分かっているのだ。すべき事を。この子が望む事を。
けれど。セイには何も浮かばず、顔を掻き毟られ、腕に噛み付かれても、必死でこの子を落ち着かせようと抱き締めた。
己の行動を謝る事は出来ない。
それは自分自身を否定する事になるから。
彼女の誠に反するから。
それでも。
どうすれば。
どうすれば、今この子に救いを与えてやる事が出来るだろうか。
ふと。
セイは顔を上げた。
そして総司を振り返ると、子どもを抱き締めたまま、勢い良く立ち上がる。
「先生!私に少し時間を下さい!」
総司はセイの突然の行動に驚きながらも、「どちらへ?」と問う。しかし、その答えは返らず、セイは既に店を飛び出していた。
「神谷さん!」
叫んでから、総司は未だ指示を待つ隊士と、セイの後姿を交互に見る。そして、結論が出たのか、総司は一拍置くと、口を開いた。
「私は神谷さんを追います!皆さんはここで後処理。指示は斉藤さんから貰って下さい!」
(何故俺が?)
そんな独白が届くはずも無く、一部始終を遠目で見守っていた斉藤は無表情のまま、怒りで額に青筋を作っていた。