千尋最強伝説2

■千尋最強伝説・6■
沈黙の中二人はエレベーターで従業員が働く客室裏へ向かう。
先程から自分を見ないハクに不安を覚えた千尋は、ハクを背後から覗き込んだ。
「…ハク…怒ってる?」
「--」
「…私がここに来たのは迷惑だった?」
「--」
「帰った方がいいのなら帰るよ」
「--」
「何か言ってよっ!返事返してくれないと私、どうしていいか分からない!」
無表情のままこちらを見ず、何一つ答えないハクに焦れた千尋は訴えるように叫ぶと、ハクは初めて彼女を振り返った。しかしその表情は曇り、不安そうに彼女を見つめた。
「…すまない。何をどう思えばいいのか分らなかった…」
「…もしかして、私が来なくてもハクはもう少しで元の世界に帰れたの?会いに来てくれていたの?」
千尋はハクと湯婆婆の会話を聞いてずっと不安だった思いを言葉にした。
ハクは驚いたように千尋を見ると、横に首を振る。
「そう、いや。どうだろうか。どのくらい時間が掛かるか分らなかった。それこそ千尋が既に黄泉の国へ旅立った後に戻る可能性もあった」
「……」
ハクの戸惑う様子に、千尋はまだ拭えない不安を胸に彼を見つめる。すると、彼は初めて顔を上げ、真っ直ぐ彼女を見ると、微笑んだ。
「だから、千尋にこうして会えた事はとても嬉しいんだ」
そう言うハクの嬉しそうな表情に嘘は無く、千尋はやっとほっと胸を撫で下ろした。
「ただ。千尋を待たせる事で、またそなたをこの不思議の町へ戻らせる事になってしまった事。そして…湯女として働かせる事になってしまった事に、どう思えばいいのか分らないんだ。嬉しいのだけれど…」
「ハク!気にしないで!私が選んでここに来たんだから!私がハクに早く会いたくてここに来たの!だからその為に私も出来る限りの事一杯勉強してきた!もしかしたら全然役に立たないかも知れないけど、それでも私はハクの傍にいたい!ハクがどのくらい時間が掛かるのか分らないけど、もし私が死んでから元の世界に戻る可能性が高かったんだったら、私、ここに来てよかった!ハクが頑張っている時間もずっと一緒にいたいもの!」
必死に自分の想いを訴える千尋に、ハクは益々複雑そうな表情になり、そして、千尋の手を引くと、抱き締めた。
「そう言われると私はどうして良いのか分らない。私の選んだ方法は間違いだったのかと思ってしまう。それでも私は確実に元の世界でそなたの負担にならず、そなたの傍にいる方法を選んだはずなのに…それでも、そなたが今目の前にいると、千尋の選んだ道がもっとも正しかったものだったのだと思ってしまう。もっと早くそなたに会いに行けばよかったと…」
抱き締められるままどうしてよいのか分からない千尋は、ただハクの温もりに身を寄せる。
「……分らないけど…ハクは私を想ってくれてたんだよね…私の為に一生懸命元の世界に戻ろうとしてくれていたんだよね……それだけで凄く嬉しい……」
触れる小さく温かい体から浸透してくる熱に、ハクは心が満たされていく心地がして、目を閉じる。
そして、突然脳裏に浮かんだ光景に、ヒヤリとし、ハクはばっと身を放し、千尋を真正面から見据えた。
「千尋。お願いだから湯女として床を取ることだけは止めてくれ。私も出来るだけ阻止をするけれど…私の為にそれだけはして欲しくない…」
千尋は突然引き離された事に驚いていたが、告げられた言葉に、にっこりと笑った。
「うん!大丈夫だよハク!私頑張るから!」
「湯婆婆はお客様に望まれればきっと千尋にさせる。それだけは…」
苦しそうに訴えるハクに、千尋は苦笑する。
「本当はね、本当にそれしか方法が無いのならそれも覚悟していたんだよ」
「!」
「でもね、私もハクも傷つかないで済む方法をずっと考えてきて、おばーちゃんはそれをいいと言ってくれたから、頑張れるところまで頑張るよ!」
「千尋…」
「早く一緒に元の世界に戻れるように、ハク、頑張ろうね!」
笑顔でハクを見る、千尋に、彼は脱力してしまった。
彼女は既に、ハクの傍で一緒に生きる事を覚悟していた。
何もかも投げ捨てても、どんな方法を取っても、ただ絶対に譲れないものだけは守って。
恐らくは、ハクよりもずっと強い意志を持って。
「…く…くくく……」
「…ハク…?」
声を堪えながらもそれでも漏れ出る彼の笑い声に、何故彼が笑うのか分らず首を傾げる。
「…すまない。…ふふふ…」
謝りはするがそれでも笑いの止まらないハクは、声を堪え代わりに肩を震わせた。
「…私何かおかしいこと言った?」
彼が笑う理由にさっぱり検討が付かず、千尋は少し頬を膨らせながらハクを見上げる。
そんな彼女の様子に、ハクは漸く納まった笑い声にほっと息を吐き、千尋を見つめると、笑みを浮かべた。
「千尋。強くなったね」
その憑物が落ちたように清清しい美青年の笑みに千尋は頬を染める。
「私なんかよりずっと強い」
そう言うと、彼は彼女の手を取り、じっと見つめると、目を細め、そして再度千尋を真っ直ぐ見つめた。
「お帰り。千尋」
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■千尋最強伝説・7■
不思議の町に夜の帳が下り、今日も神様を出迎える。
大地の殆どを人間に侵食され続けている土地で未だ命を護り続ける八百万の神の疲れは想像を絶するもの。
彼らは暫しの安らぎと癒しを求め、油屋に今日も訪れる。
「千!そしたら今日からオレたちも宴会に出るからな!覚悟しておけよ!」
リンは白拍子の装束を纏いながら、隣で同じ様に水干に着替える千尋に声を掛ける。
「お前相変わらず小せぇなぁ。細っそいし。ちゃんと食いもん食ってたのか?」
「ちゃんと食べてたよ!」
「乳も小せぇし」
「牛乳毎日飲んでもん!それでも大きくならなかったんだもん!…胸だって…これからおっきくなるもん!」
「これが大きくなるかねぇ…」
そう言ってリンはぺたぺたと千尋の胸を徐に触る。
「なるもん!」
「まあ、床を取るお客様が付かない方がいいなら、このくらいでもいいのか。何だかんだでデカ乳好きなお客様多いしな」
「何で知ってるの?」
千尋は驚いてリンを見上げる。
「ハクがさっきオレに言ってきた。くれぐれも伽の相手はさせないようにって。付加価値の事も聞いたけど面白い事考えるなぁ。湯屋で年頃の湯女が伽の相手もしないってどうかとも思うけど、まあ、けどハクがお前を大事にしてやりたいって気持ちも分るし。何かあったら言えよ」
リンが笑って千尋の頭を撫でると、千尋はばっと顔を上げ、真剣な眼差しでリンを見た。
「気持ちは嬉しいけど、リンさん、気遣いしなくていいからね。私がここに置いてもらう為に自分で決めた事だから。」
「けど、お前、前の時殆ど宴に出てないし、お客様のあしらい方も知らないじゃないか」
「うん。でも私は自分で自分の身を守らなきゃこの付加価値も意味が無いから」
「そりゃそうだけど」
伽の相手にならないのならその分だけお客様を楽しませる芸事に秀でていなければ、身一つあれば誰でも出来る伽の相手でもして稼がなくては湯屋で湯女としてここで働く意味が無い。
その価値を作るのはこれからの千尋自身だ。店に守られるだけの売りなどすぐに価値が下がる。その者自身の気位の高さや魅力が無ければ価値など生まれないからだ。
触れなくとも伽の相手としなくとも余興の一時を過ごせる相手として。
それを千尋は重々に承知していた。その上で敢えてその道を選んだのだ。
恐らくはハクの為。
「ハクは幸せだな…」
これだけの覚悟を決めて、己の操を守りつつこの湯屋で働く事を決めた、人間の少女。
ほんの数年。ほんの数日。人間の成長の何と早いことか。
数年前にも感じた事を、改めて目の当たりにし、己の過ごした年月を思い返して、己の何と成長していない事か。
いや。それは、この世界に生きる、確実に人間より長い寿命を生きる者皆に言えることだろう。
己らにとっては瞬きほどの間を駆け抜けるように生きる人間。
瞬きほどの生をこの不思議の町で過ごす事を決めた人間の少女。
たったひとりの竜の為に。
「本当に、千は強いよ」
もう一度、リンはくしゃりと千尋の頭を撫でた。
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■千尋最強伝説・8■
実際宴会に出てみれば、--リンの心配は全くの無用だった。
料理を運び、酒を運び、お客様のお酌をする千尋はすぐに注目された。
人間の娘がこの町にいる事も、また湯屋で働く事も、更にお客様の前に現れるなどまさかの事態。
その物珍しさが逆に神々の興味を誘い、あっと言う間にお客様に囲まれるようにお酌をしていた。
勿論人間を嫌悪している神もおり、一気に場の空気が悪くなる事もあったが、そこはハクが取り成し、そうしてお披露目として千尋が様々な部屋を回る事で、宴会は何処も良くも悪くも盛り上がった。
人間との間に問題も多いが、それでも一方で長年共存してきた人間を未だ好きでいる神も多い。
また、まだ幼さの残る千尋の容姿に、子ども好きの神もつい遊び相手としてカルタやお手玉などの余興を求める者もいた。
伽の相手として求めるにはまだ早いだろうという空気が自然と出来ていた。
更に。
「もっともってこーい!」
「!!」
千尋はすっかり砕けた体勢で、両足を投げ出し、徳利を片手に声を上げる。
隣にいたこの日のお相手の神も一緒になって徳利を掲げ、近くにいた小湯女に催促した。
「きゃはははは!」
酒を呑み、顔を真っ赤にし、隣に座る客の頭を千尋はぺしぺしと叩く。
「千!止めなさい!」
そう言って、慌てて湯女が止めるが、千尋は気にした様子無く、「いーんだよねー!」とにっこりと神に笑いかける。
神も満更じゃない様子で頷くと、寧ろ嬉しそうに頭を差し出した。
「きゃははははっ!」
千尋はまた笑うと、制する湯女の手を逃れて、ぺしぺしと叩く。
「千ー!!」
青褪めて悲鳴を上げる湯女。
見かねたリンが千尋を抱えると、頭を差し出したままの神に一礼をし、部屋を出る。
「千ー。酔い過ぎだぞ。差し出されたら呑まなきゃならないのは分るけど、もう少し限度考えろよ」
宴会場の裏である従業員専用口に連れてくると、リンは千尋を放し、溜息を吐く。
人間の少女が物珍しいのと、興味と、嫌がらせと相まって千尋は宴会に出るたびに大量の酒を様々な神から勧められる。
お客様からの酒は極力断らないようにしなくてはならない。まだ、この湯屋で湯女しての地位を確立していないのなら尚更だ。
千尋は呑まざるを得ない。もし呑まなければ、自分の勧めた酒を人間如きに断られらとお客様の矜持を大きく傷つける事にもなりかねない。
それを全て分っているのだろう。千尋は断る事無く、勧められるだけの酒を浴びるように呑んでいた。
「千!大丈夫か!?」
誰かに言伝されたのだろう、ハクが千尋とリンの姿を見つけると、一目散に駆け寄ってきた。
「もうダメだよ。コイツ。今日はもう休んだ方がいい」
リンは溜息を吐き、その場に座り込んだ千尋を見た。--と思ったら、千尋は不思議そうにこちらを見ていた。
酒の酔いで少々頬を赤くしたまま。
「大丈夫だよ。私、全然酔ってないよ」
先程までの大トラの姿とは打って変わって、ケロッとした様子で立ち上がると、二人を見てにっこりと笑った。
「え?あれ?さっきまであんなに酔ってたじゃねーかっ!?」
あまりもの変わりっぷりにリンの問いに同様が混じる。
「ううん。酔ったふりしていただけ。その方がお客様嬉しそうだったし」
「ええっ!?」
「私お酒に強いらしくて酔った事無いんだよねー。ここに来る前にこっそり自分を試したんだけど、日本酒一升呑んでも全然で」
「はぁっ!?」
リンは口を開け、あんぐりとし、ハクは隣で目を丸くする。
「だから心配ないよ」
「あれ、全部演技かっ!?」
「うん。その方がお客さん喜ぶし。早く解放してくれるし。子ども扱いしてくれるから伽の相手にも見られないし。一石三鳥!」
「……」
「…千…恐ろしい子っ!」
と言ったのはどちらだったか。
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■千尋最強伝説・9■
「うおっとっ!」
千尋は床を水拭きする為に使った桶を水捨てに歩いている途中、転びそうになりひっくり返しそうになるところをどうにか堪えた。
彼女の動揺する様子に周りからは嘲笑が聞こえてくる。
「おい!今足引っ掛けた奴!出て来いっ!」
隣で一部始終を見ていたリンは声を荒げ、周囲を見渡した。
千尋はただ普通に歩いていただけだった。従業員の行き交う中で、誰かが彼女の前に足を差し出し転ぶように仕向けたのだ。
リンが睨みつけるが、勿論名乗り出るものはいない。
「いいよ。リンさん。零さずに済んだんだから」
千尋は桶を抱え直すと、宥めるようにリンを諭した。
「だって、お前、今大惨事になるところだったんだぞ」
「このくらい気にしてたらやってられないよ」
「でもっ」
「リンさん。集団生活していたら、一人や二人気の合わない人だっているって。ましてや、私は人間なんだから」
自分の為に怒ってくれるリンを嬉しく思いながらも、千尋は苦笑した。
「ありがとう。リンさん」
リンは未だ憤りが納まらずにいたが、当の千尋が少しも怒った様子が無く、毒気が抜かれてしまう。
「お前、その年で随分悟ってるな」
「違うよ。覚悟しているんだよ。じゃないとここで働けないもの」
凛とした眼差しと口調で答える千尋に、リンは少し怯んでしまった。
十歳で迷い込んだ時とは明らかに違う。
それはこういう時に特に強く感じる。
神々の訪れるこの世界で人間の娘が一人生き抜く為にどれだけの覚悟が必要なのか。
リンには想像もつかなかったが、彼女が想像する以上に千尋はこの世界で生きる為に色んな知識を付け、覚悟を決め、今ここにいるのだという事だけは、これまでの彼女の行動から重々に見せ付けられていた。
「それでも。オレが入る事で何とかなる事だってあるだろ。何でも一人でこなそうとするな。…寂しいじゃねーか」
まさかそんな言葉を掛けられると思わなかったのだろう千尋は目を大きく開くと嬉しそうに笑った。
「うん」
こういう所は昔の千のままだ。
リンは少し安心した。
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■千尋最強伝説・10■
ガシャーン!
大きな音が調理場の横の廊下から聞こえてくる。
リンが駆けつけると、そこには出来上がったばかりの料理が無残に散乱していた。
既に形は崩れ、とてもではないけれどお客様へ差し出す事は出来ない。
それをそんな風にしてしまったのは誰でもない、料理の前にへたり込んでいる千尋。
また先日と同じ様に周囲からは蔑みの視線と、下品な嘲笑が彼女に向けて聞こえてくる。
「千!」
リンは余りにも千尋が不憫でならず、駆け寄ろうとするが、その前に彼女はすくっと立ち上がると、一人の湯女の前に立った。
パァン!
激しい衝撃音が響く。
笑ってみていた者たちも千尋の思わぬ行動に笑うのを止め息を飲んだ。
関心の無かった者たちも何が起こったんだと集まってくる。
千尋は湯女を睨みつけていた。たった今平手打ちを食らわせた手をそのままに。
「謝ってください!料理人さんたちに!お客様に!」
「なっ…何するのよ!人間の小娘風情がっ!」
頬を赤くした湯女が千尋に食いかかる。
けれど千尋は少しも怯む事無く、目の前の湯女を真っ直ぐ見据える。
「私が嫌いで嫌がらせするならすればいい!けど、それで他の人たちにまで迷惑掛けないでっ!」
「あんたがここにいるから迷惑になるんでしょっ!あんたが出てけばいいだけじゃないっ!勝手にひとのせいにするんじゃないわよっ!」
「私は辞めません!迷惑の種を蒔いてるって言うなら自分で刈り取ります!けど、折角心を込めて作ってくれた料理人の料理や、待ってくださっているお客様に迷惑のかかるような嫌がらせはしないでっ!謝ってっ!」
じっと己を見つめ続ける千尋に、薄気味悪さを感じ始めた湯女は思わず後退りをしてしまう。
まさか自分が人間如きに気圧されるはずがない。と思いながら。
「人間ごときが何生意気な事言ってるんだい!私は悪くないからね!」
「私に謝れなんて言ってない!料理人とお客様に謝って!」
気付けは集まってきた従業員たちも、最初は千尋に対して嘲りの視線を向けていたが、次第に湯女を蔑むような視線に変わり始めていた。
自分に対し突き刺さる視線を感じる湯女は段々と耐え切れなくなって呻き始める。
「あんたがすればいいでしょ!あんたがいるからこんな事になったんだからっ!」
湯女はそれだけを叫ぶと、荒々しくその場を去っていた。
後に残るのは料理の残骸と、割れた器。
ついさっきまで煌びやかに飾られていたのに、跡形も無い。
千尋は溜息を吐くと、顔を上げる。
「すみません!今すぐ掃除しますから、このままにして置いてくださいっ!」
そう叫ぶと、一目散に厨房に入り、その場に膝を突いて、料理人たちに頭を下げる。
「申し訳ありません!私の粗相で料理が駄目になってしまいましたっ!どうかもう一度料理を作ってくれませんか!」
厨房で、二人のやり取りを聞いていた料理人たちは入ってきて取った千尋の行動に目を丸くする。
「お前が駄目にしたんだ。お前がどうにかすればいいだろう」
胡乱な目をした料理人の一人が蔑むように千尋を見た。
「お客様にお出しする料理を私みたいな素人が作ってお出しするなんてできません!今、お客様にはお詫びに行ってきます!だからその間にどうかお客様の為にお願いします!」
「頭なんか下げたって作らねーよ。そもそもお前がここにいなきゃこんなことは起きないんだ」
「何と言われようとも私はここを辞めません!至らない自分は謝ります!もっと自分だけで納められれば良かったのに!けど、お客様にまで迷惑はかけられません!お願いします!」
「土下座されたって何も響かねーんだよ!」
苛立ちを見せる料理人だったが、そのやり取りを見ていた他の料理人たちは困惑する。
「お願いします!」
「断るっ!」
「お願いしますっ!」
何時まで経っても、何を言われても頭を上げないままの千尋に、とうとう料理人の一人が苦笑する。
「さっさとお客様に謝って来い!これでお客様に下手な料理でも出してみろ。俺たちの腕が疑われる。もっといい料理出してやるから言って来い!」
その言葉に、苛立っていたままの料理人の他の料理人たちも一斉に顔を上げ、料理を再開し始めた。
他の料理人たちに肩を叩かれ、苛立っていた料理人も渋々と再び包丁を取る。
千尋は顔を上げると、
「ありがとうございます!」
と大きく礼を言い、一目散に客室へ向かって走っていった。
その一部始終を遠巻きで見ていたリンは唖然としていた。
「リン」
声を掛けられ、振り返るとすぐ後ろにはハクが立っており、無表情でこちらを見ていた。
「ハク様…」
リンは何と言っていいか分からず、口篭ってしまう。
守ると言っていたのに。いざとなったらハクなんか頼りない。だから自分が守るんだと思っていたのに。千尋は誰も手も借りず、一人で全てを完結させてしまった。
現に。
「ちょっと幾ら人間だってさっきのはやりすぎだろ」
「ほんとに。料理人だって二度手間だ」
「千を知らないからあんなこと出来るんだ」
「人間だってだけで可哀想に。それでもずっとあの頃より強くなったよ」
そんな言葉が聞こえてくる。
昔からここで働いている者は知っている。
ここで千がどんな活躍を見せ、ここを救ったか。
人間とか神とかそんなちっぽけな事関係なく、どれだけこの油屋の大切な仲間の一人だったか。
蔑むのは千が帰った後入ってきた者たち。
何も知らないのに千の事を悪く言うな。と思っていたが、それでも、その意識は着々と変わり始めている。
誰の手も借りず。
千自身の力で。
「途中で入ろうかと思ったけれど、入れなかった」
ハクもリンと同じ気持ちだったのか、少し寂しそうに苦笑した。
余りにも落胆した様子に、リンは笑ってしまう。
「本当だな」
けれど。せめて。
「オレはあの料理の後片付けしておくよ。ハク様は千の援護射撃に行ってやってくれ。あいつならお客様も納得させちまいそうだけど、それでも上司がいるといないじゃ印象が違う」
そう言って、リンが振り返ると、既に他の者たちが千尋の代わりにと料理を片付けを始めていた。
人間の少女の苦労が少しでも減るようにと。
それは男も湯女も小湯女も関係無く。
その光景にハクはまた苦笑して、
「そうだな」
と、踵を返した。