彼はいつも茶屋にいる。
同じ時間に、すっかり指定席となった、小路に面する店の入り口にある長椅子の右端。
彼はそこに座って、のんびりと葛きりを食べては、空を見上げる。
そして紙と万年筆を取り出すと、彼は彼の思う事を書き綴るのだ。
「いらっしゃい」
セイは隊務と稽古を終えると、いつも彼に会いにやって来る。いつもこの場所で、のんびりと文章を書き続ける彼の隣にちょこんと座っては、彼の書き綴る姿を見詰める。
普段見た事の無い行動を見るのが楽しいのか、彼を四六時中見詰めては、にこにこと、ただ隣で座っていた。
そうして彼が書くのに一区切り終えると、他愛も無い話をする。主に彼の旅での出来事について語る彼の話がセイはとても好きだった。
「続きを聞きたいです。それで逃亡したその人はどうなったんですか?もう昨日はその事で頭一杯で楽しみで眠れなかったんです」
それは一人の男の話。日本のように藩があり、其々に藩主がいるのでは無く、彼は国の主が唯一一人だけの国に生まれた。その国で彼は主の側近を訳あって殺してしまう。それは主を想うが故、主を想う男は、国の未来を想い主を諌めた側近を殺してしまう。しかしそれは主にとって望まない結果だった。主にとってその側近は何よりもかけがえの無い存在だったのだ。
互いの想いの違いにより、追われる身となってしまった彼。逃亡の途中彼は旅人と出会った。
「逃亡したその人のその後は知りません」
「えっ!?知らないんですか!?」
「あの話はあれで終わりです」
あっけらかんとして答える彼に、セイはぽかんと口を開ける。
逃亡する彼のその後が知りたくて、セイは昨夜布団の中で何度も考えた。
彼は望み行動するなら、どういう行動を起こすか。
主は彼の想いに気づくのか。
それが『知らない』の一言で終わってしまった。
余程衝撃を受けた顔をしていたのだろう、彼は苦笑すると侘びを入れる。
「済みませんが、本当に知らないんです。逃亡していた彼と出会ったのは僅か三日間だったんですから。でも、旅なんてそんなものですし、出会いなんてそんなものです。旅も時の流れも現実には通りすがりにしか過ぎない。物語では無いんですから。始まりも無ければ、終わりを全て知る事は出来ないんです。知るのはその本人のみ。けれどだからこそかも知れません。また何処かで会えるかも知れない。そんな期待を持ったまま旅を続けられるんです。もしかしたら、その人が幸せな生活を今送っていたとしても、悲劇的な最後を迎えたとしても」
セイは納得し難いようで、顔を顰めてみせる。
「冷たい人間ですよね」
そこに少しの自嘲する様子も無く笑って言う彼を見上げ、セイは慌てて手を横に振る。
「違うんです!確かにその通りなんです!私がもし貴方と同じ様に旅をしていたら、考えると、同じ行動を取ると思うんです。それにそう取らざるを得ないと思うんです。確かに旅人だし、本人ではないから、いつか別れは来るし、必ずしも全ての事に結果はついてこないから。それが物語じゃなく、現実って事だから。理屈として納得は出来るんです。出来るんですけど、こう、やっぱりもやもやが残るっていうか・・・」
「すっきりしないんでしょう?」
「はい」
セイが頷くと、彼は晴れやかに笑って見せた。
「それが生きてるって事ですよね」
憂いも無く、喜びも無い、ただ真っ直ぐに前を見詰めている。
そんな軽く言う彼の表情は何処までも爽やかで、セイは魅入られてしまった。
全てを受け止め。全てに流され。そして全てを生きていくものそのものとする。
そんな彼にセイはとても魅かれる。
彼はセイの心に新しい風を吹き込み、刺激する。
それが楽しくて、嬉しくて、彼女は彼に会う事が楽しみだった。
「神谷さん。この後・・・」
総司は稽古後湧き出る汗を、井戸で水に布を浸し、全身を拭いながら、つい今まで隣にいて、同じ様に顔を拭いていたはずのセイを振り返る。
「あれ?」
既にその存在が無かった事に総司はぽかんと呆けてしまった。
最近彼女は彼と一緒に居る事が少ない。時間が空けば直ぐに何処かへ消えてしまうのだ。
それでいて、気がついたら、他の人間の仕事を手伝っている。
元々自由な時間を使って彼女は行動しているのだから、個人の自由で動くのは当然の事なのだが。
「つれないなぁ。最後に一緒に甘味屋に行ったの何時でしたっけ?」
ぼんやりとそんな事を考えていると、周囲で同じ様に休憩を取る隊士たちの声が聞えてくる。
「神谷。今日もまた行くのか」
「最近お気に入りだな」
総司はぴくっと小さく肩を震わせると、くるりと、今セイの事を呟いた隊士を振り返る。
「神谷さんが何処に行っているのか、知ってるんですか?」
総司は彼女がいつも嬉しそうに何処かへ行く姿を知っている。しかし本人に尋ねた事は無い。実際時間が合わず、彼女と話す機会も少なくなってしまっていたから。彼さえ知らなかった事を、この隊士は知っていると言うのだ。彼女が何処へ行って何をしているのかを。胸の中に小さな靄を感じながら、それに触れないようにして、彼は何気無い素振りで問いかける。
「えっ。いや・・・なぁ・・・」
「あっ!えっ。まぁ・・・」
恐らく二人は総司が自分たちの直ぐ傍にいる事に気付いていないで話をしていたんだろう。歯切れの悪い二人の様子に総司はむっとする。
そんな彼の様子の察したのか、二人組みの片割れが言い出しにくそうに話始める。
「その・・・壬生に古くて有名な葛きり屋があるじゃないですか」
「はい。私も大好きでよく行きますよ」
「そこでいつも男と会ってるんですよ」
「はぁっ!?」
余りにも意外な言葉に総司は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
それを二人の隊士は怒りに声を上げたのかと勘違いをし、慌てて言葉を付け加える。
「そんな怪しい空気じゃないですよ!何て言うか、茶飲み友達っていうか、ほのぼのした感じで!」
「そうそうそう!神谷は沖田先生一筋ですから!」
二人の慌てように、総司は何故そこまで慌てる必要があるのだろうかと首を傾げ、自分とセイが念友の仲だと思われている事を思い出して、ああ、と納得する。
そのまま誤解を解くのも面倒で、彼は問いを続けた。
「それでずっと茶屋にいるんですか?」
「そうですね。時間があるとよく行っているみたいで、いつも見掛けます」
「誰なんですか?その人」
「そこまでは・・・。沖田先生と同じくらいの年の頃で、一日中そこにいるようですよ」
「・・・また変な事に巻き込まれてないと良いですけど・・・」
そう呟いて、総司は小さく溜息を吐く。
彼女は好奇心旺盛で、何かと人の事に首を突っ込みたがる。
世話好きとも言えるのだろうが、それが大体大きな厄介事で、その度に総司を冷や冷やさせるのだ。
どうしてあの人は自分の傍で大人しくしてくれないのだろう。
それが彼女の良い所だとは分かっていても、溜息を吐かずにはいられなかった。
「今度様子見に行ってきましょうかね」
過保護だと言われそうだけれども、気になってしまう。
そう呟いた総司の言葉に、彼の独り言をただ黙って見守っていた二人の隊士は過剰な反応を示した。
「えぇっ!?見に行かれるのですか!?」
「はい?」
余りの二人の仰天振りに、総司は首を傾げる。
「大丈夫ですって!心配しなくても!神谷は心変わりしませんって!」
「そうそう!そんな行ったら逆に疑われているのかと思って傷つきますよ!」
「はい?」
彼らの話の内容が見えず、総司は傾けていた首を更に深い角度に傾ける。
「そんな事しなくても神谷は沖田先生が大好きです!」
「なっ何を言ってるんですか~!?」
声を揃えて訴える隊士たちにとてつもない勘違いをされていたのだと気が付くと、総司は真っ赤になって反論する。
要するに悋気を起こしていると思われたのだ。
総司と言う恋人がありながら、他の男と逢引をしているセイ。そこへ乗り込んで行こうとする恋人の図が彼らの頭の中で成り立っていたのだ。
総司自身そんなつもりは全く無いのに。
しかもセイが自分を好きだと他人に断言されても、どう言い返せば良いのか分からない。
セイが好きだけれども。
彼女は武士として今ここにいるのだから。
しかし今の彼らにどう反論をしても、それは照れ隠しにしか聞えないだろう。
「沖田さん」
どう答えれば良いのか、考え倦ねいていた時に、彼らの後ろから声が掛かる。
「あ。斎藤さん」
良い所で現れた斉藤に、総司は助かったとばかりに、彼の元へ駆け寄っていく。
「幹部集合だ」
それだけを言うと、斉藤は総司の目も見ずに踵を返し、足早に局長室へ向かっていってしまう。
「待って下さいよー」
総司は慌ててその後を追った。
斉藤が何処か不機嫌だ。何か悪い事をしただろうかと首を傾げながら。
総司は勿論知らない。彼が今の会話を一部始終聞いていた事を。
そして、二人の隊士同様の印象を総司に抱いていた事を。
(野暮天め)
そう心の中で斉藤は毒づいていた。