ごしごしごしごし。
ごしごしごしごし。
ごしごしごしごし。
ごしごしごしごしごし・・・・・。
「・・・・千・・。そんなに一生懸命磨かなくてもいーぞ・・・」
リンは半分呆れながら、無心で床を磨き続ける千尋に声をかける。
「え?」
彼女の声に我を取り戻したかのように、千尋はびくっと驚きで体を震わせ、振り返る。
手には同じ部分だけで磨き続けられた為にぼろぼろになってしまった雑巾が握り締められていた。
本日、千尋とリンは湯殿の床磨き当番だった。
勿論仕事なのだから、決して手を抜いて良いという訳ではない。
しかし、いつもとは違う。千尋の行動は極端すぎた。
彼女の磨いた床のその一角だけは異常なほど磨き上げられたため、まるで床板を張り直したかのような輝きを放っていた。
千尋は確かに何に対しても、真面目に一生懸命取り組み、それは彼女の長所のひとつである。
時にドジなところも多かったが、それを上回るくらいに一生懸命だった。
そうだとしても、今日の彼女は変だった。
一心不乱に磨き続けるのだ。同じ場所をいつまでも。いつまでも。
何も考える隙を与えないくらいに。
まるで考える事を頑なに拒否するかのように。
「何かあったのか?」
「何で?何も無いよ!ねぇ、お仕事他に何か無いかな!?」
余りにもいつもと違う千尋の雰囲気に心配そうに声をかけるリンに対して、千尋はいつもより声を大きくして、元気である事を主張するかのように笑ってみせる。
それは明らかにリンの目にはカラ元気にしか見えない。
相方として組んで、いつも一緒にいるから気づくのかもしれないが。
落ち込んでいる。そしてそれから逃げようとしている。
彼女にはそんな風にしか感じられなかった。
第一、千尋は人と話す時に、いつもまっすぐ目を合わせて話をする。
それは彼女の素直さと、純真さが行動に現れているのであろうが、今の彼女は少しも会話を交わすリンと決して視線を合わせることをしようとはせず、常にそわそわと落ち着かない動きを見せていた。
思っていることが、態度に出て、分かりやすい奴だなとも思うが。
そんな風に思いながら、リンは小さく溜息をつく。
「・・・何かあったら言えよ」
千尋の頭に手を乗せると、髪をくしゃっと撫でた。
「・・・・うん・・・・」
千尋は俯き、目を伏せる。
リンの手が自分の頭から放れるのを感じて、千尋は顔を上げ、すでに湯殿から出ようと歩き始めていたリンに、声をかけようと口を開く。
他のひとも同じこと感じてるのかな。
私だけなのかな。
こんなこと考えたくないのに。
どんどん考えて、ぽっかり心に隙間ができる気がする。
結局、思いは言葉にはならず、何も言えないまま千尋は口を閉じた。
今日。昨日。明日。
昨日はある。今日は今私がいる。でも明日は分からない。
私がもし突然消えちゃったらどうなるんだろう。
皆は驚くのかな。それとも私が消えた事なんて気にしないのかな。
いつも通りお店が始まって、いつも通り働いて、いつも通り終わるのかな。
リンさんは心配してくれるのかな。
ハクは・・・どうするんだろう。
・・・・・でも最初は驚いたり、心配してくれても、そのうち忘れて、いつも通りに戻っちゃうのかな。
いつも通りに・・・。
私が消えても何も変わらない。
私はいてもいなくても変わらない。
私は誰にも見てもらえない。
私は誰にも認めてもらえない。
チクン。
胸にぽっかり穴が空くの。
もし私が死んだら私はどうなるんだろう。
魂になって天国にいくのかな。
でもそんなに良い事なんてしてないから地獄に行くのかな。
それとも魂なんてものはなくて、消えちゃうのかな。
消えたらどうなるの?
私の記憶。私の時間。私の大好きなもの。
いいことも一杯あるし、嫌なことも一杯ある。
でも全部があるから、今の私がいる。
「私」のことを私は好き?
分からない。
でも「私」が消えちゃうのは嫌。
生まれ変わりがあるって言うけど。
魂は同じなんだから、それは私なんだよと言われても。
私だった頃の記憶も無いし、私の思い出もない。
だったらそんなのは私じゃない。
今の私が何処にもいなくなっちゃう。
心臓も鳴らない。
ただ心にぽっかり穴が空くの。
パズルの一ピースだけが欠けているような。
虚しさがあるの。
リンさんも感じるの?
誰もが思うの?
私だけ?
でも聞くのは怖い。
「そうだ」って言われて、笑われたら。
心が痛くなる。
誰かに言って欲しい。
誰かに私を見つけて欲しい。
ーーーーーーーーー怖い。