あの一件があってからもセイはいつもと変わらなかった。
そう思っていた。
変わらない事に、ほっとしたと同時に、心が痛んだ。
しかし、それは思い違いだった事に総司はつい最近気付いた。
変わらないように見せて、――距離を置くようになっていた。
いつも通り朝に起こしてくれ、いつも通り隣に座って食事を取る。
何も変わらないはずなのに。
何処か余所余所しくなった。
己自身に疚しさを抱えているから、そう感じているだけなのだろうか。総司自身そう思ったりもしたが、明らかに今までのセイとは違うのだ。
自分にかける言葉も。
笑顔も。
互いに取る距離も。
何よりも、触れなくなった。
今まではいつも毎日のように一緒に行動し、お神酒徳利と呼ばれるくらいに傍にいたから、何かしら互いに触れる事があった。
それがあからさまに触れなくなった。
何気なく触れてしまうということさえ。
彼女はいつだって触れてしまう瞬間総司よりも半歩早く気付き、距離を置くのだ。
そして。
もしこれを口にしてしまえば、セイは益々自分から距離を置いてしまうことを分かっているから言わないが、――常時鎖を着けるようになった。
今までは寝る時だけは外していた筈の鎖を最近は毎日着けて眠る。
毎晩隣で眠っていれば決して見ないようにしていても、ゆるむ寝巻きの襟元から、ふとした時に晒しが見えてしまう。
それが鎖が覗くようになった。
セイは元々男だらけの屯所という事で気をつけていたが、それでも夜だけはどうしても寝苦しいからと外していたのだが、――それが毎晩きっちりと着込むようになっていた。
「神谷さんにとって私は警戒される対象になってしまったのでしょうか?」
男だから女子として彼女に触れたいとという欲が全く無いかと言われれば嘘になる。
それでも今までセイに不埒な行いをしようとした者たちと同類だと思われているのだと思うと、総司にとってそれは痛撃だった。
今まで通り何も変わらず接してくれるよりも――ずっと心に突き刺さる。
「はぁ…」
大広間の縁側に座り、空を見上げるが、総司の心と反比例したように澄んだ青空は胸に重く圧し掛かる不快感も不満も少しも解消してくれなかった。
視線を大地に下ろすと、視界にセイの姿が入り込む。
隊士の一人と何を話しているのか楽しそうに会話をしている。
また胸がきりりと軋んだ。
「アンタ。今度は何をしたんだ?」
背後から問いかけられ、振り返ると、斎藤がむすりとした表情でこちらを見下ろしていた。
「先日の捕り物の時以降、アンタはいつもに増してへらへらと気の抜けた顔つきをしているし、神谷は何処か常に緊張して肩に力が入ったままだし」
元々人の感情の機微に敏く、そして総司と同じくセイを想いそして見守る斎藤には二人の異変などばればれだった。
総司は苦笑する。
「私が神谷さんを好きだって言っちゃいました」
「………はぁっ!?」
暫し、総司の呟きに沈黙していた斎藤だが、頭の中で反するうちに総司がセイに何をしたのかやっと理解し、声を上げた。
「それはいつものアンタお得意の、誰にでも好きだって言うあれか?」
「私を尻軽男みたいに言わないでください。神谷さんを女子として好きだって言いました」
「……」
ずっとセイの抱く想いに気づかず、自分の想いにも向き合わず、セイが総司を想っている事に気付かないまま、いざ己の想いを自覚したと思ったら、想いが通じなくていい、そのままでいい、セイを嫁にもらうつもりを無いとヘタレ宣言をした男がついに告白したのだ。と思い至るには斎藤には暫くの時間が必要だった。
あまりの衝撃に寧ろ顔を定形外にして取り乱すことなく、表情を変えないまま声だけを上げただけで済んだ事に彼は自分で自分を褒めたいくらいだった。
「で。神谷は?」
斎藤は冷静を努めたまま、総司に話の先を促す。
「私の事は尊敬しているけど、そういう感情を自分に持たれても迷惑だって言われちゃいました」
「は?」
「そりゃそうですよね。ずっと兄代わり…は斎藤さんか。神谷さんの師として傍にいて、男として扱って、武士として育ててくれたその人に、実は女子として好きなんだって言われても迷惑ですよね」
総司が未だ視界に映るセイを見つめながら呟く横で、斎藤は今度こそ驚きに顔が定形外になっていた。
あれ程惚れている男がやっと自分に振り向いて、恋情を告げられたというのに、何故セイはそれを拒絶したのか彼にはさっぱり分からなかったからだ。
もう実は、既に愛想を尽かしていたのだろうか。
だとしたら。
「そうか。元々アンタは神谷とどうなるつもりもなかったんだ。想いを告げて、きっぱり断られて、すっきりしただろう」
斎藤に再度現実を突きつけられ、総司は口元を歪めた。
「警戒されても仕方が無いだろう。師だと思っていた男がただの男だったんだからな。アイツは男だけの屯所の中でいつどうなるか分からないという不安を常に抱えている。アンタだけは違うと信じていたその信頼を裏切ったのはアンタ自身だからな」
「それでも!…それでも毎日一緒にいたんです。私がそんな神谷さんに無理やり…なんて…」
必死の形相で振り返って反論する総司を斎藤は冷たく見下ろした。
「信頼に値しなくなったんだろう」
「…少しくらいは…長く一緒にいたんです…神谷さんは少しも私の事…男として…好きだと思ってくれた事は無いんでしょうか…」
「その答えをアンタはもう貰っただろう」
「…」
総司は悔しそうに唇を噛むと、俯き、言い返す事は出来なかった。
「では。俺が上司に裏切られて傷心の神谷を慰めてこよう」
「!」
挑発すような言葉に、総司は顔を挙げ、きっと斎藤を睨む。
「神谷の隊替えを希望するならきつでも相談に乗るぞ」
「――っ!」
総司は口を開き、言葉を発そうとするが、結局それは声になる事は無かった。
「――腐ったな。沖田総司」
それだけを告げると、斎藤は総司の元を離れ、未だ隊士と話をしていたセイの元へ寄っていった。
総司が遠くから見守る前で、彼らは一言、二言会話を交わし、するとセイは目を見開いて、それから嬉しそうに笑う。
真に信頼を寄せる者だけに見せる笑顔。
自分だって、つい数日前までは惜しみなく向けられていたのだ。
斎藤だけじゃない。
そう嫉妬し、そして、総司は俯く。
胸がしくしくと痛んだ。