「セイ。やっと私たちが本当に夫婦になる日が来ましたね」
目の前で白無垢姿のセイを見つめ、総司は幸せそうに微笑む。
「私なんかが触れて良いのかって…戸惑ってしまいます。そのくらい貴女、綺麗なんですもん」
「…沖田先生」
伏せ目がちの視線を上げ、セイは総司を見上げると、白粉で染まった白い肌を桃色に染める。
躊躇いがちに手を伸ばす総司は、セイの頬に触れようとして、ぴたりと止まり、小さく首を振ると、代わりに柔らかな小さな手を取り、ぎゅっと握り締めた。
セイと同様に頬を紅く染めた総司は、目の前の彼女を真っ直ぐ見る事が出来ず、暫しじっと握り締めた手を見つめた後、顔を上げ、眩しそうに微笑んだ。
「幸せになりましょうね。私のお嫁さん」
「!」
真っ直ぐに伝えられる『私のお嫁さん』という言葉にセイは全身の熱が一気に上がってしまう。
今までにも何度も言われているはずなのに、真摯に正面から伝えられる万感の想いを乗せた言葉は、セイの芯を震わせる。
嬉しくて愛しくて、少し悔しくて、一瞬にして駆け巡る感情にセイは熱を涙に代えて零す。
「泣き虫なんですから」
そう言って総司はいつもと変わらないセイの仕草に頬を緩ませると、白粉を溶かそうとする涙を己の唇で掬う。
「っ!」
「折角の綺麗な化粧が落ちちゃいますよ。私は素顔のセイが好きですけどね。化粧されちゃうと綺麗過ぎて…私なんかが本当に触れて良いのかって思っちゃいますよ」
苦笑しながら囁かれる言葉に、セイは目を見開く。
「触れられませんか…?」
「――寂しくなりました?もう。本当に触れられなくなるわけないでしょ。私だけのセイなんだから私が触れないで誰が貴女に触れるんですか。祝言を挙げたならもう一生貴女を放しませんよ。まずはどれだけ私が貴女を深く深く愛しているか、どれだけ貴女を求めているか、貴女無しでは生きていないか教えてあげますから覚悟しなさい」
くすりと笑って総司は俯くセイに手を伸ばす。
――――。
「ちょっ!駄目ですって!この格好で何をなさるつもりですかっ!?」
セイは慌てて着物の袷を押さえる。
「え?だってやっぱり白無垢の姿の貴女を見たら、余りにも尊すぎて…貴女を今すぐにでも穢してしまいたいと思ってしますんです」
「何ですかそれ!ひゃっ!折角着たのに着崩れちゃいますっ!」
切なそうに囁きながら、総司の手はゆっくりとセイの袷を緩め、膝を隠す裾を広げる。セイは懸命に押さえるが、力強い手は彼女の抑制に少しも怯まない。
「そうやって私の手で穢されてくれたら、貴女がやっと私の傍にいてくれる気がして安心するんです」
「何か訳の分からない綺麗な事言ってますけどっ!ただの助平ですよねっ!?」
「違いますよ。助平って失礼ですよ、貴女。いつまでたっても恋する男の気持ちも知らず純粋無垢な女子ほど穢したくなるこの男の気持ちが分かりませんか?」
「わかりませんっ!ぎゃあっ!ちょっとっ!止めっ!」
「あ。今日は下帯じゃなくて湯文字なんですね。色々とやりやす…」
「何がやりやすいんですかっ!」
仮にも剣豪仮じゃなくても剣豪。元隊士とはいえ剣豪の前には本来女子の力など敵う筈もなく、綺麗に着付けられた着物が解けていく。
「いやぁっ!見ちゃ駄目ですって!」
「あ。セイの可愛いお花が見えちゃいました」
どがっ!
総司が背後から蹴り込みを入れられ前のめりに吹き飛ばされる。
その瞬間を狙って、セイはささっと彼の腕から逃れ、裾を直した。
「沖田っ!ただの衣装合わせで何処までやるつもりだ!」
蹴り込みを入れた張本人の松本は仁王立ちで倒れた総司を見下ろす。
「法眼…痛いです」
顔を抑えた総司は起き上がると、まだ青筋を立てて己を見下ろす松本をのんびりと見上げる。
「確かにセイや近藤に散々『セイ馬鹿になった』、『沖田が壊れた』と聞いていたが、まぁそれでもセイが幸せになれるならそれもいいさと思っていたさ。だがな!玄庵さんの代わりにセイを娘のように可愛がってきた俺の目の前で何おっ始めるつもりだっ!」
総司とセイの結縁騒動に始まり、気が付けば松本も巻き込まれていた。
ある日突然総司がセイを連れ立って、というか半分引き摺って仮寓を尋ねてきたかと思えば、結縁することになりました、だ。
何がどうして如身選やら武士やら近藤やら土方やら何が何でどうなって何が起こったんだと問えば、セイはただ首を横に振るばかり、総司に答えを求めれば「やだなぁ。もうそろそろ神谷さんも私もきちんとしないとと思ったんですよ」だ。
まさか松本の知らぬ間に実は恋人になっていて、既に既成事実でも出来ているのかと思ってみれば、そこは近藤に結縁してからと固く止められていると総司がとてつもなく絶望的に地を這うような声で答えた。
その間もずっとセイは首を横に振るばかりだ。
結局幾ら説明を求めようとも、総司の答えは何処か明後日の方向、少し口を開けばすぐに惚気。
セイはただただ首を横に振るばかり。
筋の通った説明を求め新選組屯所を訪ねれば、近藤、土方らから『総司が壊れた』とだけ伝えられた。
兎にも角にも自分の娘のように思って今まで接してきたセイが、彼女の想い人と夫婦に慣れるのならそれは確かに喜ばしい事。
しかも総司は今までの不犯の誓いを立てていると申し出た時と打って変わってセイにベタ惚れの様子。多少の事には目を瞑ろう。
そうやって一悶着二悶着とあったが、玄庵の代わりに親代わりとして祝言の際に娘親がすべき事は何かと試行錯誤の上、松本は輿入れの準備を整えていた。
今日の祝言の際に着付ける白無垢もその一つ。
出来上がった着物をセイに着合わせて調整をする為に呼んだのだ。
セイだけを呼び、総司は当日まで楽しみにしろと言付けて使用人に呼ばせたのだが、にっこにこ満面笑顔の総司がついて来ていた。
曰く。「セイの綺麗な花嫁姿を最初に見るのは私なんです」だそうだ。
付いて来てしまったのなら仕方が無い。と招き入れて、「自分が一番に見る!」と独占欲を主張する総司に配慮して着付けの終わったセイのいる部屋の隣の部屋で二人のやり取りの流れを見守っていたのだが、それも限界だった。
人の家で何をしている。
しかも娘のように想っている娘を隣の部屋でまぐわうを聞かされるとはどんな拷問だ。しかもどちらかと言うと手篭めにされる瞬間のようにしか聞こえない。
「もう。セイには家族のように大切に思ってくれている人が一杯いてくれてありがたい半分困っちゃいますよ」
少しも懲りた様子なく寧ろ何に松本が蹴り付けたのかも本当に分かっているのか、困ったように笑う総司。
沖田総司とはこんな男だっただろうか。
「困るのはお前の行動だ!」
松本は断言する。
すると総司は顔を上げ、きょとんとすると目を細め、真っ直ぐ彼を見上げた。
「――大丈夫ですよ。先日兄代わりの斎藤さんにも一発頂きました。父親代わりの法眼からも受ける覚悟があります」
「はぁ?」
突然何を言い出すのやら分からない松本は助けを求めてセイを見るが、彼女は先日と同じ様にただ首を横に振る。
「松本法眼。私、先日神谷さんのご家族の所にもご挨拶に行ってきました。大切な娘さんを頂きます、絶対に幸せにしますのでどうぞ見守ってくださいって」
「お、おう」
「私には神谷さんが必要なんです。女子としてセイを欲しています。大切にしますのでどうか私との結縁を許してください」
姿勢を正し、真っ直ぐ松本を見据える総司の瞳は揺らがない。
セイへ対する切々とした総司の想いを見せ付けられ、松本は息を吐いた。
沖田は壊れている。
その表現は正しいのだろう。
しかし一方でそれはセイを蔑ろにしているものではない。
何処までもセイを真摯に想う故のものだ。
一本気な武士故なのだろうか。
そう思うと、愛嬌さえ感じてしまう、もう既に許しているのだろう。
「――セイを泣かせたらいつでも俺の元に戻すからな」
眉間に皺を寄せ、搾り出すように松本がそう言うと、総司は一瞬にして笑顔になる。
「はいっ!」
隣でセイが頻りに横に首を振り続けているが、気のせいだろう。
二人は互いに想い合いそれが成就して、夫婦になるのだから――。
2021.06.21