セイは久し振りに眺める屯所から見える風景に、懐かしさを感じながら支柱に凭れ掛かっていた。
「神谷」
室内から掛かる声に振り返ると、中村が笑いながら近づいてきた。
「お疲れ様」
労いの言葉にセイは苦笑しながらも、「お前もご苦労様」と答える。
「思わぬ所で大立ち回りしたけど、傷口は広がらなかったか?」
「全然平気だって。神谷が手当てしてくれたから。ありがとうな」
「どう致しまして」
気遣うセイの言葉に中村は答えると、素直に礼を言う。彼のその感情に素直な所は普段は困る事も多いけど一方で結構彼に好感の持てる部分で、少し照れてしまう。
笑う彼女を見つめながら、中村は仄かに頬を染めると、言い出し辛そうに口を動かす。そんな彼の行動を不思議に思いながらセイは見上げる。
「…その…さ。あのさ!任務終わっちまったけど、またこうやって…」
「神谷さーーーん!」
横から突如投げかけられる声に、中村は言い出しかけた言葉を途切れさせ、がっくりと肩を落とした。
「あれ?中村さん?どうしたんですか?こんな所で」
声を掛けた人物。言わずとも知れた沖田総司はいそいそとセイの隣に屈み込むと、彼女を抱え上げる。
「ちょっ!沖田先生っ!?」
予測のつかない総司の行動に、セイは戸惑い、下ろして貰えるように手足をばたつかせてみるが効果も無く、彼本人はといえば、彼女の抵抗を気にも留めず、中村を見て微笑む。
彼が笑顔の奥で何を考えているのかは読み取る事は出来ない。
何か考えているのかもしれないし、何も考えていないのかもしれない。
「沖田先生!俺が先に…!」
組長とは言えども、ここは引く事は出来ない。折角セイとの繋がりも持て、それなりに気心も許してくれるようになったこの機会に、中村としては、今ここで切れるのは惜しい。
「はい?」
総司は笑顔で受け止める。
笑顔で。
もう笑顔で。
全開の笑顔で。
---。
「---申し訳ありませんでした!」
中村は何を見たのか、脅える様にその場に伏せると、頭を床に擦り付ける。
一部始終を見ていても、訳の分からない中村の行動にセイは首を傾げる。
「中村どうしたんだよ」
無邪気に問い掛ける彼女に、内心喜びながらも、中村は悲鳴を上げる。
顔を上げるのも恐ろしく、彼女の問い掛けに答える事も出来ない。それは命がけのようにさえ思えた。
「何でもないそうですよ。神谷さん」
総司はいつもの笑みで、抱えるセイに笑いかける。
「でもっ…」
「それよりお団子屋に行きましょう。もう神谷さんと行けるのずっと待ってたんですから!」
「ずーっと待ってた…」
「はい!だから行きましょう!」
「---。はいっ!」
この時点でセイの頭から中村という文字は呆気無く消えてしまう。
「あ。申し訳ありません。私、部屋に戻って大刀取ってきます!」
「では、お付き合いしましょう」
「その前に降ろして頂けませんか?」
「イヤですー。このまま部屋まで行っちゃいましょうよー」
既に二人の頭の中には、未だ彼らの足元で中村が床に頭をつけている事は記憶から消し去り、彼を置いてその場を離れていった。
中村はと言えば、一人、空しさと命の危機から脱した安心感という複雑な感情を抱えていた。
一番隊の隊士部屋に戻ると、部屋には誰もいなかった。
部屋に戻ったセイは己の物が置いてある場所で屈み込むと、まずは、綺麗に畳まれた着物を取り出し、総司に差し出す。
「あの夜、羽織ありがとうございました」
総司は一瞬首を傾げながらも、「ああ」と己がセイに掛けてやった羽織だという事を思い出し受け取る。それを確認すると、次にセイは置いてあった大刀を手に取った。
準備よし。と思ったところで、彼女の背に重い物が圧し掛かってきた。
「…先生…思いです」
「だって寄りかかってますもーん」
「除けてくださいよ。動けないじゃないですか」
「イヤですー」
背と背を合わせる様に、総司はセイの背に寄りかかっていた。何がそれほど楽しいのか、セイの不満の声にも嬉しそうに返事を返す。
さっきは抱えられ、今度は寄りかかられ、また暫くはこのまま為すがままなのかとセイは小さく溜息を吐いた。
「…ねー。神谷さん」
「はいはい」
「どうしてお手紙無視したんですか?」
「!」
総司の問い掛けはあくまでいつもの口調と変わらなかったが、確実にその中には不満が混ざっているのがセイにも読み取れた。
「確かにお仕事中で不謹慎ではありましたけど、返事くらい返してくれたって…」
その口調は彼女を責めるものではない。確かにセイは総司からの手紙を放置してしまった。そこに苛立ちを感じている訳ではない彼の様子に、セイは彼の感情を読む事が出来ず首を傾げる。
「…申し訳ありませんでした…その…何て返事をしたら良いのか分からなくて…」
戸惑いながらも彼女は謝罪の言葉を述べる。
「駄目なら駄目でいいんです。最初から無理な事なのだと分かっていたんですから。ただ…」
「ただ…?」
「---神谷さんがいないと寂しーなと思って。手紙という形でも良いから話をしたかったんです」
背中越しに伝えられる総司の思いに、セイは頬を赤く染めた。
「あ、神谷さん。心音早くなりました。照れてます?」
「そういう事言わない!」
自分の心が見透かされてしまったようで、総司の言葉に間髪要れず言い返すが、それでも早鐘を打ち続ける心音は変わる事無く、ただ羞恥心が増すだけだった。総司はと言えば、慌てるセイの姿とそれに合わせて変動する心音が楽しいのか、にこにこと嬉しそうに笑い続ける。
「沖田先生のばかぁ…」
「馬鹿な行動ついでにもう一つ」
「何ですか?」
セイは今度は何を言うのかと内心どきどきしながら冷静を装い次の言葉を待つ。
「好きですよ。セイさん」
セイの動きはぴたりと止まった。まるで螺子の切れたからくり人形のように。
「神谷さん?」
総司は動きの止まったセイを背中越しに覗き見る。次の瞬間今までに無いくらいの激しい動悸が振動となって総司に響いてきた。
「何言ってるんですか!?」
総司にとってそれは予想通りの反応だったのか彼は嬉しそうに笑うと、してやったりとでもいうような意地悪そうな笑みを浮かべる。
彼が何を思っているのか表情から見て取れるセイは悔しそうに頬を膨らます。そして、はっと思い出したように総司に向き直る。
「だから!最近行動が変だったのも、羽織貸してくれたのも女子扱いしてっ!」
言われて総司は、きょとんとしながらも、「…そうか…そうですね」と初めて今己の行動の理由に思い至ったのか、上昇していく熱に伴うようにゆっくりと頬を赤くすると、にへらっと嬉しそうに笑う。
「だってセイさんのこと好きなんですもん。神谷さんがいない間神谷欠乏症なんて言われて酷かったんですよ。私」
「ななななっ!何言ってるんですか!」
それは屯所に戻ってきて労いの言葉を掛けられた時にセイは散々からかわれていた。まさか、と思っていたが本人の口から直接聞くと、余計に受ける衝撃が違う。
まさか総司に女子として好きだなんて言われる日が来るなんて。
思わずオチを探してしまいそうになるが、目の前にあるにへらとしまりの無い顔は嘘を吐いているとは思わせないくらいしまりが無い。
嬉しすぎる。
嬉しすぎるのだが。
けれどこのまま流される訳にはいかない。
まさかとは思うけれど、このまま女子に戻ってくださいなんて言われるのだけはセイの本意ではない。あくまで自分は武士として彼の傍で彼を護りたいのだ。
「残念でしたね。セイはもうこの世にはいませんから」
セイは今、『神谷清三郎』という武士であり、総司がどう思っていようとも、彼女は『セイ』ではない。彼が想いを告げる人物も想いを寄せる人物も自分ではない、そんな風に総司に逆に言い返すと、彼は意地悪そうな顔から一変し、おろおろし始めた。
おそらく彼は彼が本来女子である『セイ』を好きだと言う事を喜んでくれると思っていたのだろう。だが、そうはいかない。
「でっ…でも、神谷さんも大好きですよ!」
「はい。わたしも沖田先生が好きですよ。同志として」
「ちっ、違うんです!そうじゃなくて!女子としてだけじゃなくて、同志としてだけじゃなくて!」
彼が言っていた『好き』の意味が、セイの捕らえた『好き』の意味と違うらしく、懸命に言葉を繕おうとする総司にセイは首を傾げる。
「もう!…貴方が好きなんだなぁ…」
言葉を紡ごうとすればするだけ混乱し始めた総司は、思うが儘セイをぎゅっと抱き締めた。
途端にセイの頬がかぁっと染まる。
真っ直ぐにセイの心に入ってくる総司の想い。
抱き締められた拍子に掴んだ総司の着物の裾を掴む手に力が入った。
「ねぇ…返事は貰えないんですか?」
抱き締めるセイの温もりに何処か夢心地のまま、総司は静かに問い掛ける。
そこには冗談は混じらない。恋慕の情を含んだ熱を持つ囁き。
「…私も沖田先生が好きです…」
観念したセイは、総司に応えると、抱きしめる腕に更に力が込められた。
そうして、暫くしてからどちらからという事無く体を離すと、互いに真っ赤になった顔が映り込み、それがおかしくて、
笑った。
2011.08.07